第93話 慧眼

 ボボン王国第一騎士団の宿舎は騒然としていた。明日に迫った遠征の準備で夜遅くまで団員達が動き回っていた。


 一方で団長室は静謐を保っていた。団長クラリスの筆を走る音だけが聞こえる。


 シンクはこの静けさを壊したくなかった。だがこのまま黙っているわけにもいかない。意を決して前へ一歩踏み出した。


「団長」


 呼びかける。顔を上げた。切れ長の眼差しがシンクの瞳をとらえる。


「彼はどうした」


「救護室で眠っています。命に別状はありません」


「衣服に血痕が付着していたように見えたが」


「刺突武器で腹部を刺されましたが、自身で治療したようです」


「自身で……まさか回復魔法か」


「ええ。私の位置からでも緑光が確認できました」


 前日にイケダと別れたシンクは、騎士団宿舎に戻ると見せかけて彼の尾行を始めた。事件の顛末を見届けるためだった。


 確かにイケダは保安課長に潔白を言い渡された。しかしイケダの中で事件が終わったと思えなかった。彼は核心に迫っていた。何らかの行動を起こすに違いない。それも単独でだ。そうでないなら保安課長に捜査内容を報告していたはずだった。


 シンクはイケダと共に捜査するうちに、彼が疑いを持った人物が、彼にとってどういう存在か見当をつけていた。少なくとも友人以上、もしかすると恋人かもしれない。独自にコンタクトをとるのも頷けた。


 具体的にイケダがミリアと何を話したかは知らない。流石に家の中には入れなかった。ただ海鮮山鮮亭から出てきた表情を見る限りでは、望ましい結果は得られなかったようだった。


 その後イケダは宿屋の娘に殺されかけた。こちらも詳細は分からない。シンクの位置からでは何がどうなっているか分からなかった。ステラが路地裏から出るのを見届けた後に入れ違いで入っていくと、行き止まりの壁に背中を預け昏倒している彼の姿があった。


「ステラの殺人未遂を保安に伝えてもよろしいですか?」


「駄目だ」


 予想外の返答だった。シンクは至極真っ当な提案をしたつもりだった。しかし一蹴されてしまった。訳が分からないという表情をクラリスへ向ける。


「これは彼の事件だ。我々が何かを決定してはならない」


「そうは言っても殺されかけたのですよ?見過ごすことは出来ません」


「それも含めて彼に委ねる。彼が訴えたかったら訴えるだろうし、そうでないならそのままということだ」


「目の前で起きた犯罪を見過ごせと?」


「イケダがステラ・コリスに刺されたというのはお前の推測だ。実際に見たわけではないだろう」


「それでも、保安には伝えるべきでしょう」


「彼はミリア・シーフードの件も保安に漏らしていない。凍った事件を溶かすつもりがないと言える。ステラの殺人未遂を密告すれば、彼の意に背くことになりかねない。正しいことが常に正しいとは限らない」


 シンクは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。クラリスはどこまでも不介入を貫くつもりだ。


「不満か?」


「いえ、ただ、どうしてだろうと思って。それも彼を助けた理由に関係しているのですか?」


「…………」


 不意にクラリスが目を逸らした。おおよそ彼女らしくない反応だった。


「そういえば、全てが終わったら話すと言ったな」


「何故イケダさんに救いの手を差し伸べたか、ですね」


「お前が最初に彼を認識したのはいつだ?」


「認識……保安所で保安課長の尋問を受けていた時だと思います」


 それ以前までは名前だけ聞かされていた。その名前もクラリスに告げられるまで忘れていた。


「そうか。私が彼を始めて認識したのは、冒険者ギルドだった。彼は、私の隣にいたお前を見つめていた。私はそんな彼を見ていた」


 何のことだろうとシンクは考えを巡らせた。クラリスと共に冒険者ギルドを訪れたのは数える程度だ。直近だと竜の山領の調査報告だった。半月から1か月前だったと思う。まさかその時にイケダを見かけていたというのか。


「有象無象が集うギルドの中で自然と目が吸い寄せられた。目立つ容姿ではない。どちらかというと多に埋もれる方だろう。だが彼しか見えなかった。こんな出来事は初めてだった。私は思ったよ、これは神からのギフトなんだと。彼こそが第一騎士団の悩みを取り除いてくれる存在足りえるのでは、とな」


「………」


 シンクは思った。それって恋じゃないの?と。


 クラリスを見る。いたって真剣な表情だった。自覚していないということは、一目惚れの経験がないのだろうか。そもそも目の前の女性は恋愛をしたことがあるのか。シンクが行動を共にするようになってから1度も浮いた話はない。


 聞きたいことはたくさんあった。ただ2人の関係は上司と部下であり、団長と副団長だ。私的な会話は仕事に悪影響を及ぼす可能性が高い。慎重に言葉を選ぶ必要があった。


「私はアレックスに彼の情報を流すよう依頼した。多少渋ったが最後には頷いた。そうして彼がゴブリンを蹂躙している話を聞いた」


「え。ちょっと待ってください。アレックスさんではなくて団長発信だったのですか?」


「当然だろう。そうでなければ、いち冒険者の情報が騎士団に入ってくるはずがない」


 確かにと頷く反面、執着しすぎだろうとも思った。


「彼がゴブリンを殺戮していると聞いたとき、やはりと思った。そして先程回復魔法の存在を知らさせて確信を抱いた。私の眼に狂いはなかった。彼は第一騎士団にとって有益な存在となるだろう」


「まぁ、そうかもしれませんね」


 そうやって聞かされるとシンクにも迷いが生じる。恋ではないかもしれない。クラリスの特別な目が才ある男を見出したとも捉えられる。


 シンクはクラリスの真意を見抜こうと凝視した。彼女も見つめ返してきた。澄み切った瞳からは何も感じ取れなかった。


「では……予定通り、彼には明日の遠征に同行いただくということでよろしいですか?」


「ああ。遠征帯同というカタチで対価は頂く。彼も嫌とは言えないだろう。それと、もしも彼が明朝までに目を覚まさなければ私が背負っていこう。意識回復を待つ余裕はない」


「は?別に団長が背負う必要はありません。適当な団員に一任します」


「そうか」


 今のはボケなのだろうか。シンクには分からなかった。


「報告は以上か?ならばそろそろ休め」


「いえ、ですが」


「本日までは私が副団長を兼務している。遠征に関わる準備も私の仕事だ。異論は?」


「ありません。失礼します」


 グダグダ食い下がっても仕方がない。そう判断したシンクは一礼してクラリスに背を向けた。


「シンク」


 呼び止められた。振り返る。


「どうだった?」


 シンクは返答に迷った。何について尋ねられているかは想像がつく。だが尋ね方があまりに抽象的すぎる。


 クラリスは稀にこうした投げかけをしてくる。回答者に全て委ねるやり方だ。


「悪くはなかったと思います」


「ならばよし」


 そう言うとクラリスは再び机に向かった。シンクは何だこの女と思いつつも、そんな彼女を嫌いになれないことも理解していた。


 団長室を退出する。明日からは通常業務に戻る。この場合の通常は騎士団にとっての通常だ。


 悪くはない。その言葉に嘘はなかった。


 シンクは1度団長室を振り返った後、自室へ足を進めた。

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