第114話 千慮一失
「え?」
正面で勝ち誇ったような表情を浮かべる黒ギャルを見つめる。彼女が差し出した右手には数枚の硬貨が置かれていた。
「はい。あんたの報酬。4万3千ペニー」
「えーと」
早く受け取れと言わんばかりに右手をグイグイ押しつけてくる。しかし俺の方は硬直せざるを得なかった。
ギルドに帰還した俺たちは、ギルド職員へバルサミコの鑑定並びに素材買取を依頼した。30分ほど待ち、セリーヌが受付に呼ばれた。戻ってきた彼女は間髪置かずに右手を差し出してきた。その手に握られていたのは俺の日給だった。
「説明していただけますか」
「なにを」
「収支諸々です」
セリーヌは「クソだるぅ」と零しながらも口を開いてくれた。
「討伐報酬と素材報酬を合わせた額が57万ペニー。そこから馬車費、解体費、治療費等の経費を引いたのが43万ペニー。つまり純利益な。んでその1割だから4万3千ペニー。お分かり?」
「……お分かりです」
テーブルの上で頭を抱える。してやられた。完全にセリーヌの策略にハマってしまった。
彼女は最初からバルサミコのもたらす利益額が分かっていた。だからこそ報酬割合の再分配を却下し、宿舎代負担という妥協案を出してきた。
コリス亭の宿泊費から考えると、騎士団宿舎にかかる費用など高く見積もったところで1万ペニーだ。一方でバルサミコはたった1割でも4万3千ペニー。もしこれが2割だったら8万6千ペニーを受け取れていた。その差は歴然である。
俺はセリーヌの譲歩を引き出したことで喜んでいた。やってやったぞと。だが実際は違った。彼女は俺の優越感を利用して自身の報酬を確保していたんだ。
悔やまれる。なぜあの時、報酬割合の再分配を粘らなかったのか。目の前に置かれた美味しそうな餌にまんまと食いついてしまった。完全にセリーヌの手のひらコロコロだ。
「なに。どしたーん?もしもーし。イケダさーん、もしもーし」
頭頂部を人差し指でトントン突いてきた。この上なくウザったい。ただ俺は敗者だった。彼女に煽られても仕方がない。
戦いでは役立たず。交渉事では不利な条件を結ばされる。失態続きの人生だが、これほど無力感を感じたことはない。俺にできることはなんなんだ。誰か教えてくれ。
「…………」
あれ。
でも。でもでも。見方を変えると、たった半日で4万3千ペニーも稼いだことになる。しかも雑用だけで。
以前まではゴブリン狩りを生業にしていた。1匹倒すごとに300ペニーで、1日だと100匹倒すのがやっとだった。つまり3万ペニーの稼ぎだ。
当時と比較しても、格段にコスパが上がっている。果たしてこれほど美味しい仕事があるだろうか。
物事は表裏一体だ。裏ばかり見ても気分が落ちる。表の素晴らしさを強調して心の平穏を保つべきだ。
顔を上げる。未だ頭頂部をツンツンしてくる右手を払いのけた。
「あいたっ」
「稼働はどの程度を想定していますか」
「ん?どゆこと」
「毎日魔物狩りに行きますか?」
「んー。まぁ、気分による。今日みたいに日帰りもあれば、何日かかける場合もあるし。ダルかったら休むし」
うんうん頷く。だとしても問題ない。
「休日も宿舎代は負担いただけますか?」
「えー。都合良すぎない?お前それ、休みの日まで給料払えって言ってるようなもんじゃん。まぁいいけど」
いいんかい、とツッコみたくなる気持ちをグッと収める。藪蛇は回避するに限る。というか今更だが、本当に宿舎代が発生しているのだろうか。思えばセリーヌから一方的に請求されているだけで、シンクやクラリスは何も言ってこない。俺が無知なのをいいことに架空請求している恐れがある。後でシンクに確認しておこう。
「ありがとうございます。では私は、セリーヌさんの要請があれば、それに従い討伐に同伴する。要請が無い場合は休暇ということでよろしいでしょうか」
「いいけど。基本宿舎にいろよ。いつ呼び出すか分からんし」
「分かりました」
断る理由はない。行きたいところもなければ、買いたいものもないのだ。空いた時間はスキルを元に戻す方法を探りつつ、筋トレでもしていよう。
心のさざ波が少し落ち着いた。未だ最大の懸念は解消できていない。だが当面の見通しは立った。健康で文化的な最低限度の生活は送れそうだ。
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