第144話 弁慶の泣き所
ミラローマ氏の一言で場の空気は一変しました。言葉に出来ない嫌な感じが肌にまとわりつきます。
嫌な空気の発生源は誰でしょうか。分かりません。シンクさんは真面目な表情を保っており、セリーヌ氏は欠伸を噛み殺しています。トランス氏はいつもの無表情、イケダさんは何故か目を閉じていました。
トランス氏はミラローマ氏の右手に視線を落としながら言葉を紡ぎました。
「なんで」
「多角的な理由から秘書官は女性がふさわしい。しかしながらマーガレット侯爵のご令嬢では役不足だ。役目が小さすぎる。必然的にあなたしかいない」
「私も忙しい。毎日料理を作らなくちゃいけない。秘書なんてやる時間は無い」
「ミラローマ管理官。トランスさんの料理はフィモーシスの収入の大部分を占めています。彼女を料理に専念させることが復興に大きく寄与するかと思います」
トランス氏を擁護する形でシンクさんが発言しました。彼の言葉は説得力があるように思えました。しかしミラローマ氏は表情筋を動かさずに淡々と返答しました。
「小さい世界の小さな利益は考慮に値しない。宿屋経営で生計を立てるなど農村のやることだ。我らは文字通りフィモーシスを再建する。城塞都市アリアや摩天楼ガルパンのように素晴らしい基盤を創り上げる。最初に言った通り、貴様らは黙って従うだけでいい」
一蹴されてしまいました。梨の礫です。
私たちの理想図とミラローマ氏の設計図が大きく乖離しているのでしょう。素人と玄人の違いと言えば分かりやすいでしょうか。黙って従えと言うのは一見横暴に映りますが、その実復興・再建への近道かもしれません。
セリーヌ氏へ視線を送ります。相変わらずやる気が無さそうに椅子へ背中を預けています。そろそろ動き出すのではと思いましたが、その様子もありません。黙ってミラローマ氏に従うのでしょうか。彼女らしくないと言えるほど、彼女を知っているわけでもありません。
トランス氏はどうするのでしょう。ミラローマ氏は消去法で彼女を秘書に指名したとおっしゃっていました。紳士然とした彼の言葉には妙な説得力があります。黙って頷いてしまいそうな雰囲気を持ち合わせています。
しかしミラローマ氏が一瞬だけ見せた欲望に満ちた顔が忘れられません。見間違いだと思いたいです。そうでなければ、誰かが傷つくことになるでしょう。
「セリーヌさん、1つ提案があります」
声が上がりました。満を持しての彼です。視線を向けます。どうしてでしょう。未だに閉眼したまま腕を組んでいました。まるで意味が分かりません。
意味が分からないと言えば、彼の発言相手についてもです。ミラローマ氏に話しかけるならまだ分かります。なぜこのタイミングでセリーヌ氏なのでしょうか。しかも提案です。
ミラローマ氏やシンクさんが彼に訝しげな視線を送ります。私も同じ顔をしているでしょう。
セリーヌ氏が「なに?」と促すと、彼は何でもないことのように言い放ちました。
「この方々にはマリスへお帰り頂こうと思うのですが、どうでしょう」
『なっ』
驚いたのは私だけではありません。シンクさんやミラローマ氏も口を大きく開けています。
このヒトは唐突に何を言い出したのでしょうか。狂気の沙汰です。フィモーシスを破滅に追いやろうとしているに違いありません。
セリーヌ氏は立ち上がって大きく背伸びをした後、欠伸を噛み殺した表情で言い放ちました。
「言うの遅すぎだろ。どんだけ待たせんだって話。つかブタ、オーク。本来はてめえが前面に立ってぶち込むべきだから。腐っても市長だろうが」
なんとこちらもです。獅子身中の虫が大量発生です。しかも私にまで噛みついてくる始末です。これは反論せざるを得ません。
「は?我だと?いやちょっと待て。貴様もミラローマ管理官に反旗を翻すつもりか」
「パルメザンかペペローションだか知らんけど、ぽっと出のクソ眼鏡に従う道理はねーし。ダーイケ、お前も言ってやれや」
セリーヌ氏に対して口を開きかけたミラローマ氏でしたが、その前に彼女から促される形でイケダさんが発言しました。
「ミラローマさん。あなたは誰から何と言われてここへ来たのですか」
「マリス政府にフィモーシスの復興を託された」
「書類は?」
「ある。任命状だ」
「違います。私たちへの命令権が記された書類です」
ミラローマ氏が眉間に皺を寄せます。私には彼の心の声が推察できます。恐らく、こいつは何を言っているんだとでも思っているはずです。現に私がそう思っています。
「あなたにはあなたの仕事があるでしょう。それはいい。勝手にやってください。ですが私たちに命令しないでください。私たちは、私たちのやり方でフィモーシスを復興させます」
「貴様は、馬鹿なのか?大臣から派遣された復興・再生担当を無視するつもりか。それはつまり、ダリヤ商業国への反乱と捉えていいんだな」
「んなっ」
思わず立ち上がります。全く望ましくない展開を突き進んでいます。
昼行燈のイケダさんですが、やるときはやる男です。そしてやり過ぎることが多いです。想像を超える行動に出るので、こちらとしては慌てふためくばかりです。今回は何が彼を動かしたのでしょうか。
私にはイケダさんとセリーヌ氏の考えが分かりませんでした。ミラローマ氏の立場が上である以上、こちらは黙って従うほかありません。そうしないとフィモーシスの統治権をはく奪される可能性があります。
それでもいいと思っているのか、もしくは奪われない確信があるのか。いずれにせよ後戻りはできません。
「あなたが先程から口にしている大臣とは、ロスゴールド氏のことでしょうか」
「そう捉えてもらって構わない」
「だとしたらおかしいですね。彼は私の生命線を知っています。知っているからこそ、触れないよう注意を払っているはずです。そんな彼が、全てをぶち壊すような強硬手段を取るとは思えません。ミラローマさん。私たちを支配下に置こうとしたのは、あなたの独断ですね?」
「……………」
ミラローマ氏が黙ります。図星だったのでしょう。眼鏡の奥からは暗い双眸が垣間見えます。
それにしてもイケダさんの言い方は何なのでしょうか。変に芝居がかっています。少々のイラつきさえ覚えます。まるで保安員のようです。
「私はロスゴールド大臣を高く評価しています。だからこそあなたの行動が不思議でなりません。あなたは大臣の顔に泥を塗るつもりですか?もしくは……他の大臣の差し金とか」
ミラローマ氏の頬がピクリと動きました。今の反応はどういう意味でしょう。
「あー、はいはい。そういうことね。つかダリヤにも権力闘争とかあんのな。ロスゴールドがヤバすぎるから、誰も逆らわないと思ってたわ」
「マーガレット、どういうことだ。説明してくれ」
流石に分からなすぎるので問い質します。彼女は鬱陶しそうな表情を浮かべた後、面倒くさそうに口を開きました。
「基本ダリヤの方針は大臣の合議で決まってる。こいつがフィモーシスの再建・復興担当に選ばれたのもソレだろ。だから頭がロスゴールドって言ったのは間違っちゃいない。問題は別の頭もいて、そっちからも命令を受けてたこと。例えば、復興がてらフィモーシスを掌握してロスゴールドの弱みを握れとか」
「………なるほど」
一応頷いておきます。しかし実際のところ、半分くらいしか理解できませんでした。
聞いておいてなんですが、政治は専門外です。
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