第112話 回天之力
馬車で約2時間の路程を経て、小高い丘に到着した。
障害物は何もない。草原がそよ風で揺れている。
「おい。これ鼻に付けとけ」
渡されたのは白い綿のようなものだった。彼女の言葉から鼻栓だと理解する。
「臭いやべえから。死ぬぞ」
そう言って自らも鼻毛を押し込む形で栓をした。俺も真似する。
歩き始めたのでついていく。無言だった。俺も余計な発言は控えた。
丘の頭頂部にあたる大木付近で止まった。地面に膝をついて何かを振りまき始める。
「何してるんですか」
「バルサミコの好きな匂いをバラまいてる。これでおびき出す」
「なるほど」
一瞬、「バルサミコってなんだっけ」と考えたがすぐに思い出した。討伐対象の魔物だ。ランダムエンカウント狙いかと思ったが、そんな無駄な真似はせずともよさそうだ。
「そういえばセリーヌさんって、どんな武器で戦うのですか?」
返事をする代わりに腰付近をトントンと叩いた。視線を送る。黒スカートしかない。いや違う。鞘だ。真っ黒の鞘が差されている。しかも左右に1本ずつだ。
全く気が付かなかった。どうやら彼女は黒ギャル剣士らしい。見た目から勝手に格闘タイプだと思っていた。
「そういえばセリーヌさんて、おちん―――」
口元に人差し指を当てた。反射的に口を閉ざす。俺が静かになるのと同時に、彼女は腰を下ろして地面に右耳を押し当てた。戦闘物のフィクションでよく見る光景だった。
「…………意外と早かったな」
そう呟きながら立ち上がった。真剣な表情だった。
「来ますか」
「ああ。ほれ、空見てみ」
見上げる。太陽があった。俺の心の機微を表現してくれた頼もしい友である。
その太陽に黒ずみが浮かんだ。黒が次第に大きくなっていく。やがては太陽全てを覆い隠した。
「クキョェェェェェエエ!!!!」
「うおっ」
甲高い鳴き声だった。思わず耳を塞ごうとしたところ、今度は鼻孔に刺激が走った。卵が腐ったような匂い、いわゆる硫黄臭が鼻栓越しに襲い掛かる。うるさいし臭い。最悪だ。
「ってあれ。空から来た?でもさっき地面に耳を当ててましたよね。なんで?」
「あーしクラスになると、地面から空の声が聞こえるのよ」
「えぇ……」
本当だろうか。確かめる術はない。
バルサミコは一直線にセリーヌへ向かってくる。彼女は泰然自若とした様子で待ち受けていた。俺は大木の陰から顔だけ出している状態だ。
「クキョェエエエエ!!」
全体像が確認できるまで接近する。見た目は大きな鳥だった。七面鳥を3mくらいにして、顔がもっと醜悪になった感じだ。とにかくデカい。
バルサミコは戦闘機のようなフォルムで全身を回転させながら、鋭利なクチバシを尖らせて近づいてくる。物凄い速さだ。時速100キロを超えているかもしれない。
あのクチバシで貫かれたら絶命する。間違いない。目の前の大木でさえなぎ倒されるだろう。そして人類の反射神経では回避不可能な速度だった。打つ手なしだ。
「うぉぉ……」
これが討伐ランクAの魔物。恐ろしい。勝てる気配がない。セリーヌについてきたのは間違いだった。氷魔法が使用できれば何とかなった。しかしそれも叶わない。詰んでいる。
手のひらに視線を落とす。平常時に変化が無いのは分かった。だがピンチに陥った時、追い込まれた時に失われた力が戻ってくる。それが王道であり、お約束ではないか。
何も感じない。氷が出てくる気配は皆無だった。いつだって現実は思うようにいかない。ポッと出の謎の力に頼っていた俺がいけなかったのだろうか。後悔しても遅い。
「終わったーー!こんなことなら病気覚悟で娼館行っとけばよかったー!!!」
頭をかきむしる。過ぎたるリスクマネジメントは俺の冒険魂を阻害していた。病気になる危険性ばかり気にしていた。俺には回復魔法があったと言うのに。
「いや、あのさ。盛り上がってるとこ悪いんだけど、この程度じゃ死なんよ」
顔を上げる。セリーヌが剣を抜いたところだった。しかも2本同時だ。
一方は両刃の西洋剣だ。ロングソードに近しい。特徴的なのはブレードの色だ。真っ赤に染められていた。鮮やかな赤というよりは、どす黒い紅といった感じだ。
もう一方は片刃だった。パッと見は日本刀だ。反り返った刀身が美しい。そしてこちらは真っ青にコーティングされていた。晴れやかなスカイブルーではなく、深海の蒼を彷彿させる。
紅と蒼。対照的な色をぶら下げて待ち構える姿は、まるでフィクションの一コマから出てきたようであった。
「クキェァァァ!!」
漫画のように心理描写で時間が停止するはずもない。バルサミコは目前まで迫っていた。硫黄臭が増す。吐き気が酷い。押し寄せる恐怖は留まるところを知らない。全身が硬直する。
「あ」
死んだ。
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