第142話 帝国の胎動
ボボン王国。
エレガンスイブ公爵領の最前線に位置するフラワー砦には名立たる貴族が集結していた。その中には体調を崩した父に代わり、マーガレット侯爵の名代として参加するクラリスの姿もあった。
「みな集まったな。これより軍議を開催する」
コの字テーブルの真ん中に座る男が声を発した。
「改めて言うまでもないが、私が此度の総大将を務めるミュラー・エレガンスイブ公爵だ。よろしく」
エレガンスイブ公爵は見るからに貴族の様相を呈していた。気品あふれる口髭に肩まで届く長髪、瞳からは50歳を超えているとは思えない活力が溢れていた。
「デスパイネ、此度の経緯を説明しろ」
「はっ。僭越ながらロン・デスパイネ伯爵が説明させていただきます。戦の発端はレニウス帝国からの宣戦布告でした。キッカケと呼べる出来事はなく、単純な侵略目的かと思われます。その後何度か戦を止めるよう使者を送りましたが、誰一人として帰還を果たしたものはいませんでした」
戦という言葉にクラリスは小さく反応を示した。
事前に知らされてはいた。だが本当にこんな日がやってくるとは思わなかった。クラリスにとっては初めてとなる国同士の戦であり、祖国を守る防衛戦争だった。
「ここに至って戦は避けられないものとなり、わが国も戦いの準備を開始します。大橋を介して帝国と隣接する領地を持つエレガンスイブ公爵を旗頭とし、各地からフラワー砦へ兵を集めました。そうして招集されたのが皆々様です」
クラリスは周囲を見渡した。ほとんどが知っている顔だった。男爵、子爵はもちろん、伯爵、侯爵、公爵の姿も散見される。
「本来は先手を打ち大橋を封鎖したかったのですが、如何せんこちらの初動が遅く、またレニウスの動きが予想以上に早かったため、既にレニウス軍は渡河を終えエレガンスイブ領の南に陣地を構えております」
それにしても早すぎると、クラリスは心の中で舌打ちした。常に外側へ目を向け他国との戦に明け暮れているレニウス帝国に対し、権力闘争に拘泥し内側ばかり気をかけているボボン王国では、戦争の初動に大きな差があるのも頷ける。頷けるが、納得できるものでは無かった。
「敵軍は総勢5万。帝国の人口から換算すると明らかに少ない数であり、増援が予想されます」
「だからこそ今のうちに叩き潰す」
「エレガンスイブ公爵のおっしゃる通り、まず5万を殲滅。その後増援部隊を大橋の手前で待ち構える予定です。こちらは各領合わせて10万を有しています。まず負けることはないでしょう」
「明日には南進を開始する。10日後、つまり宣戦布告から1か月目に開戦だ。野戦で片をつけるぞ」
意気揚々と話すエレガンスイブ公爵を横目に、クラリスは周囲を見渡した。誰一人口を開く様子は無い。
公爵に遠慮しているのか、それとも自身の考えというものがないのか。いずれにせよこのままではいけないと思ったクラリスは「失礼します」と口を開いた。
「百戦錬磨の帝国軍が5万しか用意していない。宣戦布告してきたにも関わらずです。十中八九、罠とみるべきでしょう」
「ジョージの娘か。何が言いたい」
「野戦は敵の思う壺です。敵方の狙いが分かるまでは、フラワー砦に籠城するべきかと」
「馬鹿な。兵力で勝っているのにも関わらず籠城だと?」
「その思考が危険なのです。デスパイネ伯爵、帝国軍の総大将は判明していますか」
「ハイデンベルクです」
ハイデンベルク。帝国のナンバー3にして稀代の戦略家と言われている。常勝無敗の将軍としても有名だった。彼が戦場に出ることすなわち敗北を意味しており、帝国軍の本気度がうかがえた。
「"あの"ハイデンベルクが5万しか率いていない。明らかに誘っています。乗るべきではありません」
「総兵力と国力に大きな差がある以上、出鼻を挫かなければジリ貧となろう。相手が誰だろうと打って出る必要がある」
「ダリヤ商業国に協力を申し出てみてはいかがでしょうか。かの国の力があれば、帝国と同等に渡り合えるかと思います」
クラリスの提案に対し、エレガンスイブ公爵は首を大きく横に振った。
「打診はした。だが反応がすこぶる悪い。次は我が身だというのに。いったい何を考えているのか。そもそもロスゴールドの小僧が経済大臣になって以降、かの国は非常に扱いづらくなった。もはや友好関係とは呼べぬかもしれん」
エレガンスイブ公爵の言う友好とは、対等な関係を指しているわけではない。ボボン王国が上に立つことを意味している。
今までは王国の絶対優位で物事を進めてきた。だがロスゴールドの台頭が二国の関係を変えた。ロスゴールドは経済力を盾に王国へ対等な関係を求めてきた。
「付け加えさせていただくならば、現在首都マリスには多数の物資、冒険者が集められているようです。少し前にマリスがSSS級の魔物に襲撃される事件もありました。もしかすると再び襲われると考えているのかもしれません。つまるところ、ダリヤ商業国は我らの戦争に介入する余地は無いと思われます」
「それで反応が悪かったのか」
デスパイネ伯爵の言葉にエレガンスイブ公爵が渋い表情で頷いた。
クラリスはロスゴールドの動きに違和感を覚えた。デスパイネ伯爵の解釈におかしな点は無い。自国の防衛を優先するのは至極当然だ。しかしロスゴールドともあろう者が、隣国の危機に静観することなどあるだろうか。
対帝国という意味ではダリヤとボボンは2つで1つだ。片方が潰れると、もう片方も自動的に瓦解する。ロスゴールドにその認識が欠如しているとは思えない。だが助力を躊躇している。
つまり、以前にマリスを危機に陥れた災厄と同等もしくはそれ以上の危険が同国へ迫っているとみて間違いない。
マリス動乱の詳細はクラリスも聞かされていなかった。ロスゴールド大臣が緘口令を敷いており、特に他国の政府関係者にはほとんど情報が届いていない。クラリスは妹のセリーヌ経由で事件の概要だけは知っていた。だが災厄は何者で誰が打倒したか等何も分かっていない。
レイ副隊長の無期限謹慎も寝耳に水だった。上層部が勝手に決定して、勝手にいなくなった。別れを告げる暇さえ無かった。
クラリスが知っていることは、セリーヌを除くフィモーシスに集められた4名が、マリス動乱に大きく関わっている可能性が高いということだけだ。その中にはイケダの名前もある。
目利きには自信があった。イケダが動乱の関係者、というよりも中心人物ではないかと睨んでいた。
だからこそセリーヌを彼の傍に置いた。明確な考えがあったわけではない。後々何か役に立つだろうと思ってのことだった。
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