第160話 好きっていいなよ。

 自室のドアがノックされた。


 一瞬無視しようかと思ったが、この部屋を訪れるということはそれなりの要件に違いない。セリーヌは小さく息を吐くと、テーブルの上に広げられた書簡をベッドの中に押し込んだ後、重い腰を上げドアを開けた。


「セリーヌ様」


 立っていたのは元ボボン王国第一騎士団の副団長にして、現フィモーシス副市長のシンク・レイだった。彼の背後には市長のジークフリード、そしてイケダの姿もあった。


「あー、なに?」


「とても大事な話があるんだ。中に入ってもいいかな?」


「んー。まぁいいよ」


 驚いている3人を無視して部屋の中に戻る。どうせ断られるとでも思っていたのだろう。


 普段の自分なら「乙女の部屋に入ろうなんざ10年早いわ」などと一蹴していた。だがそんな気分でもなかった。


 3人を適当な椅子に座らせる。セリーヌ自身はベッドの上に腰を下ろした。


 彼らの表情をうかがう。三者三様だった。1人は真剣な眼差しで1人は戸惑いの顔、1人は苦笑いと泣き笑いが混ざったような要領を得ない表情だった。


 男連中、特に黒髪の変態と緑肌の人外が結託するとロクなことがない。今回も多分に漏れぬことは間違いない。


 セリーヌはこれ見よがしに大きくため息をついた後、シンク・レイに用件を尋ねた。





 ★★★★





 普段の彼女を見ていれば、汚部屋の住人であることは想像に難くない。俺も初めて訪れるまでは、物が散乱した部屋を想像していた。


 だが予想は裏切られた。意外にもセリーヌの部屋は整頓されていた。物自体は多い。ただ衣類やゴミが無造作に床へ放り投げられていることはなかった。


 セリーヌという女は複雑だ。常にケンカ腰かと思えば、ふとした拍子に優しさを垣間見せる。食い意地が張っている一方で、食べ方には気品を感じる。決して褒められた容姿ではないものの、男性との噂は後を絶たない。


 隣の男もまた、彼女に魅了された1人だった。シンク・レイ。絵に描いたようなイケメン騎士。真剣な眼差しでセリーヌを見つめている。


「で、話ってなに?忙しいから手短に頼むわ」


「分かった。単刀直入に言おう。ボクは」


「た、タイム!タイムタイム!」


 すんでのところで割り込む。一方はなんだこいつ?という表情、もう一方は不審げにこちらを見つめている。


 シンクとセリーヌの関係性、いつからの付き合いなのか、彼女は彼の事をどう思っているのか。何一つ明確な答えは持たない。


 ただ直感が囁いた。シンクの告白を止めろと。どう見ても成功するとは思えない。


 恋愛経験少なめの俺でさえそう感じる。特に挙動のおかしい今、告白するのは愚の骨頂だ。


 止めた。止めたのはいいが、これからどうすればいいのだろう。シンクを部屋から退出させる流れに持ち込むのが良きか。


「イケダさん。やっぱりあなたが立ち塞がるわけだ」


「え。いや、あ、そういう意味で止めたわけではなくてですね」


「だったらどういう意味かな」


 ニコニコフェイスで問いかけてくる。今はその笑顔が怖い。


 彼は俺もセリーヌを好きだと思っている。先に告白されるのを防ぐために、ちょっと待ったコールをしたと。


 訂正するべきだろうか。勘違いだった、俺はセリーヌを恋愛対象として見ていないと。


 脳が警鐘を鳴らしている。情報開示は得策と言い難い。まずセリーヌの前で彼女を否定する発言はNGだ。シンクは喜ぶかもしれないが、セリーヌの好感度はグッと下がる。地の底まで落ちる。


 セリーヌではない=セレスが好きと確信されるのも控えたい。他人の力を借りて彼女との距離を詰めようとは思わない。むしろ逆効果になり得る。彼ら彼女らがそうするつもりはなくとも、知ってしまえば歪が生まれる。知ることで変わってしまう。


 難局だ。俺が好意を持つ対象を気取られずに、いかにこの状況を終息させるか。


 これが大人の恋愛。難しすぎる。


「お前らさ。意見まとめてから来いよ」


「あー、その、そうだ。最近セリーヌさんの様子がおかしいので、どうしたのかなと」


 セリーヌの方へ振り返る。稀に見る能面フェイスだった。常に喜怒哀楽が爆発している彼女からは想像出来ない無表情だ。


 背後をチラ見する。シンクが口を挟んでくる様子はない。彼も気になっている部分ではあるのだろう。


「数日前から明らかに口数が減りましたよね」


「んなことねーよ」


「そんなことありますって。夕ご飯もあまり食べなくなったし、外に出歩かなくなったし。あなたの中で何かがあったのは確実です」


「だから何もねーって」


「噓ですね」


「じゃあ生理。生理中だからイライラしてた。これでいい?」


 ウッと言葉に詰まる。伝家の宝刀を出されてしまった。「男には分からない」という理由で反論を遮断する魔法の言葉だ。


「我々には話せない。そういうことか」


 オークの世界には生理が存在しないのか。魔法の言葉を無視してセリーヌに問いかける。


「話しても意味が無い」


「意味の有無は我々が判断する」


「それでも嫌だ」


 瞳が揺れる。ハッキリとした狼狽が見て取れた。ただその先が遠い。


 彼女は筋金入りの頑固だ。それでいて大事な事ほど他人に頼らない傾向がある。


 もはやこれまでかもしれない。そう諦めた最中、隣の男が徐に立ち上がった。テーブルを回り込んで彼女の隣に移動する。


「この部屋はとても整頓されている。性根が表れていると言っていい」


「あ?急に立ち上がってなんなん?」


「ただし。不自然なところが1か所だけある。まるでらしくない。特に人の視線が無い部分ほど気を遣う貴女にしては、考えられない光景だ」


 シンクはそう言うや否や、ベッドの上でグチャグチャにされた毛布に右手を突っ込んだ。


「ちょ、てめ!」


 セリーヌも立ち上がり止めようとする。しかしそれよりも早く、シンクが毛布から何かを取り出した。


 白い便箋が数枚。こちらの世界で言う書簡とやらだろうか。


「セリーヌ様の様子がおかしかったのはこれが原因、かな。差出主を聞いても?」


 シンクがセリーヌに手紙を突き付ける。果たして彼のやっていることはプライバシーの侵害であり、窃盗罪にもなり得るが、大きな愛の前では誰も彼を止めることはできない。ジークと共に成り行きを見守る。


 彼女の腕力なら手紙を奪い取ることも出来ただろう。しかしこれ以上の抵抗は無駄だと悟ったのか、それとも本当は誰かに聞いてほしかったのか。


 首を横に振って大きく息を吐いた後、ポツリと言葉を漏らした。



「それは…………姉貴だよ。姉貴から来た書簡だ」

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