第113話 水滴石穿
「グッ……ギャエェエェェエ!?」
ブチュブチュと。何かが引き千切られるような音がした。それと共に硫黄とは別の臭いが鼻腔を刺激する。生肉が焼けた匂いだ。
バルサミコは空中で制止していた。丸められた翼は大きく広がり、全身を小刻みに震わせている。そして真っ白な胴体に紅い線が引かれていた。
「グ……ギェ……」
落下する。まさにその運動が始まった時だった。紅い線の上に蒼い線が引かれた。大きなバツ印に見えた。バルサミコは一瞬硬直した後、今度こそ地面に落ちた。紅線、蒼線それぞれから煙のようなものが出ていた。
セリーヌが振り返る。表情に変化はない。当たり前のことを当たり前にしたとでも言うような態度だった。
「よかったぢゃん。これで娼館行けんぞ」
「はぁ」
「両目抜き取って。あと解体……は出来なそうだな。いいや、丸ごと馬車に入れて。ギルドにやってもらうわ」
ナイフをポンと投げられた。拾う。セリーヌは大木の傍に腰を下ろし、そのまま寝転がり始めた。
「…………」
恐る恐るバルサミコに近付く。動き出す気配はない。瞳孔が開ききっていた。間違いなく絶命している。
討伐ランクAが瞬殺された。この事実はセリーヌが圧倒的強者である証左に他ならない。
胸部に視線を落とす。大きなX線が引かれていた。一方は赤々と燃えるような色で、もう一方は青々と冷たい印象を与えている。
「氷炎の歌姫……」
これがそうかと納得する。アレックスの言葉に嘘はなかった。確かに氷と炎を操り敵を絶叫させていた。
今更ながら気づいた。もしかしたら俺は恐ろしい女と行動を共にしているのかもしれない。外見だけじゃない。実力や実績も含めてだ。
「おーい。さっさとやれや。日が暮れるよー」
「あ、はい」
草原をゴロゴロ転がりながら話しかけてきた。目が回らないのだろうかと心配しつつも、バルサミコの目元を見つめる。討伐証として両目を刳り抜かなければならない。
「……あれ」
待てよと。ふと疑問が浮かんだ。
「セリーヌさん。今の時点で両目を取る必要はないのでは?どうせ解体を依頼するなら、その時に取ってもらえばよいと思うのですが」
ピタッと回転が止まった。無表情でむくっと上半身を起こす。
「あーしもそう思ってた」
「え」
「刳り抜くときに目ん玉傷つけたら、価値下がっちゃうしな。よっしゃ。ゆー、そのまま馬車に入れちゃってよ!」
「………」
腹立たしいことこの上ない。彼女が強者でもなく女性でも無かったら、尊厳傷つけ系ツッコミをするか暴力で黙らせていたかもしれない。
バルサミコの両脇に手を差し込む。死後も臭気は収まらない。硫黄臭に耐えながらグッと両手に力を籠める。
「うぅ……おもい」
持ち上げることはできなかった。仕方がないので引きずって馬車まで運ぶ。
数分かけて運び終えた。汗だくだ。しかし今度は荷台に載せなければならない。持ち上げる必要がある。1人では無理だ。
「セリーヌさん。手伝ってくれませんか?」
大声で呼びかける。再びむくっと起き上がった。
「そういうとこだよ」
「え」
どういう所だろう。まじまじと見つめる。
「お前ら魔法使いは魔法に頼り過ぎてる。それ以外は蔑ろにしてる。そんでいざ魔法が使えなくなったとき困る。何もできないから。それは戦闘においても同じよ。ディスペルなんか良い例だろ。だからもっと身体鍛えろって言ってんだよ。馬鹿が」
「それ自分に言われても困るのですが」
「なんでよ。現にバルサミコを持ち上げられてねえだろうが。鍛錬不足だろ」
「いや、これ多少鍛えたところで無理ですって。やってみてくださいよ」
優に100キロは越えている。肩にちっちゃい重機乗せてる系男子でも難しいはずだ。バーベルのように持ちやすい箇所も無ければ不可能に近い。
セリーヌは怠そうに立ち上がって近づいてきた。腹の肉をブルンブルン揺らしている。カーディガンが破けていないのが不思議だ。
馬車の近くに置かれたバルサミコへ右手をのばす。首根っこを掴んだ。そのまま持ち上げる。そして「おらぁ!」と叫んで馬車の中へぶん投げた。
背後で呆然と見つめていた俺に振り返る。
「はい。あーしに何か言うことあるよね」
「アイシャドウ変えました?」
「え。うそ。ちょ、なんで分かったん?ちょびっと色濃くしただけやぞ。おま、おまえ…………やるな」
セリーヌは目を見張りながら馬車の運転席へ向かった。本気で驚いていた。誤魔化すための適当発言だったのに、どうしてか彼女の感心を引いてしまったようだ。
追及を受けたかったことに安堵を覚えつつ、荷台の奥を見つめる。暗がりの中に巨大な鳥が転がっていた。全体重100キロはあった。間違いない。それを片手で持ち上げて放り投げた。
「…………」
うーん。
とりあえず今日から筋トレ始めよう。
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