第150話 レミニセンス

 名はマリン。年齢は13歳。


 奴隷商に売られたのは10歳頃だった。お人よしの父親が、知人に貸したお金を踏み倒されたのが原因だった。マリンにはどうしようもなかった。両親のその後は知らない。


 セリーヌに買われる前は小金持ちの冒険者が主人だった。ダンジョン探索で一山当てたらしい。一生分の大金を経た中から、念願の奴隷少女を購入した。


 奴隷主が冒険者ということもあってマリンは粗野に扱われた。身の回りの世話はもちろん、筆舌に尽くし難いこともさせられた。


 あまりの扱いに自死することも考えた。だが出来なかった。自分を殺せるほどマリンは強くなかった。


 冒険者の男はあっさり死んだ。酒場でのケンカが原因だという。マリンは再び奴隷商の元へ戻った。それがフィモーシスに来る10日前だった。


 マリンにとって大人の男は敵だった。恐怖の対象であり、軽蔑すべき相手でもあった。その範疇には父親も含まれていた。


 彼らが自分に欲情することは過去の経験から分かっていた。10の歳を超えてより例外は無かった。特に自分から誘った場合は1度も断られた試しがなかった。


 だが目の前の男は拒絶した。マリンには意味が分からなかった。なぜこのような男が断れるというのか。顔も薄ければ存在感も薄い。人生で1度も人気者となった経験などありそうにない脇役が、千載一遇の機会を逃すなど理解できなかった。


 当の本人は料理長トランスが煎れたお茶を味わうように飲んでいる。その左隣にはレイ副市長、右隣にはセリーヌ奴隷主を従えていた。


「それで。僕達はどうして呼ばれたのかな」


「しょぼい用事だったら承知しねーぞ」


 2人はマリンに視線を送りながらイケダに問いかけた。彼は湯呑をテーブルに置いた後、小さく息を吐いて話し出した。


「もし私が、この子とエロいことしたいと言ったら、どうします?」


 一瞬で場の空気が凍り付く。両隣の2人はもちろん、マリンも動揺を隠せなかった。このヒトは唐突に何を言い出したんだろうと。


 シンク副市長は頬をポリポリかきながらイケダへ視線を送った。


「えーと。僕からは何とも言えないね。本来は双方の合意が必要だと思うけど、奴隷だしね。奴隷主であるセリーヌ様の許可さえあればいいんじゃないかな」


 そう言ってイケダから金髪の女性へ視線を移した。セリーヌは口の中で粘着物を噛みながら吐き捨てるように言った。


「あのさぁ………お前、あーしより先に奴隷の小娘抱くとかどういう神経してんの?先ずセリーヌより始めよって言葉もあんだろうが。ほんとありえん。異常性欲者かよ」


「いやいや。セリーヌさんを抱く方が異常でしょう。というかその返しで合ってます?」


「てめぇ。あーしが今までどんだけの男を相手してきたと思ってんだよ。高く見積もってもお前の経験人数なんて1~2人だろ。あーしはその数百倍。戦闘力でいえば50万越えよ」


「え。それじゃあお願いしたら相手してくれるんですか?」


「は?なんでお前みたいなゴミくずゲロチンポと一戦交えなきゃいけねーんだよ。付けあがるんじゃねーぞガキが。皮むいてから出直してこい」


「誰が包茎だデブ!」


 マリンの混乱は続く。何一つ会話が理解できなかった。セリーヌの返答はもちろん、イケダが立ち上がって激昂した意味も分からない。


 更に意味不明なのは、セリーヌとイケダのやり取りを見つめるシンク副市長の目つきだった。様々な感情が込められているように思えた。ただマリンには彼の葛藤を慮る余裕は無かった。


 肩で息をしながらセリーヌを睨むイケダだったが、我に返ったのかスンとした表情に戻って自分の席へ着いた。マリンは気味が悪いものを見るような視線を送った。


「まぁ冗談はここまでにして。本題へ移りましょう」


「アイドリング下手すぎだろ」


「うるさい。えー、奴隷さん。セリーヌさんに何かお願いしたいことがあるんですよね」


 イケダが真っすぐに見つめてきた。マリンはどう言っていいか分からなかったので下を向いた。


「おい。顔上げろや」


「わたし、お願いしたいことなんてありません」


「なわけ。このチンポがあるって言ってんだからあるだろ。さっさと言え」


 マリンは疑うような眼をセリーヌへ向けた。イケダとセリーヌは先程まで汚い言葉で罵り合っていた。その相手に対してこの信頼感は何だろう。


 奴隷のリーダー格がイケダに目を付けた時点では半信半疑だった。果たしてイケダに他者を従わせる力などあるのか。しかし目の前のやり取りは、リーダーの観察力が正しいことを証明していた。


 それでもマリンは躊躇した。誰かを間に通すのと本人に直接伝えるのでは、成功する確率が大きく変わる。無理なお願いなら猶更だ。


 本来はイケダを間に挟んでセリーヌに伝えるつもりだった。緩衝材の役目を果たしてもらうはずだった。だが今となっては叶わない。セリーヌという奴隷主が曖昧を許さないことは知っている。


 マリンは覚悟を決めて訥々と話し出した。


「わたし、私たちは奴隷です。セリーヌ様はもちろん、レイ様やイケダ様の命令にも従います。やれと言われたら何でもやります。ただ、でも、終わりが見えないのは苦しいです。終わりがあるからこそ、ヒトは頑張れると、そう思います。だから、無理なお願いなのは分かっていますが、どうか期限を設けて頂けませんか。私たちがいつまで頑張ればいいか、その期日を」


 一気に話した後、再び下を向く。彼らがどんな表情をしているか見ていられなかった。


 数秒の沈黙を経て、マリンから見て左側から声がかかった。


「つまりどこかの時点で奴隷の身分から解放してほしい、そういうことだね」


「そう、なります」


「うーん、なるほど。それは奴隷全員の総意かな」


「…………」


 マリンは答えに窮した。全員と言ってしまったら連帯責任を課される可能性がある。1人と伝えたら説得力が無くなる。どうしようもなく無言でいるしかなかった。


 シンクはマリンが黙っているのを見てセリーヌに話を振った。


「セリーヌ様はどう思います?」


「どうもこうも。生意気過ぎ。たった1か月働いただけでよく言えたなって感じ。身の程知れや」


「で、でも」


「奴隷に落ちた以上、いつ解放するかは奴隷主の自由だし。つまりあーしが死なない限り、一生奴隷も有り得るわけ。付け上がったガキ共を簡単に解放すると思うか?時期尚早にも程があんだろ、馬鹿が」


「…………」


 マリンは首を垂れながら下唇を噛んだ。想像しうる中で最悪に近い結果となってしまった。嫌な汗が止まらない。だから言いたくなかった。


 イケダへの激しい憎悪が沸き上がる。彼がシンクとセリーヌを呼んでこなければ、こんなことにはならなかった。責任転嫁なのは分かっている。元々は自分が蒔いた種だ。だが誰かのせいにしなければ心を保っていられなかった。


「あの~」


 顔を上げる。イケダがおずおずと手を挙げていた。とても自信が無さそうだった。この期に及んで何を言い出すつもりだろうと、マリンは胡乱げなまなざしを向けた。


「最初の話に戻りますけど。私がこの子とエロいことをします。その代わりに解放期限を設けてあげるというのはどうでしょう」


 一瞬で場の空気が固まる。例のごとくマリンは動揺を隠せなかった。


 このヒトはいつだって何を言い出すのだろうと。

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