第164話 開戦
ココハナ平原に朝の爽やかな風が流れ込む。クラリスはたなびく金色の髪を抑えながら前方を見つめた。
既に魔法部隊同士による前哨戦は終えていた。互いに8割程度の魔力を失い、損害は無し。他の戦争と同様の光景だった。
もしくは初っ端から仕掛けてくるかとクラリスは身構えたが、ハイデンベルクに動きは無かった。いつどんなことをしてくるか分からない恐怖に彼女は支配されていた。
事前の情報によると帝国軍の兵力は5万。前方に広がる部隊を確認しても、妥当な数字のように思えた。対する王国軍は10万。
野戦では数がモノをいう。兵力2倍差の前に戦術を語る余地はない。つまりこのまま歩兵部隊がぶつかれば、王国軍が勝ってしまう。
クラリスは大きく首を横に振った。勝つなら勝つで問題ない。当初の目的は達成できる。だがその見込みは限りなく低い。
普通に考えたら分かる。兵力で劣っているにも関わらず戦争を仕掛けてきたのは、兵力差を覆す何かが存在することに他ならない。5万という数字は撒餌だ。王国軍はまんまと餌に飛びついた。
クラリスはこの10日間、考えに考え抜いた。帝国軍の狙い、必勝の策、回避方法。いくつか思いつくものはあった。だが確信が持てなかった。理性は同意を示すものの、直感が違うとささやき続けた。
クラリスに混乱をもたらす一番の原因はハイデンベルクの存在だった。凡将でもなければ知将とも少し違う。いわゆる鬼才であり奇才な将軍は、常識の外から勝機を見出す化物だった。
一方のクラリスは常識内で最善を選択することに長けていた。彼女にとってハイデンベルクは天敵のような男だった。
「クラリス様。帝国が進軍を開始しました」
赤ら顔の将軍から報告が入った。4名の指揮官はそれぞれ自身の部隊を率いなければならない。だが彼だけはクラリスの傍を離れなかった。
「真正面から?特殊な動きはないのか」
「ありません。不気味ですね」
首肯する。ここに至って何も見えてこないのは致命的だった。もしくはハイデンベルクが総指揮官という情報はブラフだったのか。戦のいの字も知らない内政官が指揮を務めているのならまだ理解できる。しかし帝国がそんな馬鹿な真似をするはずもない。
クラリスが頭を悩ませていると、前方から喚声が上がった。
「前軍が接触したようですね」
「ウィングス侯爵か」
王国軍の隊列は前からウィングス領軍、その他領軍、エレガンスイブ領軍、ロイド領軍、マーガレット領軍となっていた。最前線のウィングス領軍が接敵した事実を、クラリスはどう受け止めていいか分からなかった。
「本当に、何も無いのか」
「ハイデンベルクを買い被りましたかな」
赤ら顔の将軍と顔を見合わせる。自分で発した言葉を信じ切れていないように見えた。
魔法は無い。既に役目を終えた。近接でも大きな違いは生み出せない。個の力など限られている。
だとしたら。
だとしたらなんだ。
「………ん?」
ふと違和感を覚えた。心理ではない。物理的だ。
見上げる。先程まで一面を照らしていた太陽が隠れていた。それ自体は不思議でも何でもない。
太陽を隠した物体が問題だった。明らかに雲ではない。黒く歪な形をしている。
気づく者が現れたのだろう、未だ後方待機にも関わらず周囲のざわつきが増していた。
「あれは、なんですか」
クラリスは赤ら顔の問いに応えられなかった。何かは分からない。ただし、誰の仕業かは見当がついた。
陽射しが遮られていたのはほんの数秒だった。太陽は変わらずそこにあった。
クラリスは上空を見渡した。黒い物体は、いた。太陽を通過した黒は、両軍の上空を何度か旋回した後、王国軍の後方に移動した。
近付くにつれ、徐々に全貌が露わとなる。物体は巨大であり有機物だった。そしてその姿には見覚えがあった。
ただクラリスが直接相対したのは赤い外見だった。黒は知らない。知らないし、知りたくもなかった。
殿を務めるマーガレット領軍の更に後ろへゆっくり降り立った。いっぱいに広がった羽ばたくソレは、間違いなく空の覇者であることを示していた。
「GYAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
絶叫が戦場に響き渡る。声量はレッドの比ではない。そして文献で覚えている限りだと、有する力も数倍だったはずだ。
「ブラック、ドラゴン」
クラリスは呻くようにつぶやいた。
常識の外にも程がある。
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