第170話 思惑

「タ、カシ……」


 タカシ。タカシ。聞いたことがあるような、無いような。


 イケダ。イケダはあります。知り合いに1人、同じ名前の人物がいます。


 軍隊を撃退。イケダ。ロスゴールド大臣。マリス事変。様々な用語が頭の中を回遊します。混乱を抱える頭は思考力を低下させながらも考えることを止めようとしません。


 そうしてやっと、私の中に一筋の道が出来上がりました。


「まさか……我が市長に選ばれたのは、イケダをフィモーシスに配置するためだったのか」


 自然と問いかけが零れます。ミラローマ氏は私を直視しながらコクリと頷きました。


 頭を抱えます。常に疑問は付きまとっていました。何故市長なのか。何故フィモーシスなのか。全ては今の状況を迎えるためだったのです。


 フィモーシスはダリヤ商業国南部の中心に位置する都市であり、交通の要衝です。最南端の巨大大橋から首都マリスへの直線ルート上にあります。つまりレニウス帝国が攻め込んできた際は、ほぼ必然的に通る場所なのです。


 あの時。イケダさんが魔人を撃退した時。既にロスゴールド大臣の頭の中では、対帝国の防波堤として彼を利用する考えが思い浮かんでいたのでしょう。そのために友人の私と元同居人のトランス氏をフィモーシスへ送り、彼がこの地に留まる理由を生み出したのです。


「大臣はずいぶんとイケダさんを買っていますね。確かに彼はマリスの窮地を救いました。ですがそれだけです。強大な個を相手にするのと軍隊を相手取るのは訳が違います。それも10万の大軍です。1人では何ともしがたい数だと思います」


「忘れたのか?イケダはどうしようも出来ない状況を如何にかした男だぞ。ロスゴールド大臣が期待するのも不思議でない」


「だとしても10万は……」


「ロスゴールド大臣は帝国の侵略行動を予期し、数年前から準備をしてきた。フィモーシスにおける防衛戦は第一の戦略であり、失敗したとしても第二、第三が用意されている。つまり大臣がイケダにしてほしいのは帝国を壊滅させることではない。少しでも兵力を減らすことなのだ」


「彼に大量虐殺をさせた後、フィモーシスごと闇に葬ると。そういうことですか」


「前回はオーク殿に譲る形となったが、今度こそ本物の英雄になれるぞ」


 ミラローマ氏が無表情で返しました。イケダさんに負けず劣らずのポーカーフェイスです。


「なぜこんなまどろっこしい事をする?イケダに直接お願いすればよかっただろう。帝国軍を撃退してほしいと」


「帝国軍に1人で立ち向かって欲しい。出来る限り帝国兵を殺してほしい。そう言われて誰が聞き入れる?政治思想や愛国心も無ければ、彼が受諾する理由は無い」


「つまり、我々は人質でもあるということか」


「イケダ相談役の逃亡を防ぐという意味では、そうなる」


 なんということでしょう。私と、恐らくトランス氏は、イケダさんをフィモーシスに留めておくための駒でしか無かったということです。


 激しく自己同一性が揺らぎます。所詮わたし達は権力者の掌で踊らされるか弱き子羊でしかないというのでしょうか。


「私が最初にした質問。まったく答えてもらってない。会話できないヒト?」


 もう1人のか弱き子羊が声を上げました。無表情です。全く動じていません。流石はイケダさんのような変人と気が合う女性です。


「最初……ああ。フィモーシス以南の市町村は何をしているのか、だな。フィモーシス以南は既に退避を終えている。帝国軍は何の障害も無くこの地まで進軍できたはずだ」


「なんと」


 これにはシンクさんも驚きを隠せない様子です。いつの間にそんな大移動が行われていたのでしょう。


「もう1つは貴殿らが気づけなかった理由だったか。簡単な話だ。フィモーシスの宿を利用した人物は全員、大臣が雇った商人だったからだ」


「えぇ!?」


 またもやシンクさんが驚きの声を上げます。全てのリアクションを彼が持っていきます。反応が遅いこちらにも原因はあるかもしれません。


「えーと、つまり、ロスゴールド大臣は全部お見通しだったということでしょうか。私達が金策のために宿屋経営を始めることも」


「いいや。流石に数日で宿屋をぽんぽん建てられるとは予想できなかった。大臣の心のうちは分からないが、少なくとも想定外だったはずだ。ただ大臣はすぐに対策へ動いた。まずはフィモーシス周辺に人員を配置し、一般人が近づけないようにした。これは戦争の件を伝聞されるのを防ぐためだ。次に南部から首都マリスへ物資を運ぶ商人たちへ、フィモーシスを通過するよう通達した。これは貴殿らに違和を感じさせないためだ。宿屋経営が上手くいっていると思い込ませれば、あえて都市の外へ出ようとは思うまい」


「なるほど……」


 シンクさんがうんうん頷いています。何を納得しているのでしょう。悔しくないのでしょうか。何もかも御上の思い通りだったという事実は、屈辱以外の何者でもありません。


「数日おきに私とイケダは他都市へ買い出しに行ってた。その時も監視されてたの?」


「それは……知らなかった。どこをどう調査しても物資の供給源が不明だったが、そういうことだったのか」


 ミラローマ氏が知らないのも無理はありません。というより知らないからこそ、一番最初の行動に繋がるのでしょう。イケダさんはどこだと必死の形相で尋ねてきました。


 ここにもミラローマ氏とロスゴールド大臣の想定外が生まれています。まさか1日足らずで転移魔法を習得する男がいるとは思わないでしょう。しかも同伴者は1人まで許されます。


「あ」


思わず声を上げてしまいました。


私、気づきました。

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