第119話 孤独の運命
食卓には普段と同じ献立が並んでいた。麦飯とお浸し、ジャガッツの汁物。
半分ほど食べ終えたところで手を止める。食欲が無かった。体調は悪くない。心因的なものだろうか。そうかもしれないと思いつつ、ゆっくり立ち上がる。
今日も昨日と変わらない1日が始まる。
★★★★
オーナー室に入る。主であるベアトリーチェは2つあるソファの1つに腰を下ろしていた。指で促されながら彼女の正面に座る。
「今日もお仕事ご苦労様。何か飲む?」
「いらない。用事は」
「相変わらず単刀直入ね。別にいいけど」
ベアトリーチェのキセルから煙が出てくる。セレスティナはその様子をぼんやり見つめた。
「あなた、カリンに何かされているわよね?」
「………」
セレスティナの答えを待たずに続ける。
「あの子には悪い癖があってね。自身の地位を脅かす新人を何の躊躇も無く潰しちゃうのよ。そのせいで今まで有望株が5人も辞めていっちゃってね。何度も注意してるんだけど、ほら、あの子ナンバーワンだし。新人との天秤は成立しないのよ」
ビーチェはマリスで一番の人気を誇るクラブだ。ナンバーワンの売上は莫迦にならない。オーナーだからこそキャストに強く出られない事情はどの店にも存在する。とはいえそれもひと月前までの話だった。
「べつに」
「ほんと?一部から目撃情報が寄せられてるんだけど」
実際にはベアトリーチェがキャストに潜り込ませている内通者からの報告だった。
「衣装を隠されるなんて序の口。ロッカーの破壊、カリンの号令による集団無視、カリン信者を使った強姦未遂、他にも多数」
心までは分からない。ただ少なくとも身体が汚されることはなかった。セレスティナは自身の魔法で身体的接触を全て回避していた。
「ねぇ。本当に何もされていないの?」
「どんな言葉を期待しているの」
キセルを灰皿に置き、お茶を口元に持っていった。
「あなたが『はい』って言ったら、カリンを捨ててトランスを拾うわ」
「私はいずれいなくなる」
「いてくれる間だけでいい。伝説を作りましょう」
「………」
もちろんベアトリーチェには打算があった。男への媚で売上を達成するカリンに対し、セレスティナは美貌と雰囲気で人気を勝ち取っている。これ以上の伸びしろがないカリン、孤高の姿勢で女性からの支持も得るセレスティナ。彼女に憧れを抱いてビーチェの門を叩く淑女の存在を考えれば、セレスティナの消失は一方的なマイナスとはならない。
「嫌われるのは慣れてる。どうってことない。それに、どれも他愛無い悪戯だった」
セレスティナの比較対象は紅魔族領の劣悪な環境だった。それに比べれば小娘の仕掛ける罠など問題なかった。
「そうは言っても、何も感じていない訳ないわよね」
「他人だから。どうでもいい」
人は誰しも他者との間に線を引く。それが曖昧な場合は総じて接しやすいという評価を受ける。セレスティナの場合はその線が明瞭だった。結果的に知人は少なく他人は多くなる。
「はぁ、なんとも。参ったね」
ベアトリーチェは天を仰いだ。男女問わずに今まで多くの者を誑し込んだ彼女だったが、セレスティナには自身の魅力も話術も通用しない。まさにお手上げだった。
「だったらさ、男が見つかってもお店に残ってくれない?優秀なキャストを手放したくないのはもちろんだけど、個人的にも貴女のことを気に入っているのよ。貴女の汚れを感じさせない心は私をひどく安心させるの」
本音だった。複雑怪奇な夜の世界に身を置く彼女は、人間の醜い内側と頻繁に接してきた。必然的に気が置ける相手も少ない。
セレスティナという女性は不明な部分が多い。ただハッキリとしている事もある。そこにベアトリーチェは絶大な信頼を覚えていた。
「それは無理」
「どうして?」
「最初から分かっていたけど、この仕事は私に合わない。それは人間関係とか仕事量とかの問題じゃなくて性格的な話。うるさいのは嫌いだし、知らない人と話すのも嫌い。全てが煩わしい。だから私は辞める。でも今じゃない。少なくともあなたへの義理立ては果たす。あなたは、マリスでの生活を保証してくれたから」
「……そう」
強い意志を感じさせる瞳だった。翻意させるのは不可能だと思った。そもそも自分が無理やりに誘った仕事だった。
探し人が見つかるまでと時間制限はあるものの、それまでは勤務してもらえる。それを聞けただけで有難いと思うべきかもしれない。
「かなわないわね」
「なにが」
「ごめん、こっちの話。そういえば聞いていなかったけど、あなたの探し人ってどんなひとなの?」
セレスティナは僅かながら眉をひそめた。勤務開始から終了まで常に無表情を保っている彼女にしては珍しい反応だと思った。
「………ニンゲンではある」
「えーと、そういうことじゃなくて」
「突然絶叫したり、ニヤニヤしたり、独り言ブツブツ言ってたりする」
「結構ヤバい人に聞こえるんだけど」
「でも、優しいは優しい」
「そう」
ベアトリーチェには一抹の不安があった。もしかするとセレスティナは復讐や仕返しが目的で誰かを探しているのもしれない。しかし今の一言で杞憂だと分かった。彼女は前向きに人探しをしている。だとしたら、見つかって欲しくないなどと願ってはダメだと思った。
「お話、終わり?」
「ええ。時間を取らせて悪かったわね。行っていいわよ」
ベアトリーチェが3本目の煙草を灰皿に押し付けている間にソファから立ち上がった。ドアノブに手をかけてガチャリと回す。
そのまま立ち去るかに見えた。しかしセレスティナは数秒の沈黙を経て、徐にベアトリーチェへ振り返った。
「ん?」
「……あの」
その時。
ズドン!!!!!!!
突然だった。建物全体に大きな震動が加わる。2人とも身体を地面に投げ出されて、カーペットをゴロゴロと転がった。
「っ!」
振動は一過性のものだった。10秒も経たない間に揺れはゆっくりと収まっていった。
「………………」
ベアトリーチェは恐る恐る目を開けた。飛び込んできたのは滅茶苦茶となった室内だった。ソファーは壁際まで追いやられ、テーブルやデスクに置かれていたモノは軒並み地面へぶちまけられている。
「な……なんなの、いったい」
頭を押さえながら立ち上がる。身体に痛みはない。セレスティナに目を向ける。彼女も立ち上がるところだった。どうやら無事のようだ。
「大丈夫?」
「うん」
窓を見る。大きな変化はない。天災だろうか。いや、と本能が否定する。ベアトリーチェは早くも嫌な予感を抱いていた。
「私はフロアの様子を見てくるけど、貴女はどうする?」
「一緒に行く」
強烈な揺れだった。オーナー室の惨状から鑑みるに、メインフロアも無事では済まされないはずだ。セレスティナと共に部屋を出る。
その一歩を踏み出した最中。
〖カカカカカ!首都の防壁とてこの程度か。温い仕事だな、ニンゲン共〗
「………」
「………」
顔を見合わせる。突然だった。聞き覚えの無い声だ。不思議なのは室内に2人しかいない状況で聞こえたことだ。
「貴女にも、聞こえたのね」
「うん」
それは唐突だった。何の前触れも無かった。
首都マリスを震撼させる事件が始まりを迎えた。
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