第107話 Devilishness
団長室にドアノックの音が響いた。シンクは部屋の主の代わりに「入ってください」と伝えた。
勢いよくドアが開け放たれる。現れたのはクラリス・マーガレットの実妹、セリーヌ・マーガレットだった。
「ちゃーす」
右手を挙げて挨拶したセリーヌに対し、シンクは軽く頭を下げた。クラリスは無反応だった。
「んで。呼び出しに応じて馳せ参じた次第ですが。何の用?」
「彼に関して何点か確認したいことがある。まぁ座ってくれ」
「椅子無いんだけど」
「では立っていろ」
「いや座るし。よっこらせっと」
セリーヌは地べたに腰を下ろした。早速足を延ばしてリラックスしている。
2人のやりとは相変わらずだった。椅子がないのに座れと言う姉も姉だが、団長を前にして地面へ座る奇行に走った妹も大概だ。「自分の常識がおかしいのか?」と疑ってしまうほど、2人は浮世離れしていた。
「彼ってあいつ?タカシ・イケダのこと?」
「そうだ。さりげなく行動を監視するよう依頼したわけだが、明らかに付きまとっていたな」
「まぁええやん。そのお陰で知れた情報もあるし」
セリーヌも第一騎士団に籍を置いている。しかし指示系統は他と異なる。あくまで客分待遇であり、クラリスから直接命令を下すことは出来ない。そのあたりは彼女たちの家柄が関係していた。
「2頭目のレッドドラゴンを仕留めたのは彼か?」
「ほぼ確かな。直接倒したとこは見てないけど、眼の色変わってたし。アイスブルーしてたわ。明らか魔法使った名残だしょ」
「しかし適性検査では確認することができなかった」
「たぶん直前になんかしたんだと思うわ。検査部屋入る前までは滅茶滅茶キョドッてたし」
「魔具の結果を誤魔化す方法か……」
シンクも考えてみたが何も思いつかなかった。そもそも適性検査の結果を誤魔化そうとした者が今まで何人いただろうか。本来は自身の才能を見出すために使用される。思いもよらない魔法が使用できることを知って喜んで帰る人たちを見かけることはあっても、自身の魔法を隠蔽しようとする者は今までいなかった。
「そんで勢い余って魔法使えなくなったっぽい」
「は?」
クラリスが驚きの声を上げる。相変わらずイケダ事案になると反応が大きくなる。
「あーしもよく分からん。ただあの絶望感はマジもんだと思う。自殺しそうな顔してたし。そゆことでとりあえず騎士団宿舎に連れ帰ったけどいいよね?」
「それに関しては問題ないでしょう。空き部屋がいくつかあります。ただし魔法が使用できないとなると、今後の扱いも考える必要がありますね」
シンクが提言する。するとセリーヌが呆れたような表情を向けてきた。
「悩む必要ねーよ。あいつはうちらで囲っておくべきだろ」
意外だった。クラリスはまだしもセリーヌまでイケダを買っているとは思わなかった。
「ですが魔法を使えないのですよ?いわば生命線を絶たれたカタチです。価値の低下は免れないでしょう」
シンクはイケダを追い出したいわけではなかった。過度な期待を持たせたくないだけだった。彼自身も彼の周りも不幸になる。
セリーヌはシンクを見てクラリスを見て、もう1度シンクに視線を戻した。
「あーしの……あーしらの特性は知ってるだろ」
「ええ。存じ上げております」
特性という言葉を使用するときは種族特性を示すことが多い。そして私達と複数形の表現だったら答えは明白だ。
マーガレット姉妹の種族特性は【魅了】。文字通り異性を虜にする。身分や年齢に関わらず、彼女たちを一目見れば心を奪われてしまう。
特性の不自由な部分は無意識化の行動に分類されるところだ。何も考えずに歩いていると、たちまちに男たちの視線を釘付けにしてしまう。
幸いにもクラリスには魔力を扱う才があった。彼女は早い段階で特性を抑える術を学んだ。
しかし妹のセリーヌはそうではなかった。彼女には魔法の才能がなかった。そのせいで特性のもたらす結果を真正面から受けてしまった。
シンクがセリーヌと出会ったのは、まだ彼女が春を謳歌している時期だった。彼女は美しかった。野性的な雰囲気の中に妖艶さがあった。この世の中で一番だとシンクは思った。
初めて出会ってから1年が経ち、彼女は変わった。線がくっきり出ていた身体は見る見るうちに太っていき、艶やかな金髪はくすみ、全身の毛という毛は伸ばし放題になった。
セリーヌ曰く「愛のないセックスに飽きた」らしい。真意は別にして彼女の変貌は周囲に衝撃を与えた。群がる数は激減して単独行動が多くなった。
それでも【魅了】特性を完全に抑えることはできない。クラリスと行動を共にしているときは感じない熱がある。容貌が激変した今でも自然と視線が吸い寄せられてしまう。
シンク以外の男も例外ではない。騎士団員もドラゴン討伐に参加した2つのパーティも彼女を見ていた。そこに負の感情はなく、ただただ性の対象として視線が集中していた。
「あんだけ一緒に行動してたらエロい視線を向けてくるわけ。普通はね。でもあいつは、1度たりともあーしを女として見てなかった」
「え?」
【魅了】から逃れられる男はいない。そう思っていた。だがイケダは違ったようだ。
「男性が好きとか…」
無いとは思いつつも口にしてみる。すると意外な方向から言葉が返ってきた。
「それはない。私には情欲の視線を向けてきた」
クラリスが断言する。これにはシンクもセリーヌも疑いの目を向けるほかなかった。
「いや姉貴さ、そういうの分からんだろ」
「分かる。私は女として見られている」
何故か得意げな表情をしていた。苦手な分野でその道の実力者を上回ったのが嬉しいのかもしれない。
セリーヌが視線を投げてきた。本当か?と。シンクはどちらにも天秤が傾かないよう注意しながら発言した。
「イケダさんが女性を性の対象として見ているのは事実です。マイケル殺人事件の捜査中は道行く女性を目で追っていましたし、性交渉が可能なお店の前で悩む姿も確認しています」
「店に入ったん?」
「いえ。結局止めたようです」
去り際に「ゴムがあればなぁ」と漏らしていたことは黙っておいた。
セリーヌは「ふん」と鼻を鳴らした後、面倒くさそうな口調で話し出した。
「とりま全員の共通認識として、あいつは女好きってハッキリしたっしょ。でもあーしの特性は適用されなかった。何故だし。考えられる理由は1つしかねえ」
「魔力障壁だな」
クラリスの言葉にセリーヌが頷きで返す。
種族特性【魅了】は心身に変調をきたす作用から状態異常に属される。対象者の魔力の流れを乱すことで興奮や愉悦を引き起こし、使用者への好意と錯覚させる。
魔力障壁とは、体内の魔力異常を防ぐ壁を指す。目に見えるものではなく、意図して構築できるものでもない。異常な魔力量の者だけが有する自動障壁機能の呼称として使用される。
つまりイケダには種族特性【魅了】を退ける程の魔力が備わっている、とマーガレット姉妹は結論付けた。
「あいつが魔法を使えなくなった後も、あーしを見る目は変わらんかった。だから少なくとも魔力は生きてる。ドラゴンを瞬殺した魔力が。野放しにするわけにはいかんでしょーよ」
「それは、確かにそうですね」
同意せざるを得ない。どの騎士団も慢性的に人材不足だ。特に魔法使いは希少であり、冒険者ランクC以上に相当する使い手は、是が非でも引き入れておきたいところだ。
「ならば引き続き彼と行動を共にしてくれるか」
「ん?あーしに頼むってことは、姉貴いなくなるん?もしかして国から呼び出された?」
「察しが良いな。本国より召喚状が届いた。どうやら帝国がきな臭い動きをしているらしい」
「ふーん。騎士団全員で行くん?」
「いや、ひとまず私だけ戻る。状況次第では騎士団も戻す。それまでは彼をこの地に引き留めてほしい」
「あーいよ。家にも寄るでしょ?母ちゃんによろしく言っといて」
クラリスが頷いたところで会話は途切れた。それで終わったと判断したのか、セリーヌは立ち上がり衣服の埃をパンパンと払った。
そのまま別れの挨拶もせず、シンク達に背を向けた。と思いきや、勢いよく振り返った。
「ってかシンクさ、相変わらず視線うぜーんだけど何なん?抱きたいんか?別に1回くらいヤってもええぞ」
突然の誘いにシンクは面を食らった。それと同時に露骨な視線を送っていたことを反省した。
「いえ、すみません。気を付けます」
「はぁ。まぁ不可抗力だと思うし、いいんだけどさ。マジでやんなくていいの?」
「ええ。私もあなたと同様に、愛の無い営みはしない主義なので」
セリーヌは嫌悪感丸出しで「キモっ」と漏らした後、今度こそ団長室から出ていった。ドアは開けっ放しだった。
室内には団長と副団長だけが残された。
シンクが退出を言い出すよりも早く、クラリスが口を開いた。
「私の協力は必要か?」
いきなりの申し出に目を丸くしつつ、ゆっくりと首を横に振った。気持ちはありがたいが、余計なことをして勝手に落ち込む未来しか思い浮かばない。ある唯一の分野において彼女は役立たずに他ならなかった。
クラリスは「そうか」と呟いた後、窓に視線を向けた。鮮やかな夕日が差し込んでいる。
「嵐が来る」
「え」
横顔を見つめる。聞き間違いだろうか。確認しようと思ったがやめた。何もかもを拒絶する空気が彼女から出ていた。
シンクは再び窓を見る。
一瞬だけ夕日が血の色に映った。
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