第165話 救え

 2人が手紙を読み終えました。一方は沈痛な面持ち、もう一方は小さな声で「あかん。あかん」と呟いています。


 姉から妹宛てに送られた手紙は衝撃的な内容でした。なんとレニウス帝国がボボン王国へ侵攻しており、クラリス氏がマーガレットの名代として戦場に立つというのです。


 正直に申し上げて訳が分かりません。物語が転がりまくっています。帝国の侵略も初耳ですし、セリーヌ氏とクラリス氏が侯爵家の娘というのも初めて聞きました。初だし情報ばかりです。


「最近様子がおかしかったのは、この書簡が原因だったのか」


 セリーヌ氏へ問いかけます。彼女はこちらをチラリと見た後、再びテーブルをジーッと見つめました。


 重苦しい時間が続きます。誰も言葉を発そうとしません。もはやシンクさんの告白云々はどこかへ消え去りました。


 クラリス氏の手紙はまさしく遺言でした。王国軍の敗北を予見した彼女は、近親のセリーヌ氏に言葉を遺しました。しかしその内容はマーガレットの後継に関してではなく、ボボン王国の未来についてでもなく。自由に生きろの一言だけでした。


 私にはクラリス氏の考えが理解できません。彼女は自身の命と引き換えに領軍の兵士を生還させようとしています。20代そこそこの女性が背負うべき責任ではありませんし、逃げ出したって構わない。そう思ってしまいます。


 マーガレット領の評判は地に落ちるでしょう。ですが命よりもかけがえのないものなど存在しないのです。死んでしまえば終わりです。何も残りません。


「セリーヌ様は……セリーヌは、どうするつもりなんだい」


「どうもしねーよ」


「何もしない?それでいいの?」


「何かしたくても物理的に無理だろ。それに王国軍が勝つ可能性だってあるわけだし。勝てなくても姉貴が生き残ることだって有り得る。心配無用だろ」


 セリーヌ氏の声色からは感情が抜け落ちていました。本音なのか虚勢なのか分かりません。ですがここ最近の様子を見る限りでは、心配無用という言葉は全く信用できませんでした。


「シンクよ。確認したいのだが、クラリス騎士団長の戦略眼は確かなのか?彼女は書簡の中で敗北必至と断言しているが、どれほどの信憑性を持つんだ」


「そうだね…………残念ながら、団長の戦略眼は目を見張るものがある。まず大筋は外さない。あの御方が断言しているのであれば、ほぼ確実に王国軍は負ける。相手がハイデンベルクなら猶更だよ」


 ううむ、と唸りながら横目でセリーヌ氏を見ます。無反応です。まるで意に介していません。つまるところ彼女も王国軍の敗北を半ば認めているのでしょう。


 本来なら対岸の火事で済ませる問題です。ボボン王国とは縁もゆかりもない私が焦る必要などないのです。帝国は相変わらず元気だなぁで終わりです。


 しかし今回ばかりは無関係と言っていられません。セリーヌ氏は同僚ですし、クラリス氏とは知人関係にあります。彼女が遠い地で息を引き取る。現実とは思えません。どうしてこんなことになったのでしょう。


 すがるようにイケダさんへ視線を送ります。彼ならなんとかしてくれるかもしれません。ですがどうしたことでしょうか、天井を見上げながら「さん、さん、さん……」と呟いていました。奇行です。行動が謎過ぎます。期待した私がバカでした。


「本当にいいんだね」


「なにが」


「間に合わないかもしれない。でも、向かうことに意味があると、ボクは思う」


「ココハナ平原に行けって?」


「うん。ここで何もしないよりは、行動に移すのがセリーヌらし―――」


「間に合わなきゃ意味ねーだろ!!」


 セリーヌ氏が立ち上がりました。勢いそのまま目の前のテーブルを蹴り上げます。その角が正面に座っていた私の腹部を直撃しました。「ゴフッ」と零しながら椅子から転げ落ちます。痛いです。扱いがひどすぎます。


「あーしだって考えた。どうにか救えないかって。でも遅すぎた。どうしたって時間が足りない。この書簡が届いた時点でもう、詰んでんだよ。これから何か行動に移すとしたら、それは自己満に過ぎねえ。そんなん、やり切れないだろ」


 感情爆発を起こしたセリーヌ氏を見つつ、腹部を擦ります。


 傍から見る限りでは、セリーヌ氏とクラリス氏の仲は良くも悪くも無かったように映りました。謹厳実直なクラリス氏と自由奔放なセリーヌ氏。対照的だからこそ、つかず離れずの距離感を保っていたように思います。


 ですが違いました。姉は妹の未来を憂い、妹は姉の命を救おうとしています。マーガレット姉妹の絆はとてつもなく強いです。


「それともお前らなら姉貴を救えるとでも?シンク、ジークフリード、イケダぁ!」


 怒号をぶつけられたシンクさんは、愁いを帯びた目で彼女を見つめるだけです。どうもできないことが分かっているのでしょう。かく言う私も無言を貫くほかありません。


 そして最後の1人はと言うと。頬をポリポリ搔きながらあきれ顔を浮かべていました。


「あのー、シンクさん。本当にこんな女がいいんですか?ぶっちゃけ引いてますよ。いやほんとに」


 セリーヌさんを指さしながら問いかけました。話しかけられたシンクさんは驚きを隠せない様子です。


 もちろん私も驚いています。今度はどうしたというのでしょう。


「なんなんお前?脈絡なさすぎだろ。てかこんな女って言える立場か?あ?」


「言えますよ。バカ女が。ばーか」


「おま」


 煽っています。フィモーシスで一番煽るのが上手い相手を馬鹿にしています。しかもクラリス氏の危機を聞いた直後です。常軌を逸した行為としか思えません。


「ちょっとイケダさん。急にどうしたの」


「この馬鹿デブを説教しようかと」


「いや、あの、うーん。あんまり酷い表現は使わないで欲しいんだけど」


「説教?お前に諭されることなんてねーよ」


 左右から言われたイケダさんは、シンクさんの方を無視してセリーヌ氏へ向き直りました。


「分かっていたはずです。少なくとも可能性は見出していた。そうでしょう?」


「なにを」


「あなたの抱える問題を解決する方法ですよ」


「……………」


 押し黙りました。何か思うところがあったのでしょう。イケダさんは続けます。


「最初はお願いするつもりだった。だが途中で思いとどまった。恐らくは戦争へ巻き込むことへ忌避感を覚えたのでしょう。移動だけならまだしも、クラリスさんを救うとなれば、戦いへの介入は必須となる。それはつまり、帝国兵を殺すことに他なりません。あなたは尻込みした。果たしてそこまでの責任を負わせてよいものか。1人を救うために多くを殺害させる権利など自分にあるのか。そうしてあなたは、全てを諦めた」


 ぎぃぎぃと異音が室内に響きます。セリーヌさんが歯ぎしりする音です。悔しいのか、焦っているのか。いずれにせよイケダさんの言葉に心を動かされているのは事実です。


「黙っていることが優しさとでも思っていたのですか」


「言えばついてきただろ。自分の本心押し殺して」


 イケダさんはうんざりした様子で首を横に振りました。


「私はクラリスさんに恩義があります。彼女の手助けが無ければ強制労働、もしくは国外追放の憂き目にあっていました。フィモーシスで穏やかに暮らせているのも彼女のお陰です。いわば1度命を救われた身なのです」


 一呼吸おいて再び話し出しました。


「恩義という意味ではセリーヌさん、あなたにもあります。魔法を使用できなくなった私を庇護してくれました。もしもあなたが隣にいなければ、一般人以下の私は死んでいたかもしれません。あなたもまた、命の恩人です」


 今までにない真剣な表情です。彼の本心であることが伝わってきます。


「だからって、戦争だぞ?桁が違えば規模も違う。一個人にお願いする範疇を超えてるし」


「やるかやらないか。出来るか出来ないか。判断を下すのはあなたじゃない。私です」


「じゃあ聞くけど。お前帝国兵を殺せるんか?大量虐殺できんのか」


「無理です。出来ません」


「え」


 誰もが予想していなかった答えでした。話の流れからして、戦争への介入に肯定するとばかり思っていました。これにはさすがのセリーヌ氏も目を見開いています。


「出来ないし、やろうとも思わない。クラリスさんを救うためだけならば、他にもやり様はあるはずです。その事について話し合うためにも、まずは相談してほしかった。あなたは強大な力を持っている上に頭脳明晰です。大抵のことは1人で解決できるでしょう。しかしどうしても個人で如何にもできない問題が出てきます。そのための共同体です。私たちがここに集っているのは、互いに助け合うためではありませんか?」


「……………」


 何ともいえない表情を浮かべるセリーヌ氏に対し、イケダさんはただただ真っすぐな眼差しをぶつけています。


 ここに至って私にも状況が分かってきました。クラリス氏の書簡を受け取ったセリーヌ氏は、真っ先にイケダさんへ相談しようとしました。マリス動乱において間近で彼の力を目撃したのですから当然の選択でしょう。


 しかし思いとどまりました。お人好しのイケダさんにお願いすれば助けてもらえるかもしれない。一方で彼の心に深い傷を負わせてしまう可能性がある。葛藤した結果、黙っていることにしたようです。


 セリーヌ氏らしくない、と言えるほど彼女を知っているわけでもありません。シンクさんのおっしゃる通り、心の奥底は優しいのでしょう。



 室内に沈黙が広がります。セリーヌ氏が話さない以上、誰も口を開くことは無さそうです。


 1分程経過したのち。しびれを切らしたのか、未だ沈黙を貫くセリーヌ氏に近づいたイケダさんは、彼女の肩をガッと掴みました。


「どうしてほしいか言ってください」


「…………」


「どうしてほしい」


「………」


「言え」


「………」


「言えよ!」


「うるせえ!!!」


 突然でした。イケダさんが大声を上げたかと思いきや、それを上回る声量でセリーヌ氏が言い返し、イケダさんの左頬をグーで殴りました。


 もちろん反応できなかったイケダさんは、背中を壁に打ち付けてそのままずるずる落ちていきました。


「じゃあ言うよ。言ってやんよ。姉貴を助けろ。てめえの全力を持ってクラリス・マーガレットだけでも救え!」


「え‥…あ、あの、ななんで殴られたの……」


「救えやごらぁ!」


「おおお……」


 セリーヌ氏が馬乗りになって首をガクガクしています。対するイケダさんは混乱の極みに達していました。彼の想定とは異なる展開のようです。確かに意気消沈していた女性がいきなり殴りかかってくるなど誰も想像できないです。


「ちょっと、セリーヌ落ち着いて。イケダさん死んじゃうよ」


「こいつを殺してあーしも死ぬ」


「なんでそうなるの」


 イケダさんだけではありません。セリーヌさんも混乱しているようです。唯一まともなシンクさんが仲裁に入ろうと両者に近づきます。


 しかし彼を止める者がいました。セリーヌさんの肩越しに右腕をにゅっと突き出し、近づくなと手振りします。


「は、初めに言っておきます。私は誰も彼も助けるつもりはありません。クラリスさんも手紙でおっしゃっていたように、私が救いたい人だけ救います。いいですね」


「構わん」


「もう1つ。状況によっては王国軍に刃を向ける可能性があります。マーガレット家と王国の関係悪化をもたらすかもしれません」


「イケダさん、それは……」


「関係ねえ。姉貴が死ねば、どのみちマーガレットも終わる。王国に追放されたらフィモーシスに移り住めばいいし。いいよな市長?」


 唐突に問いかけられました。コクッと頷きます。


「だったら、憂いはありません。行きましょう。王国軍に勝利を捧げるでもない。戦争を終わらせるわけでもない。たった1人を救うために」


 突如として白光が放出されました。セリーヌ氏に馬乗りされたイケダさんの背中からです。直視していられずに目を逸らします。


 光が部屋中を覆い、臨界点を突破しそうになったその時、イケダさんが絞り出すように声を発しました。


「あぁと、シンクさん。1つ訂正させてください。私はその、えーと、なんというか、えー、別の女性でした。勘違いでした。だから、安心してください。誤解させてすみませんでした」


 一気に光が収束しました。視界が開けます。すぐにイケダさんのいる方向を見ます。


 予想通り、彼は消えていました。セリーヌ氏の姿もありません。


 シンクさんと顔を見合わせます。彼は苦笑を浮かべながら小さく息を吐きました。


「かなわないね」


 頷きます。


 いざという時だけは、頼りになる男なのです。

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