第162話 前夜
フラワー砦を出発した総勢10万の王国連合軍は南へ進路を取った。小休憩を挟みながら進軍を続け、日の落ちる頃に野営の準備を始めた。
マーガレット領軍2万の総指揮を務めるクラリスは、それぞれ5千の兵を率いる4名の指揮官を呼び出した。4名はいずれも中年の偉丈夫であり、当主である父親が見出した平民出の者達だった。
「率直な意見を聞きたい。この戦はどうなると思う」
クラリスの問いに赤ら顔の男がしかめ面で返した。
「敗北必至でしょう」
「理由を聞こう」
「敵の指揮官がハイデンベルク。それだけで十分です」
頷く。兵力差、士気、戦場、いずれも些末だ。常勝不敗が戦の場に立つことすなわち、帝国の勝利が確定したようなものだ。
「王命が出ている以上、戦の回避は不可能だった。故に長引かせて勝機を待つか、他国の協力を得るか。いずれも軍議で提案したが一蹴された」
「王国らしいですね。はっはっは」
赤ら顔の隣に座る男が大きな口を開けてガハハと笑う。この男はどんな時でも笑っている印象がある。
「私は即座に頭を切り替えた。どう勝つかではなく、どう生き残るか。どれだけの兵士をマーガレット領に帰還させられるか」
「そもそも参戦しないという手は………無理か。ノブレス・オブリージュでしたか。貴族には果たさなければいけない義務がある」
長髪の男がうーんと唸った。マーガレット領の中でも博識かつ頭の回転が速いことで有名な人物だった。
「戦場に立つ以上、勝手な行動は許されない。まずは命令通りに戦う。万が一にも優勢のまま撃退できようものなら何もしない。だが少しでも敗北の臭いを感じた瞬間に撤退を開始する。後から何と言われようと問題ない。刃を交えたうえでの退却は情状酌量の余地があり、そのほとんどは軍法会議にもかけられない」
「撤退の判断が早すぎませんか?我らの撤退がキッカケで敗北する可能性は否定できません」
坊主頭の柔和顔が優し気な口調で疑問を投げかける。
「恐らく、全てを理解してから動いても遅い。予兆の時点で動き出さなければ。ハイデンベルクとはそれ程の男だと思う。そこで貴方達にお願いしたいことがある。貴方達には私にはない歴史がある。経験がある。その歴戦の眼をもって戦場の違和感を見つけ出してほしい。早期発見が撤退リスクの軽減に繋がる」
「お願いではなく命令では?」
「私は私が未熟であることを知っている。特に数万規模の戦いは経験したことがない。必然的に貴方達を頼ることとなる。立場上そうする必要があったとしても、道義的に命令など出来るはずもない。だからお願いだ。どうか私の力になってくれないか」
クラリスの言葉に4人は顔を見合わせ、一斉に苦笑いを浮かべた。彼女には彼らの心情が理解できなかった。
「いやはや。セリーヌ様は母親似でクラリス様は父親似だと思っていましたが、当主様ともまた異なる考えをお持ちのようだ。失礼な物言いに聞こえたら申し訳ありませんが、今ほどあなたが男だったらと思うことはありません」
「次期当主の件か。少し前までは性別を気にしたことなど無かった。だが今は女性で良かったと思っているよ。理由は秘密だがな」
そう言ってクラリスは笑みを見せた。妻帯者の4人を動揺させる程度には破壊力があった。
「私が見くびられたのか、それとも他の領軍が功を欲したのか。幸いにもマーガレット領軍は最後尾に配置される。殿軍と言えば聞こえはいいが、その実態は後方待機だ。しかし今回ばかりは都合が良い。我らの撤退を遮るものは無い。最善は4部隊全てが同じ方面に退却することだが、難しければ散り散りもやむを得ない。大事なのは命を繋ぐことだ」
「クラリス様はどうされるのですか」
「私は最後まで残る」
「は?」
赤ら顔の声を無視して続ける。
「名代ではあるものの、私はマーガレット領軍の総指揮官だ。領軍の決断、行動に対して責任を取る必要がある。責任とはすなわち、自らが最も危険な個所に立つことと他ならない。私は私の言動が正しいことを証明するために、死地を歓迎する」
4人は信じられないものを見るような眼でクラリスを見つめた。30にも満たない女性の言葉とは思えなかった。
「いえ、駄目です。私は当主様から、何があってもクラリス様だけは守るよう強く言われております」
柔和顔の言葉にクラリスは冷たい視線を向けた。
「それはない。絶対に父はそんなことを言わない。その証拠に平民出の貴殿らが指揮官に任命されている。つまるところ父はレニウス軍との緒戦を捨てたのだ。我らは全員、マーガレットの体面を保つための捨て駒に過ぎない」
柔和顔が押し黙る。クラリスの指摘は彼らも気づいていたことだった。
指揮官の出自は大きく分けて2つある。1つは彼らのように平民から成り上がるルート。もう1つは貴族の世襲により受け継がれるルート。
実力は前者に分がある。だが優先順位は貴族が上だった。必然的に彼らのような出自は死地に追いやられる。その経験がまた彼らを強くする。
以前から指揮官の力に差があることは問題視されていたが、是正される気配は皆無だった。少し前にセリーヌが「努力を忘れてブタのごとくブクブク太るばかりの貴族共を間引いてやれば、この国も少しは良くなるだろ」と口にしていた。その時は気が狂っていると一蹴したが、今思うと間違ったことは言っていないように感じた。
「体面は保つ。だが無駄死にはさせない。この戦で生き残りさえすれば、北の諸侯が増援でやってくるはずだ。戦経験豊富な彼らならば、帝国が相手でも勝機を見いだせよう。ここさえ生き残れば」
一拍置いて再び話し出す。
「兵士を生還させるためには、彼らを指揮する者の生存が不可欠だ。つまり貴方達だ。貴方達が死ぬことは許されない。絶対に生き残れ。そしてマーガレット領へ」
『………………』
4人が言葉を交わすことは無かった。ただ互いの心中が一緒であることは明白だった。
この御方だけは死なせてはならない。
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