第91話 蛇足
カランコロン。聞き馴染みのある音が聞こえた。「はーい」と返事をしながら扉から出てきたのはコリス亭の一人娘、ステラ・コリスだった。
「いらっしゃ……あ」
「えーと、こんばんわ」
夜の10時。チェックインはまだ出来るはずだ。しかし宿に泊めてもらえるかどうかは別の話だった。
そもそもイケダは宿泊する気などなかった。直接的ではないにしろ、迷惑をかけたことを詫びて去るつもりだった。
「あの……」
「ごめんなさい!」
用件を伝えるよりも早く、ステラが謝罪の言葉と共に頭を下げた。
「えーと」
「保安のヒトから聞いたの。イケダさんが無実だったって。だからその、色々とごめんなさい」
「いや、あの状況じゃ仕方ないですよ。頭を上げてください」
イケダは「お前の偽装工作のせいでパクられるところだったわ!」と声高にツッコみたくなったが、今更その事実を指摘したところで何も変わらない。
「水に流して、なんて都合のいいことは言えないけど、もしよかったら、これからもコリス亭を利用してくれると嬉しいな」
「ええ、それはもちろん、はい」
「じゃあ今日も泊まってく?泊まっていくよね。ちょうど一部屋空いているんだ。誰も泊まりたがらない部屋なの。へへ」
イケダは瞬時に察した。205号室だと。どの世界でもいわく付きの部屋は避けられる運命にあるようだ。
可能なら拒否したい。だが間接的にコリス亭を数日間営業停止に追い込んだ負い目がある。自分が背負い込む必要のない責任であるのは分かっている。しかし理屈だけでは物事を決められない。
「そうですね。じゃあ1泊だけ、お願いできますか」
「ありがとー。ご新規1名様入店でーす」
「そんな掛け声ありましたっけ?」
笑顔だった。恋人が殺された影は微塵も感じられない。イケダはますますステラの事が分からなくなった。
果たして切り替えが早いという言葉だけで済ませてよいものか。もしくは痛みや辛さを表に出さないよう努力しているのか。
イケダは聞きたかった。何故そんなにも元気なのか。何故ミリアを庇ったのか。何故事件前と同じ態度で接することが出来るのか。
口を開きかけるも止めた。イケダの中では、ミリアと会話したことで事件は終息していた。これ以上は蛇足だった。分かったところで何も良いことは無いし、何も変えられない。
「あ、そうだ。この後予定ある?寝るだけ?」
「そうですね」
「じゃあ飲みに行かない?無罪釈放祝いしよ」
「えー、分かりました。行きましょうか」
「よーし。ちょっと待ってて。お母さんに出かけるって伝えてくるね」
ステラがリビングへ続くドアへ入っていった。
明日のためにも早めに休んでおきたかった。だがステラの誘いを断れるはずもない。罪は無くとも負い目はある。
イケダは小さく息を吐いた後、財布袋の残金を確かめながら彼女を待った。
★★★★
「それにしても客足戻るのが早いですね」
「マリスみたいな大都市だと刃傷沙汰も日常茶飯事だから。いちいち気にしてたら生活できないんだよ。それでも人の死んだ部屋は避けられちゃうんだけどね」
バーに続く道を歩く。ステラの先導だ。オススメのお店があるらしい。少なくともマリスミゼルではないようだ。進行方向が逆だった。
相変わらずステラは平常だった。まるで事件の記憶が抜け落ちているかのような態度で接してくる。
交際相手の死が悲しくないのだろうか。そんなはずはないとイケダは思った。彼は覚えていた。逮捕される直前に向けられた憎悪の眼差しを。
そんな折だった。ステラが小首を傾げながら見上げてきた。
「……………イケダさんさぁ、もしかして不思議に思ってる?」
「え、何がですか」
「私が悲しんでないこと」
図星だった。というかタイミングが良すぎた。そのせいで頬が震えた。ポーカーフェイスを気取る彼にとって珍しいミスだった。
ステラは「やっぱり…」と呟いた後、再び眉をひそめた。
「っていうか気づいているんじゃないの?私がやったこと」
「えーと、何の事ですか」
今度は我慢した。少なくとも表情には出さなかった。我慢してから思った。果たしてとぼける必要があったのだろうか。
「怪しいなぁ」
「ちょっと何言ってるか分かりませんね」
「コリス亭に来る前はどこに行ってたの?」
迷った。一時の嘘は可能だ。だがステラとミリアは親友だ。いずれ情報共有されるだろう。
少なくともミリアはステラに負い目がある。彼氏を殺害した件。コリス亭を営業停止に追い込んだ件。偽装工作の件。
ステラからミリアに対しアクションを起こすことは無いかもしれない。だがミリアからステラに対してはあり得る。ほぼ確実と言っていい。それが謝罪か、それ以外の行動かは分からない。ただその中で事件の話をしないわけがない。必然的にイケダの名前も出てくる。
イケダは開き直った。ここで隠すことに意味はない。むしろ適当に誤魔化したらステラの評価が下がる。今更どうということは無いが、後味は悪くしたくなかった。
「コリス亭に来る前は、ミリアさんのところですね」
「ふーん。なに話したの?」
「マイケル殺害事件についてです」
「なんでミリアと?」
「言う必要がありますか」
ステラが立ち止まった。イケダも自動的に止まる。いつの間にか裏路地のようなところを歩いていた。隠れ家的なバーへ向かっているのだろうと見当をつけた。
ステラの顔から笑みが消えていた。これ程の真剣な眼差しを見たのは初めてだった。
「………どこまでかな」
「ほぼ全てだと思います」
「そう。保安には言ったの?」
「いえ、わざわざコールドケースを掘り起こす必要はないと思って。冤罪が生まれたわけでもないですし」
「……………そっか。そーか。あー。まぁそうだよね。気づくとしたらイケダさんしかいないもんね」
イケダは小さく頷いた。肯定の意味だった。
確かに保安員では辿り着けないだろうと思った。イケダという被疑者の存在が捜査を盲目にさせていたこともそうだが、少なくとも彼は保安の知らない情報を3つ抱えていた。ステラとミリアの関係、事件が起こる前の205号室の床板状況、事件当日ミリアの取った不自然な行動。これらは真相にいたるための重要なキーと言えた。
「ミリアさんとは事件についてお話しされましたか」
「ちょびっとだけね。ただ大体は想像ついたよ。冒険者を辞めた理由は知ってたし、マイケルと別れた方がいいって何度か言われてたし。それで205号室の床板にミリアの名前が書かれてたから」
「…………」
イケダはあえて沈黙で返した。ここで得意げにダイイングメッセージ隠蔽の件をツラツラ話したところで得られるものはない。
いつの間にか突き当りに到達していた。正面は何の変哲もない壁だ。左右それぞれに小さな扉がある。どちらかがバーの入口だろうか。
「ということはさ。イケダさんは事件の真相を誰にも漏らすつもりは無いんだね」
「ええ、はい」
「そっか」
声は背中から聞こえた。さっきまでは隣だった。振り返る。それよりも早く、腰近くに違和感を感じた。
ぶすっと。何かが押し込まれた心地がした。
それが自然な事であるように視線を下ろす。お腹から鋭利なモノが突き出ていた。
「でもゴメンね。あまり親しくないヒトの言葉は信じられないんだ」
耳打ちするように伝えられた。身体が密着していた。彼の背中に彼女の胸が押し当てられていた。
そう感じるとの同時に、全身から力が抜け、イケダはその場に崩れ落ちた。
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