第118話 綿裏包針

 嵐は過ぎ去った。ひとしきり暴行を加えて満足した騎士団員ご一行は、下卑た笑い声をあげながら階段を下りて行った。踊り場にはボロ切れ同然の男が1人残された。


「うぉぉ………」


 身体中から痛みと熱が発せられている。酷くやられた。手指を動かすことさえ億劫だ。壁に背中を預けて、浅い呼吸を繰り返す。


 鈍い頭で異世界生活を振り返る。本来はこうなるはずだったのかもしれない。スキルがあったから、多くの場面で優位に立つことが出来た。もしもスキルを手に入れていなければ、確実に使役される側だっただろう。奴隷にまで堕とされていた可能性もある。


 甘えていたのだろうか。もっと自分自身を鍛え上げるべきだったか。悔やむなら今しかない。まだやり直せる。手酷くやられたが、五体満足で脳の働きも正常だ。


「あぁ」


 瞼が物理的に重い。階段が霞んで見える。


 授業料だと思えば多少の留飲は下がる。もしくは天災でもいい。自分の意思でどうすることもできなかった理不尽な出来事に拘泥する必要はない。そんなものストレスをためるだけだ。


 この仕打ちは忘れない。だが執着もしない。俺を目覚めさせるイベントだった。ただそれだけ。そう思う。思い込む。


「おおぅ……」


「意外と大丈夫そうじゃん」


 声がした。斜め上を見上げる。2階と3階の間の踊り場にヒトの姿があった。手すりに寄りかかりながら、煎餅のようなものをパリポリ食べている。


「セリ……デブ、さん」


「名前の間違い方ダイナミックすぎんだろ。お前よくその状態であーしにケンカ売れるよな」


「いつから、いたのですか」


「たぶん最初から?あ、でも途中でお菓子と飲み物取りに行ったから、ちょっとだけ見逃してる。あとは全部見た」


 平然と話す姿からは悪びれる様子など全く感じられなかった。どうやら彼女は、俺と騎士団のやり取りを出来の悪いC級映画扱いで鑑賞していたようだ。


「止めに入ってくれても、よかったでしょう」


「いやいや。こんな最高の場面をぶち壊すわけ無いっしょ。素人同士のケンカほど滑稽でオモロいもんないわな。それに前も言ったと思うけど、あーしは騎士団所属じゃないんで。止める権限もないわけ。まぁ、死にそうだったら流石に仲裁してたかもだけど」


 権限云々じゃなくて道義的に止めろよと言ってやりたかったが、どうせ馬の耳に念仏だ。セリーヌに道義を説くなんぞ、赤ちゃんに数Ⅲを教えるようなものだ。


「………」


 例え違ったかもしれない。


「お前、自分がやられた原因分かってる?」


「いえ。まったく」


「だよな。たぶんあーしだわ」


 セリーヌの顔に視線をやる。相変わらず視界がぼやけている。今の状態なら美人に見えないこともない。


「お前が来る前は団員に討伐依頼の雑用頼んでたんよね。姉貴と交渉してさ。でも交渉メンドイし、利益の3割持っていかれるし、まぁ最悪だったわけ。だからお前に乗り換えたんだけど。それが団員には面白くなかったんだろーな」


「面白くない?具体的には?」


「あーしの雑用って結構貰えるやろ。団員にはいい小遣い稼ぎになってたと思うんだよね。あとはそうだな、あーしってメチャメチャ団員に好かれてんだよ。雑用で来た奴が全員セックス迫ってくるくらいだし。だから二重の意味でお前に取られたと思ってるんだろーな」


 冗談かと思ったがそうでもなさそうだ。にわかには信じがたい。前者はともかく後者は脚色しているとしか思えない。団員全員が上司の妹に同衾を申し込むなど常軌を逸している。しかも言い方は悪いが、デブでブスだ。性格も強烈。どこに魅力を感じるのだろう。


「それが事実だったら、やはり止めてほしかったです。私がやられたのはセリーヌさんの責任でもあるわけだし」


「寝言は寝て言えよ。どこにあーしの責任あんだよ。勤務時間外のことで文句言われても困るんですけど。つかお前がもっと強かったり、口が上手けりゃ回避できただろうが。自分の能力の低さを棚に上げて、ヒトに責任擦り付けようとすんな雑魚モン野郎」


「…………」


 滅茶苦茶言われてしまった。ぐうの音も出ない。確かに彼女を責めるのはお門違いのように思えてきた。


 そして腑に落ちた。雑用だけで日給数万が手に入るだなんてうまい話だと思っていた。やはり裏があったんだ。男の嫉妬という非常に厄介な問題を抱えていた。


「今度どうすりゃいいですか。セリーヌさんの話が本当なら、またイジメてくるかもしれないでしょ?団長か副団長に告げ口してもいいと思います?」


「いいけど。姉貴は本国行ってるし、シンクも最近不在多いからな。会話する機会ないかも」


「あいつらマジで…」


「心の声漏れてるぞ」


「だったらその次に偉い人は誰ですか」


「マカフィーだな。でもあいつが一番あーしに惚れてマウンティーだから。告げ口したところで逆効果だろ」


「そんな」


 思わず床に右手を振り下ろす。八方ふさがりじゃないか。甘んじてイジメを受けろとでもいうのか。思春期真っ盛りならともかく、この歳で肉体的にイジメられるなんて聞いたことないぞ。半グレに目をつけられたオタクサラリーマンじゃないか。


「他に何か、いい手ないですか?」


「勝てないなら逃げる。これ常識。宿舎変えりゃいいだけの話だろ」


「おお、たしかに。さすが!」


 拍手する。聞けば答えが出てくるのだ、この女は。ビリギャルならぬトップギャルにふさわしい知能を備えている。


 そうやって心の中でべた褒めしたのが悪かったのか、セリーヌは一転して邪悪な笑みを浮かべながら舌を出してきた。


「でもダメ―!勝手に宿舎変えさせたら姉貴が怒るから許しませーん!それでも変えたいって言うなら、討伐依頼の雑用業務から解任しまーす。つまり貧弱体で魔法も使えないイケダさんには、その日暮らしの極貧生活が待ってまーす!よろしくどうぞ~」


「なっ……ぐっ」


 漫画のような愕然とした表情を晒してしまう。自分からは見えないが、たぶんそんな顔をしていると思う。


 逃げ道が用意されたと思った。だがそこには最恐の伏兵、黒ギャル隊が待ち構えていた。ものの見事に上げて落とされた。心が苦しい。


「とりま明日から遠征すっから、その間に色々考えりゃいいよ」


「遠征ですか」


「うん。往復6日かな。Aランクの希少魔物が南の方に巣を作ったんだと。そいつ自体はどうでもいいんだけど、そいつの生む卵が高価で売れるんよ。1個100万だぞ?もし10個あれば1000万ペニーよ。激熱だろ!行くっきゃないじゃん」


「ですね」


 お菓子でカスまみれになった口元を見つめる。モラトリアムは大歓迎だ。本当はセリーヌの強権で全てをぶち壊してほしいが、そこまで彼女は優しくない。いや、ある意味では優しいのかもしれない。


 セリーヌは、マーガレット姉妹は限界まで個を重んじる。自分がやった方が楽で早い場合も他人に委ねる。個人の尊厳を蔑ろにしない。ときにその考えは大きなプレッシャーとして伸し掛かるが、多くの場合度量の広い上司として歓迎される。


「ちゅーわけで、買い出しとか諸々よろしくぅ。今日中にやっとけよ」


「え、無理。無理すよ。この身体見てくださいよ。ボロボロですよ。立ち上がるのがやっとですって」


「知らんがな。お前の都合をこっちに押し付けんなし」


「いやいや」


 なんだろう。心の中で褒めた後に現実世界で酷い扱いを受ける流れが出来上がっている気がする。


 セリーヌは水筒に入った変な色の液体をグビグビ飲み干した後、当然のごとくゲップをかまして流し目を送ってきた。


「んー。じゃあこうしよ。あーしがお前を教会まで連れてってやるよ。そこで治療受けな」


「おお、本当ですか」


「うん。治療費で数万、あとあーしにも運搬費として3万払ってもらうから。まぁ10万以内には収まるっしょ」


「…………」


 右手を腰付近に近づける。財布袋からジャランと硬貨の音がした。


 10万か。


 休日だからって羽目を外し過ぎたかな。

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