第111話 独人春闘

 ガタンガタン。ガタンガタン。


 馬車の御者台で車輪の振動をもろに受けながら、視界に広がるホワイトロードを眺める。


 美しくもあり謙虚な佇まいは深窓の令嬢を彷彿させる。次回のホワイトロード観光ツアーはいつだろうか。ぜひとも参加したいところだ。


「いちま~ん」


「………」


「ごま~ん」


「……」


「じゅうま~ん」


「だから払いますって」


「お前マジあーしに借りばっか作るよな」


 隣で手綱を握る黒ギャルがうんざりした視線を向けてきた。リトルイケダから零れ出る反論の声をグッと抑え、正面の景色を見つめる。


 あの後。ギルドから一番近い教会でキッチリ肋骨骨折の診断を受けた俺は、30分ほど待機した後、回復魔法による治療を受けた。効果は絶大だった。数分で痛みは無くなり歩けるようになった。


 そしてこれまたキッチリ治療代10万ペニーを請求され、いつの間にか財布袋が軽くなっていた俺は、恥を忍んでセリーヌに借金を申し込んだ。彼女は今と同じような表情を浮かべつつも払ってくれた。


 だから言い返せない。少なくとも借金については。ただ借金の原因に関しては議論の余地がある。


「そもそもセリーヌさんが8位の彼にケンカを売らなければ、私がこうなることもなかったと思います」


「ケンカ売ってねえよ。丸く収めただろ。痴呆かおい」


「いや……あれ?」


 と言葉を続けようとするも、改めて思い返すと彼女からアクションを起こしていない。8位男がケンカを売ってきて、セリーヌはあしらっただけだ。そして彼女の異名にビビった男はその場から立ち去った。


「確かに。そうですね」


「だべ?お前がケガした原因は、お前が愚鈍なうえに貧弱な身体だったから。それしかない。責任転嫁したい気持ちは分からんでもないけど、難癖付けるのはちげぇだろ。大人になれよ、イケダ」


「ぐっ……」


 言葉に詰まる。正論だ。俺が8位男のやけくそ肘鉄を避けていれば何の問題もなかった。避けれなくても防御できていれば不慮の事故は防げた。


 ボーっとしていた俺が悪い。


「…………」


 いやいや。本当にそうか?おれ悪いか?悪くないだろう。8位男が放った肘鉄は明らかにセリーヌに対する意趣返しだった。本人にやるのは怖かったから、付き添いの男に仕掛けた。俺は巻き添えを食らったに過ぎない。


 危なかった。言いくるめられるところだった。大人になれってなんだよ。誰がバスケしたいなんて言ったか。


 フーっと大きく息を吐く。反論材料はまだある。だが彼女が折れる気配はない。ならば切り替えよう。俺は大人だ。不満を飲み込むことなど日常茶飯事なんだ。


「…………」


 やっぱり言い返そう。大人になることは負けることに他ならない。10万は大金だ。泣き寝入りするには過ぎた額だ。


「やはりセリーヌさんが悪いです。あなたが犯人だ」


「お前もしつけえな。犯人ってなんだよ」


「私が倒れた後、あなたは8位の彼に手を出しましたね。その事実こそが、あなた自身負い目を感じた証拠になります。違いますか?」


「違わねえよ。で、それが?」


「10万は無しにしてください」


「それとこれとは話が違う。借りたものは返す。これ常識」


「話の通じない女だ」


「通じてるだろ。理解力ないんか?」


「うるさい!ばーか!ぶーす!でーぶ!」


「急に滅茶苦茶言うのかよ。チンポもぎ取ったろかおい!」


 御者台の上で睨み合う。凄まじいまでの顔面凶器っぷりにビビりつつも眼は逸らさない。魔法が使えないうえに日々の宿舎代まで払わなければいけない。ここに10万の借金が加わったら精神的破産だ。ストレスで生きていけない。借金なんぞする方もされる方も心に負担が掛かるものだ。関わるべきではない。


 セリーヌとガン飛ばし合うこと1分。先に折れたのは彼女の方だった。やれやれといった様子で首を横に振った。


「はいはい。分かりました。分別がつかないクソガキとこれ以上やり合っても無駄だし。あーしが譲歩しましょう」


「………」


 相変わらずの煽りっぷりだ。思わず反論したくなる。だがせっかく妥協してくれたのを台無しにするわけにはいかない。次の言葉を待つ。


「10万はチャラにしてやるよ」


「え。マジすか」


「マジだよ。なに。文句あんの?」


「いえ、ないです。はい」


 まさかまさかだった。こんな簡単に撤回してくれるとは思わなかった。鬼の目にも涙だ。


 空を見上げる。照り付ける太陽は俺の勝利を祝福しているかのように映った。


「んじゃあこの話終わり。仕事について話すぞ」


「はい。お願いします」


 本当に終わったようだ。「ただし」や「でも」と続くこともなかった。嬉しさをかみしめつつセリーヌの横顔を見つめる。


「お前の仕事はいわゆる雑用な。あーしが魔物を狩る。その他は全部お前。素材剥ぎ取り、運搬、食事の用意、マッサージ、あれやこれや」


「なるほど」


 割と普通だった。魔法が使えないうえに、肉体も一般の男性に劣る。出来ることは限られている。その中で魔物狩りの補助は悪くない仕事だと思った。一部雑用か?というものもあるが想定の範囲内だ。


「ほんとは騎士団員に頼むのが手っ取り早いんだけど、命令系統違うから勝手に連れてくと怒られるんだわ。かといって冒険者はダルイ奴多いし。まぁ消去法でお前ってわけ」


「分かりました。ありがとうございます」


 礼を言って頭を下げる。どんな相手だろうが仕事を頂けるのはありがたい。


「それで、報酬はどれほどでしょうか」


「1割」


「え」


「魔物討伐報酬と素材売却報酬から経費引いて残った額の1割。ユー、シー?」


「…………」


 空を見上げる。いつの間にか太陽は雲で隠れ、世界に暗闇をもたらしていた。


 少ない気がする。


 相場が分からないので断言することは出来ない。だが1割は流石に、といった感想を持ってしまう。


 例えば経費を引いた額が5万ペニーだとしたら、俺に入ってくるのは5千ペニーだけだ。これでは宿舎代の支払さえままならないだろう。コリス亭で働いた方がまだマジだ。今更働けるわけがないけども。


 でっぷりとした頬を睨みつける。どうやら1人春闘の開催を宣言しなければならないようだ。


「ノー、シー」


「は?」


「まざふぁっか!ふぅー!」


「なんなんお前」


 奇特なものを見るような視線を向けられてしまう。上等だ。賃上げ要求にまともな精神など必要ない。


「3割ください」


「いや、おま、あのさぁ……」


「お願いします」


「お前こういう仕事の市価知らんだろ。良くて1割だぞ。良くて。あーしの良心的割合を踏みにじる真似すんな」


「よそはよそ、うちはうちです。納得できない以上、要求せざるを得ません」


「要求できる立場だと思ってんのか?」


「思っていませんが、言わないと生活できません」


「生活……?」


 セリーヌは顔にはてなマークを浮かべた。別におかしな主張をしたつもりはない。何を不思議に思っているのだろうか。


 彼女が握る手綱の先では2頭の馬が並走している。いずれも巨体だ。駄馬として育てられたに違いない。


 馬車はマリスでレンタルした。1日1万ペニーだった。トラックを借りたと思えば妥当な金額かもしれない。お金はセリーヌが払った。


 ふと視線を戻すと、彼女は気持ち悪い笑みを浮かべていた。なんだろう。嫌な予感しかしない。


「うーん、じゃあこうすんべ。報酬割合は変えない。1割固定」


「そんな……」


 顔の前で待てをされた。続きがあるようだ。


「その代わりと言っちゃなんだけど、宿舎代は全額負担してやるよ。どや」


「おお!本当ですか」


 頷いた。本気のようだ。


 何がどうしてそんな結論に至ったのかは分からない。ただ俺にとっては朗報以外の何物でもない。


 騎士団宿舎では寝泊まりはもちろんのこと朝昼夕全ての食事が提供される。望めばお弁当も作ってもらえる。宿舎代負担は平均以上の生活が保障されたと同義だ。


 嫌な予感も当てにならない。セリーヌはヒトの気持ちが分かる素晴らしい女性だった。


 空を見上げる。再び顔を出した太陽は、俺の晴れやかな気持ちを表しているようであった。

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