第108話 孤独の夜蝶

 窓から降り注ぐ陽の光が朝の訪れを感じさせる。


 目をパチッと開けて敷布団から起き上がる。布団はそのまま折り畳み、六畳一間の隅に寄せる。


 水魔法で洗顔した後、朝食の準備に取り掛かる。今日は麦飯とお浸し、ジャガッツの汁物。こじんまりとした台所で手早く調理した後、ちゃぶ台の上でゆっくりと完食する。


「……………」


 食器を洗い、ついでに蛇口周りの掃除も行う。その後は部屋の掃除、洗濯を済ませる。


 一通りのルーティンワークを終えた後、3階建てアパート301号室を後にした。




 ★★★★




 首都マリスの中央噴水広場を訪れて数時間。ベンチでボーっとしている彼女を気に掛ける者はいない。闇魔法「隠蔽」の効果は大都市においても絶大だった。


「……………」


 視線は往来から動かない。左から右、右から左へと流れる人の群れをジーっと見つめる。


 髪の色、肌の色、身体の大きさ、性別、種別、多種多様な人達を視界に収める。沢山の生き物をその眼に映してきた。何百何千何万の命が目の前を通り過ぎて行った。


 だが、目当ての人物は見つからない。


「…………」


 気が付くと夕陽が自分の分身を作っていた。往来は途絶えない。笑顔が少なく感じられるのは、自身の心持ちがそうさせているのか。


 ベンチからゆったりと立ち上がる。午前の早い時間から今に至るまで態勢を変えなかった身体に、少々のぎこちなさを感じつつも一歩ずつ歩き始める。


 向かう先はクラブ「ビーチェ」。現在の勤め先だった。


 1度広場を振り返る。彼女が座っていたベンチには、老夫婦が腰を下ろしていた。その光景を前にして眠たげなまなこに一瞬の光が差す。


「………」


 再び歩き出す。無意識のうちに早足となるのを止められない。


 首都マリスを訪れて約一か月が経過した。


 探し人は未だ現れない。




 ★★★★




「ご歓談中失礼します。ティアさん、少々よろしいでしょうか」


「………」


 彼女専用として用意された大きなテーブル席にボーイの声が通る。


 深夜の時間帯へ突入したにも拘らず、セレスティナの周囲には10名以上の男性客が群がっていた。10代から50代と年齢層は幅広い。肉食顔もいれば草食系も席を共にしていた。


「えぇ、ティアちゅん行っちゃうの?」「これからだってのに」「もう少しで落とせそうなのだから邪魔しないで頂きたい」「ティアちゃん!ティアちゃん!」「早く戻ってきてー」


 男性陣の声に頓着することなくスッと立ち上がる。


 引き留めようと思ったのか、客の1人が歩き出そうとするセレスティナの手を掴もうとした。が、虚しくもその手は空を切る。


 呆然とする男の傍を通り過ぎる。振り返ることもなかった。


「おい、なに抜け駆けしようとしてんだよ」「お前みたいな凡人が触れるわけねーだろ」「No.1のカリンちゃんは自分から腕とか胸板とか触ってくるのに」「アフター行ったやついる?」「ワイにパンティー売ってくれ!」「美人過ぎて辛い」


 夜の蝶は順調に羽ばたき続けていた。




 ★★★★




 オーナー室をノックする。


「入りな」


 ドアを開ける。ソファー2つの間に長テーブルがあり、奥には社長デスクが見えた。


「そこ座って」


 ソファーの1つを指さす。ベアトリーチェは既にもう一方へと腰を下ろしている。相変わらず奇抜な衣装に身を包んでいた。それでいて違和感を感じさせないのは一種の才能と呼べる。


 セレスティナはベアトリーチェの正面に座った。


「勤務中に悪いわね。この後予定があって」


 徐に煙草をくわえる。


「別に。用件は?」


「進捗を確認しておこうと思って」


 人差し指の先に炎を出現させ、煙草に火をともす。


 セレスティナは一瞬だけ瞼を揺らした。ベアトリーチェが魔法を使えることなど知らなかった。しかも無詠唱魔法だ。かなりの使い手かもしれない。


「マリスにいる事は分かった。あとは探し出すだけ」


 ぷかーっと煙草を吹かす。


「なるほど」


 閉眼したまま言葉を続ける。


「20日前と変わらずね。少しも進展無し?」


「…………」


「そう。この人口密度では仕方ないわね」


 首都マリスの人口はダリヤ商業国で断トツだ。大陸全体でも第二位に位置している。必然的に探し人の捜索は困難を極める。


「相変わらず中央噴水広場を中心に探しているの?」


「うん」


「気を付けなさいよ。あなたの美貌は魔性を備えているのだから。目立つ場所には長時間滞在しない方がいいわ」


「でも」


「魔法があったとてよ。大抵は誤魔化せるかもしれないけど、中には気づく人もいるのよ。そういう奴ほど厄介なんだから」


「…………」


 セレスティナはベアトリーチェに魔法が使用出来ることを伝えていない。つまり目の前の彼女こそ「気づく人」だった。確かに厄介だとセレスティナは思った。


 隠蔽の効果が期待できない人物は3通り存在する。1つは第六感が鋭い。1つは闇魔法に熟知している。1つは高位の魔法使い。ベアトリーチェは全てに当てはまりそうだった。


「1人で捜索しているの?男共は使っていないの?」


「聞くことは聞いた。あとは私の仕事」


「利用できるものは全て利用すべきだと思うけど」


「………」


 働き出して10日目には、池田の目撃情報を収集し終えていた。だがそれ以上の事を男性客に懇願することは無かった。彼女の性格が赤の他人に甘えることを良しとしなかったからだ。客の眼から良からぬ感情を読み取ったのも理由の1つに挙げられる。


「客に媚びるのが嫌なら、そうね……否定した私が言うのもなんだけど、冒険者ギルドへ捜索依頼を出すのも悪くない手よ。今ならお金にも困らないでしょ?」


「うん。だから昨日依頼してきた」


「そう。報酬はいくらに設定したの?」


「とりあえず、200万ペニー」


「ちょ」


 あまりの額に思わず煙草を落としそうになる。首都マリスにおける捜索依頼の相場は5万ペニー前後だ。初手200万は少々度が過ぎる報酬だった。


「まぁ貴女の場合は今月の稼ぎだけで賄えるけれど」


 1本目の煙草を灰皿に押し付け、時間を置かずに2本目を咥える。


「行動といい金額といい、本気なのね」


 セレスティナがクラブに勤め始めて1か月が経っていた。オーナーであるベアトリーチェは未だに彼女の事を測りかねていた。


 加入当初から無口だった。それは今も変わらない。顧客だけでなくボーイや同じキャスト相手にも心を開く様子はなかった。彼女が裏ではアイスドールと揶揄されているのをベアトリーチェは知っている。そんな村八分の状況においても、彼女の類いまれな美貌と独特な雰囲気に惹かれた結果、キャストを口説くというタブーを犯したボーイが続出している。雇用主にとって頭痛の種でもあった。


 だからこそベアトリーチェは不思議に思う。ここまで他人に興味を持たない女が追っている男とはいったい何者なのか。普通でないのは確実だ。果たして沈黙の美女が惹かれるほどの魅力を備えているのか。


 男の出現はセレスティナとの別離を意味する。店にとっては大打撃だ。しかし個人的な感情を思えば、1度お目にかかりたいと願うベアトリーチェであった。

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