第133話 沈黙のBanquet
イケダは手元のカップを口元に近づけた。
お茶だ。緑茶というよりもほうじ茶に近い。暖かい液体が食後の身体の染みわたっていく。
正面には女性が座っている。彼女も同じカップを両手で包んでいた。
2人の間に存在するのは沈黙だ。苦痛には感じない。イケダにとっては慣れ親しんだ静けさだった。
ただ今は話したいことがある。イケダは沈黙に名残惜しさを感じつつ口を開いた。
「セレスさんは、どうしてフィモーシスに?」
カップから顔を上げた。美しい双眸に見つめられる。
少しの逡巡も無かった。20歳を超えて変貌を遂げたのは、容姿だけではない。
「災厄の探し人は私だった。私が見つからなかったから、目標をイケダに変えて、マリスを襲撃した。つまり災厄を招いた原因は私にもある。よってそれ相応の責任を負わなくてはならない。そう経済大臣に言われた」
「ロスゴールド氏ですか…」
イケダは頭に手を当てた。やはり大臣が絡んでいた。彼にとっては自分がここにいるのも既定路線だろう。
「その責任が、フィモーシスでの労役ですか」
「うん。最低でも2年働けって。逃げることも出来た。でも経済大臣はベアトリーチェのお父さんだし、それに…………まぁ色々考えて、従うことにした。あなたは?」
「私も同じような流れですね。3年働けと言われました」
「そう」
イケダは再びカップに口を付けた。まるで表面張力だと思った。お互いに言いたいことはある。だが溢れ出ぬよう歯止めをかけていた。少しでも零れたら何かが変わる。その何かを恐れているようだった。
「………たぶんだけど」
「はい」
「私はあなたを一生許さない」
「え」
時が止まったような心地だった。真剣みを帯びた目は虚偽の可能性を一蹴していた。イケダは口を開きかけたが、何をしゃべっていいか分からず、再び口を閉じた。
「でも、感謝もしてる。すごく」
「え。えーと」
「だから、困る」
真顔のままだ。本当に困っているのか。
「私を困らせないで」
「そう言われても」
イケダにとって、セレスティナのような独特の感性を持つ女性と親密になる経験は初めてだった。まず答えが分からない。何をすれば喜んでくれるのか、何を話せば納得してくれるのか、全てが手探りだった。
困っているのはこちらの方だと言いたい気持ちを抑え、何とか言葉を絞り出す。
「えー、獣人国であんなことがあって、説得力がないと思われるかもしれませんが、私はあなたを大切に思っています。あなたは命の恩人であり、初めての友人であり、かけがえのない存在です。だから、あなたが困っていたら助けたいし、あなたの願いは全てかなえたい。そう思っています。私はあなたのために、何をすればいいですか?」
再び見つめ合う。容貌はすっかり変わってしまった。出会った頃の面影はない。
ただ、目を見続けたら分かる。以前と違うのは外見だけだ。愛らしい一重の仏頂面は見れなくなったが、本質は変わらない。彼女はあの頃のままだ。
先に目を逸らしたのはセレスティナだった。その動作に続く流れで首を横に振る。
「なにも」
「え」
「何もしなくていい」
言葉の後に小さな余白があった。「ただし」や「でも」と続きそうだった。だがセレスティナは口を閉ざした。
「分かりました」
本当は何も分かっていなかった。それゆえに自信満々の表情で答えた。彼に出来ることは虚勢を張ることだけだった。
幸いにも時間だけはある。最低でも2年間は一緒にいられる。本来彼女が続けるはずだった言葉を見つけるには十分な猶予だった。
カップに口を付ける。冷めきっていた。それでも美味しかった。
このお茶を明日も明後日も味わえる。
それを幸せと呼ばずに何と言えばいいのか。
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