第163話 脅迫
指揮官達との話し合いを終えたクラリスは、自身にあてがわれた天幕へ戻った。
入ろうとして足を止めた。誰かが入口に立っていた。かがり火のお陰で顔がはっきりと見える。
「ロイド伯爵」
ロイド領軍の総指揮官だった。細い眼のキノコ頭。体型もふとましい。絵にかいたような貴族様。
フラワー砦の軍議で猛烈にクラリスを批判した人物でもある。その影響もあって彼女はロイド伯爵を苦手としていた。
「遅かったじゃないかマーガレット。どこへ行っていたんだい」
「どこへ行こうと貴方に関係がありますか」
「まぁ、ないけどね」
そう言ってニタニタと笑った。酷く嫌悪を抱かせる笑みだった。
次に彼の口から出た言葉は、表情に違わぬ内容だった。
「戦が始まる前に逃げ出すことを考えるのはどうかと思うなー」
「…………」
クラリスは瞬時に察した。マーガレット領軍の軍議を盗み聞きされていたと。
周囲に気を配っていたつもりだった。だが流石貴族様というべきか、狡い手段には長けているようだ。
「エレガンスイブ公爵に伝えたらどうなるかなぁ。ねぇマーガレット、どうなると思う?」
「何が言いたいのでしょう」
「今後はボクの命令に絶対服従。もちろんあれもこれも」
ロイド伯爵がよりいっそう邪悪な笑みを浮かべる。
脅迫を受けたのは初めてだった。侯爵家の息女であり、王国騎士団の騎士団長まで上り詰めた彼女を脅そうと考える者はいなかった。
「参考までに。もしも我が領軍が撤退を最優先に考えていることを知ったら、大都督であられるエレガンスイブ公爵はどのような処罰を下されるでしょうか」
「戦場からの更迭は間違いないね。マーガレット領軍はそのままエレガンスイブ公爵の指揮下に入るかな。マーガレット侯爵の立場も著しく悪化するだろうねぇ。流石に降格は無いと思うけど、転封はあるんじゃないかな。それもすっごい僻地にね」
「そうですか」
一通り聞き終えたクラリスは天幕の入口、ロイド伯爵のもとへゆっくりと近づいた。伯爵はでっぷりしたお腹をさすりながら、クラリスが自分に落ちたことを確信して笑みを深めた。
しかし彼はクラリスの覚悟を見誤っていた。そのことに気づいたのは、自身の首が彼女の右手に握りしめられた後だった。
「がっぁ、う、が」
「苦しいですか、ロイド伯爵」
感情を失った表情で肥満体の男を見下ろす。
「痛みや苦しみを感じられるだけマシです。数日後には無へと帰す。伯爵の貴方にも死は訪れます。どうして貴方が死を恐れていないのか、私にはわかりません。貴族は死なないとでも思っているのですか?死は平等です。特権階級では守り切れないモノが確かに存在します」
ロイド伯爵からの反論は無かった。正確には声を発することが出来なかった。細い腕としなやかな指からは想像出来ないほどの握力で首を圧迫されていた。彼は呻き声を上げるだけで精一杯だった。
「私は、私の死を受け入れました。父に名代を命じられた時点で、マーガレット領には戻れないことを覚悟しました。その私に脅迫が通じると思いますか?マーガレットの名声を落とすことが怖いとでも?片腹痛いですね」
「ぐぅ、ぐびぃを」
「私は逃げない。名代として、マーガレットとして責任は果たす。それが私が私であるための唯一の手段だから。ですが領軍は違います。彼らに責は無く、また無駄に命を散らす必要もない。ロイド伯爵、あなたの双肩はどれほどの命を背負っていますか?私は2万です。彼らを生還させるためならば何でもやります。伯爵殺しだって厭わない」
赤みを帯びた伯爵の顔に青色が差し込む。ロイドはクラリスの言葉が嘘ではないことを実感していた。このままでは本当に殺される。だが腕力ではかなわない。言葉も発せられない。八方ふさがりだった。
ふっと首の圧迫が緩んだ。そのまま地面に倒れつつ大きく咳き込む。全力で空気を吸う。
身体じゅうの至る所から液体が流れ出ていた。涙も鼻水も汗も止まりそうにない。ロイドは満身創痍で頭上を見上げた。
すぐそこにクラリスの顔があった。今まで見たことがない妖艶な笑みを浮かべていた。
「伯爵。先程の件は誰にも言わないでください。エレガンスイブ公爵はもちろん側近にも漏らさぬように。約束してくださいますね?」
伯爵はグチャグチャの顔で大きく頷いた。マーガレットが怖かった。覚悟を決めた人物が示す思い切りの良さに対抗する術は無かった。
クラリスはロイド伯爵に反抗の意思がないのを確認した後、彼の横を通り過ぎて自身の天幕へと姿を消した。
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