第92話 容疑者★の献身

「よいしょ」


 背中から何かが引き抜かれた。まるで大事なモノが抜け落ちていくかのような心地だった。


 熱いのか寒いのか分からなかった。痛みは無かった。ただ感覚も無かった。


「話を戻すね。さっきさ、私が悲しんでいないように見えないって言ってたよね。もちろんマイケルのことは好きだったよ?愛してもいた。結婚はまだ考えてなかったけど、別れる気なんてなかった。だから血まみれの彼を見た時はショックだったし泣き出したくなった」


 イケダはお腹に手を当てた。デロッとした感触があった。刺されたのだと理解した。


「でもそれ以上にショックだったのは、血文字でミリアの名前が書かれてたことだったの。わけがわからなかった。なんで?って思った。普段の私ならそこで終わってた。でもその時だけ、どうしてか分かんないんだけど、天啓が下りたの。ああそっかって。ミリアを酷い目に合わせたのがマイケルで、彼女は仕返しを果たしたんだって」


 自身のスキルを心の中で念じる。発動しない。意識が朦朧としてきた。集中しなければ。


「死んだ人と生きてる人、どっちを優先するかなんて決まってる。確かに好きだった。でも恋人はまた作れる。友達はどうだろう?本当に信頼できる相手なんて一生に一人かもしれない。私は私のやるべきことをやったの。後悔もなければ悲しむ余地もない」


 念じる。念じる。発動しただろうか。分からない。瞼が重い。このままでは拙い。


「それとさ。イケダさんと、あとミリアも勘違いしているようだから教えてあげる。私が血だらけのマイケルを見つけたのは午前3時頃。たぶんミリアがコリス亭を出ていった直後だね。私の部屋の真上にある客室、つまり205号室から断続的に音が聞こえてきたんだよね。ドンドンって。さすがの私でも起きちゃったよ。それで部屋に行ってみたら、カギが掛かってて。呼びかけたら微かに私の名前が聞こえてきてさ。急いでマスターキーを取りに行って、開けてみたら、マイケルが倒れてた。そしてその時はまだ生きてたの」


 ジワリと暖かさを感じた。それと同時に身体中の感覚が徐々に戻ってくる。いつのまにか回復魔法が発動していたようだ。イケダは自分の意識がはっきりしてくるのが分かった。


「血文字でミリアの名前を書きながら、助けてぇって。どう見ても虫の息だった。手遅れなのは間違いなかったね。それなのに情けない顔で命乞いしてきてさ、しかも名前だけじゃなくミリアの苗字まで書き残そうとしてたからさ。ついカッとなっちゃって。背中に突き刺さってた包丁を一度抜いて、もう一度刺してやったの。そしたら鳴きやんだ」


 包丁の刺し口が2つあったのはそういうことだったのか、と徐々に冷静さを取り戻した頭で考える。


「そんで勢いそのまま火魔法で血文字を上塗りしたの。今思えばあれは失敗だったなぁ。水拭きで十分消せたと思うんだよね。そうしてたらイケダさんに疑われずに済んだかもしれないし。実際にドアノブと廊下に残ってた血は布巾で拭いたら消えたしね。まぁ焦ってたからしょうがないか」


「…………あぁ」


 最初から違和感はあった。ミリアと会話した後も違和感は消えなかった。どうして205号室で殺す必要があったんだと。


 違った。ミリアはマイケルを2階の廊下で刺した。マイケルは這う這うの体で廊下の奥まで逃げて、どうにかしようと手あたり次第探ったら、205号室が開いているのを知って入室した。そして内側から施錠した。



 お腹に手を当てる。血は止まっていた。治療中を示すジュクジュク音も聞こえる。


 身体を反転させながら上半身を起こす。重労働だった。だがいつまでも背中で聞いているわけにはいかない。


 ステラの全身が眼に入った。右手に刃物のようなものをぶら下げている。恐らくアレで刺されたのだろうとイケダは見当をつけた。


「って、え…………いや、どゆこと?なんで傷が………まさか、回復魔法使えたの?」


 心底驚いた表情だった。流石にこの展開は予想できなかったのだろう。それを言ったら、脈絡なく背後からブスリ刺される展開なんて更に予想できなかった。


「まぁ、一応」


「それにしたって回復速度エグくない?魔法陣が現れたと思ったら、すぐに起き上がったんだけど」


 永遠に感じられた時間は、実際のところ一瞬だったようだ。盲目さえ治療できなかった回復魔法はイケダの中で信頼性が低かった。しかし今回の一件で見直すことになりそうだと思った。


「あー。さっきからツラツラ雄弁に話してるけど、結局マイケルにトドメを刺したのお前なの?」


「お前って。急に口調変わるじゃん」


「そりゃ殺されかけたから。敬語使ってられんよ」


 イケダは怒っているわけではなかった。それよりもステラの話が衝撃的過ぎてそちらに頭がいっていた。


「わけわからん。普通だったら、命を繋ぐための努力をするはずだろ。もしくは右往左往して何もできないか。なぜ殺せる?イカレているとしか言いようがない」


「合理的と言って欲しいな。まぁ、そうだね。イケダさんの期待に応えられないのは申し訳ないけど、あんまり女の子っぽい性格じゃないんだよね。見た目で勘違いされること多いのよ」


「お前がミリアの痕跡を消しまくったせいで、俺が滅茶苦茶追い詰められたんですけど」


「血文字と血痕のこと?いやー、だってねぇ。私も最初は流しの犯行に見せかけられたら十分かなと思ってたよ。でもマイケルが205号室にいたんだもん。これ使えるかも、って思っちゃったんだよね。うまくいけばイケダさんへ疑いの目を向けさせることが出来る。ミリアに捜査の手が及ぶことも無いって。そういう意味だとほぼほぼ成功したよね」


「おまけに俺のことまで刺すし」


「今はいいよ。でもいつか心変わりして保安にチクるかもしれないでしょ?実はミリアとステラが犯人だったんですーって。それは駄目だよ。許されないよ。だったら消しといた方が安全じゃん」


「だからその思考がイカレてるんだよ」


 イケダは行き止まりの壁に背中を預けた。回復魔法は作用している。効果は絶大だ。ただ立ち上がるまで回復するにはもう少し時間が必要だった。


 改めて考える。偶然仲良くなった女性2人ともが、おおよそ一般的でない考えの持ち主だったなんて誰が想像できようか。一方は殺人を犯し、もう一方はその幇助をした。未だに理解が及ばない。もはや何が偶然で何が必然かもわからない。


 つくづく人を見る目が無いなと自嘲する。裏の顔を見抜くことも出来なかった。ないない尽くしだった。


「さーてと、もういいかな。最後は包丁がいい?それとも火魔法がいい?選んでいいよ」


「いや、ちょっと待って」


「火魔法にしよ。光源でちょっと目立っちゃうけど、すぐに逃げれば大丈夫だと思うし。それに身元不明遺体の方がバレにくいしね。そう考えるとマイケルも焼いといた方が良かったかな」


 イケダは自問した。ステラは自分を殺そうとしている。自分は彼女を殺したいのか。


 答えは否だった。確かに1度殺されかけたし、今も殺意は萎えていない。まるで日常のヒトコマのように自分を殺害するつもりだ。


 だがイケダにとってステラは、首都マリスで初めて仲良くなったヒトだった。彼女のお陰でマリスの日常に華が咲いた。彼女と彼女の母親が暖かく迎え入れてくれたおかげで、孤独を感じずに済んだ。


「殺されたくない」


「うん。分かってるよ。でもゴメンね。詠唱始めるよ。万物に宿りし炎よ――」


 ステラの足元に魔法陣が現れる。色鮮やかな赤だった。闇夜に照らされてとても映える。


「そして、殺したくもない。お前が……あなたがどう思おうと、あなたは俺の友人だから。あなたが食卓で見せた笑顔は、ウソじゃなかったと思うから」


 ステラはイケダを見つめていた。イケダも視線を逸らさなかった。


 ふとステラはイケダの顔に違和感を覚えた。いつもと違う。どこだろう。すぐに気づいた。


 ダークブラウンだった瞳がクリアブルーに様変わりしていた。


「でも、あなたが火魔法を使うと言うなら、反撃せざるを得ない。俺は、俺が持てる力をあなたにぶつける」


 ステラは寒気を覚えた。精神的なモノかと思ったが違う。周囲の空気がヒンヤリしている。明らかにこの一帯だけ気温が低下していた。


「…………」


 いつの間にか詠唱を中断していた。無意識だった。彼の瞳と周囲の空気によって強制的に解除させられたのだと思った。


 イケダの瞳がダークブラウンに戻った。それと同時に肌を打擲していた冷気も消え去った。


 ステラは苦笑いを浮かべながら両腕をさすった。


「なに今の。Fランク冒険者とは思えないんだけど」


「そっちこそ。宿屋の娘とは思えない狂気だよ」


 ステラは理解した。彼を殺すことはできない。それどころか、今後は傷一つ負わせることすら困難だろう。同じ魔法使いだからこそ分かる。彼は次元の違う所にいた。



 ステラは気持ちが萎えていくのを感じた。それと同時に虚無感が襲ってきた。


「はぁ…………………あーあ、どうしてこうなっちゃったんだろ」


 ステラはマイケルを愛していた。そこに嘘はなかった。


 ステラはミリアを見捨てられなかった。そこにも嘘はなかった。


 彼女は最善を選択したはずだった。マイケルが死んで、ミリアも捕まってしまったら、彼女は同時に2人も大切なヒトを失ってしまう。だから1人だけでも助ける。たとえそれが最愛のヒトを殺した相手でも。


 正しいことをした自負があった。でもそれは誰にとっての正しさだったのだろう。


「イケダさんさぁ、さっき私のこと殺したくないって言ったよね」


「ああ」


「私はあなたを殺そうとしたんだよ。回復魔法が使えなかったら死んでたんだよ。それでも許せるの?」


「許せないよ」


「え?」


「でも殺さないよ。それが理性を持つ我々ニンゲンの特権だから」


「………いまカッコつけた?」


「うん」


 思わず笑ってしまった。イケダも笑っていた。相変わらず変な笑顔だと思った。


 ステラは右手にぶら下げていた包丁を内もものホルダーに収納した。スカート越しでは見えない仕様だった。


「最終確認だけど、保安にはチクらないんだよね?」


「ああ」


「信じていいんだよね」


「あい」


「分かったよ。じゃあお家戻るね。イケダさんも一緒に行く?」


 イケダは一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、静かに首を横に振った。


「そう。じゃあ、ばいばい」


 ステラは踵を返して歩き始めた。イケダはその背中をボンヤリ見つめていた。ぼんやりと。


 突然、睡魔が襲ってきた。魔力を消費しすぎたか、精神的疲労によるものかもしれない。


 半ば強制的に瞼が閉じられる。心の中では、このままではいけないという思いと、もう大丈夫だという思いがせめぎ合っていた。そして次第に後者へ傾いていった。


 ステラはもう戻ってこない。確信があった。この場所には戻らない。そしてあの頃の彼女にも戻らない。


 瞼の裏に光がともった。それはヒトの形をしていた。呼びかけられている。イケダ、イケダと。


 手を伸ばす。届かない。あと少しだった。でも届かない。


 次第に光は収束し、イケダの意識は闇に包まれていった。

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