第146話 マーガレットの憂鬱
「クラリス、お前の言うことも分かる」
諭すように彼女へ話しかけたのは、ウィングス領の領主ウィングス侯爵だった。今回の戦ではエレガンスイブ公爵の次に地位が高い人物となる。
「だがダリヤが動かぬ以上、我らのみで対処するほかあるまい。そうなると先手先手を打つ必要がある。確かにハイデンベルクは怖い。だからと言って砦に籠っていては、消極的な敗北が続くだけだ」
ウィングスとマーガレットは領土が隣接していることもあり、近しい関係にある。その影響でクラリスはウィングス侯爵と顔見知りだった。騎士団に入ってからは顔を合わせることも少なくなったが、それまではお互いの家族同士で食事をすることも多かった。
「いえ、ですが……」
「おいおいマーガレット。名代のくせに出しゃばり過ぎじゃないか?」
声を発したのは、クラリスから見て左側の席に座る男だった。ロイド伯爵だ。父親の死をキッカケに30代後半の若さで伯爵位に就いた。
「自分の立場というものを弁えろよ。お前の父親は偉い。だけどお前自身は何の爵位もない。ただの騎士団長様だ。公爵に意見を言えるわけもないだろう?」
ロイド伯爵は蔑むような視線をクラリスに向けてきた。
ロイドのような男は爵位持ちの中だと珍しくない。爵位こそが全てであり、爵位の無い者を見下す傾向にある。そんな醜い世界から抜け出すために騎士団へ入った。だが結果的に爵位を盾に威張り散らす男と相対している。マーガレットの姓を背負う以上、逃れられない運命かもしれない。
「ロイド伯爵、言い過ぎだろう。クラリスも王国のためを思って具申してくれたのだ」
「戦争の経験もない奴がしゃしゃり出る場でもないでしょう。分かってるマーガレット?魔物退治と戦争は別物なんだよ」
お前も戦争の経験なんてないだろうと、細い眼でニタニタ笑みを浮かべる男に言ってやりたかった。キノコのような変な髪形を鷲掴みにして振り回したい衝動にも駆られた。
ただそんな感情は億面にも出さず、無表情でウィングス侯爵を見つめた。彼はクラリスの意図を汲み取ったのか、再び諭すような口調で話し始めた。
「何度か斥候を送ったが、確かに5万しかおらん。目立つ兵士や獣も確認できなかった。大橋からの援軍も十数日は要するだろう。そして両軍の位置関係からして戦場となる場所はココハナ平原に間違いない。障害物も無く大規模な戦術の余地が生まれない以上、数で押しつぶす作戦に異論は唱えられない」
「私たちの思考はハイデンベルクに読み解かれていると思って間違いないでしょう。野戦を選択したのではありません。奴に選択させられたのです。つまり結末もハイデンベルクの思い通りとなるはずです」
「ならばどうしろというのか」
「籠城です」
「だからそれは……」
「ハイデンベルクは明らかに我らを誘っています。裏を返せば、戦を長引かせたくないとも捉えられます。理由は分かりません。とはいえ敵の嫌がることをやるのが戦いの常套です。私は籠城の先に勝機があると考えます」
クラリスの発言に室内は静まり返った。
ロイド伯爵の指摘は事実だった。クラリスは戦争を経験したことがない。しかし戦いはある。魔物相手はもちろん、ヒト相手も少なからず場数をこなしてきた。
一方で爵位持ちは戦いから遠のいている者が多い。戦争の経験があると言っても数十年前の話になる。今は書類仕事で1日を費やすのが大半だ。総大将のエレガンスイブ公爵やウィングス侯爵もその範疇に漏れていない。
「マーガレットさぁ‥…戦争を長引かせたくないのはこっちも同じだよ。どれだけ物資やお金がかかると思ってるの?」
「国が亡ぶのに比べたら遥かにマシです」
「だから。負けると思ってるのが大間違いなんだよ。5万対10万だぞ?増援の影もないし。敵も攻め込まれている方が攻めてくるとは思わないだろ。お前は色々考え過ぎなんだよ。それこそハイデンベルクとかいう奴の思う壺だ」
「我々を籠城させるのが目的だと?」
「そうそう。野戦を仕掛ける方が相手の虚をつくことになるんだって」
クラリスはロイド伯爵の眼を見ながら、こいつは駄目だと思った。ハイデンベルクという男を全く分かっていない。それどころか戦に対しても無知をひけらかしている。
しかしロイド伯爵以上に周囲の反応が恐ろしかった。彼の発言に首肯する人物が多かった。誰もかれもが考えることを放棄して戦争の早期終結を望んでいるのは明白だった。
せめて北方の領主がいればと思わずにはいられなかった。北に領地を持つ爵位持ちは隣接する小国との小競り合いで戦経験が豊富だった。ヒトとしても尊敬できる人物が多い。彼らがいればクラリスの発言を後押ししてくれたに違いない。今回は南方の帝国が相手ということもあり招集されていなかった。
エレガンスイブ公爵は周囲の反応を確認した後、クラリスに向けて口を開いた。
「色々と言ってもらって申し訳ないが、野戦は決定事項だ。王にもその旨伝えているため、今更変えられん。ただやる気があるのは大いに結構。後は戦の中で発揮してほしい。父に負けぬ勇猛さを期待する。では戦の準備に取り掛かろう。散会」
これ以上の反論は煩わしいとでも言うように、軍議は唐突に終わりを告げた。
周囲が退出する中で一人部屋に残ったクラリスは、失望を隠しきれない表情で目の前のテーブルを見つめるしかなかった。
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