第90話 緑光の呪い

「さて。私はこれからどこへ向かえばよいですか?」


「え?」


 突然の謎質問にイケダは眉をひそめた。


「保安には今の話を伝えてあるのでしょう?それとも彼らから迎えに来てくれるのですか」


 理解した。それと同時に迷った。迷いは一瞬だった。方針を変えるつもりはない。


「保安には言ってないです。今後も言うつもりはありません」


「なぜ?」


「それがなぜです。なぜ彼らに伝える必要がありますか?」


「いや、だって…………ああ、そっか。そういうことなんですね。分かりました」


 ミリアはソファのある方へスタスタと歩き、ダイニングテーブルに背を向ける位置で止まった。いったいどういうつもりだろうと見つめていると、背中越しに話しかけてきた。


「どうぞ」


「え?」


「自らの手で終止符を打ちたいのでしょう。私は抵抗しません。正面だと怖いので、背中からお願いします」


「………おぉ」


 そういうことかと得心する。駄々っ子のように泣き叫ぶとは思っていなかった。ただ物理的な反撃は視野に入れていた。だが彼女は罪を受け入れ、あまつさえ自らの身体を差し出してきた。


 イケダは再び迷った。しかしこれも一瞬だった。自らも立ち上がり足を運ぶ。歩いて、彼女の背後に立つ。


「覚悟は決めたと、そう捉えていいんですね」


「ええ。私はあなたの人生が破滅するキッカケを作り、また保身のためにそれを黙認しました。決して許される事ではありません。保安部隊に頼らず自ら制裁を加えると言うのなら、どうしてその行いを止めることが出来るでしょうか」


「分かりました」


 彼女の背中に右手を当てる。何の反応も無かった。死ぬことが怖くないのだろうか。


 怖くないのかもしれない。オークに大事なモノを奪われた時点で、彼女は1度死を迎えた。2回目なら恐怖も薄れる。


「私は、法に従順な男です。どこに行ってもその国、コミュニティのルールに従います。それが私の処世術であり生きるための模範です。ですが法も完ぺきではありません。大多数を救う代わりに少数の犠牲に目を瞑る部分は確かに存在します。仕方が無いと言えばそれまでです。全員が納得するものなど作れるわけがないですから」


「はい」


「しかし。我々は極まれに少数へ分類されることがあります。法に見捨てられた人達です。彼らはどうすればよいでしょうか。選択肢は2つです。内法に諦めるか、外法に頼るか。あなたは後者を選びました」


「ええ。法を破りました」


「私もです」


「え?」


 イケダは思い出していた。彼は獣人国ビーストで1人の男性を凍らせた。明らかに法律を無視した行為だった。もっと上手いやり方があったかもしれない。だがあの時はああするしかないと思った。そして今でも後悔していない。


「あなたにマイケル氏を裁く権利が無いように、私にもあなたを害する権利はない。私刑が許される人物などこの世にいないんです」


「だったら、どうして保安に報告しなかったのですか?」


「報告したところで何も変わりません。あなたを犯人と示す証拠はあなたの友人が隠滅してしまいました。そして隠滅したという証拠も出てこないでしょう」


「それは、イケダさんの憶測です。報告しない理由にはなりません」


「なります。私の捜査によって真犯人まで辿り着いたのです。その私が言うのです。これ以上の蓋然性があるでしょうか」


「…………」


 手のひらから、ほんのり暖かさと確かな鼓動が伝わってくる。命に触れていると思った。


「では、何もしないということですか」


「いいえ。確かに害する権利はないと言いました。ですが何もしないわけではありません。私を窮地に陥れた恨みは晴らします。今ここで」


「ええ……そうでしょう。そうでしょうとも」


 声色からは安堵が感じられた。罰せられることをお望みらしい。ならばと右手に力を籠める。


「法に触れるつもりはありません。私は私のやり方であなたに復讐します」


「はい」


「今からする行為は一種の博打です。失敗する確率が高いです。そして成功するのがよいとも言えません。もしかすると死ぬことよりもツラいかもしれない。全てはあなた次第です。さぁ眼を閉じて。絶対に振り向かないでください」


 使用するのは久しぶりだった。一瞬忘れているかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。どうやら手続き記憶に分類されているようだ。


 足元に魔法陣が現れる。ぐるぐる、ぐるぐると。勢いよく回転を始める。


 無音だ。ミリアは気づいていない。それでいいと思った。


「あなたがもう1度、誰かを本気で愛した時、成否が分かります。だから、これはお願いであり命令です。あなたを愛する人を、愛してください」


 右手から緑閃光が溢れ、ミリアの全身を包んだ。イケダが使ったのは回復魔法だった。


 氷魔法と比べるとスキルレベルは格段に下がる。盲目さえ治せなかった。臓器の修復はさらに困難だろう。それに回復魔法で如何にか出来るなら、既に教会で治療しているはずだ。


 だが、とイケダは思う。異世界人のスキルは一般のソレと違う。同じ回復魔法でも、効果は異なるのではないかと推測している。だから彼女には博打と言った。


 失敗してもイケダに損はない。成功してもイケダに得はない。全ては彼女のためにやることだ。


 ミリアを憎む気持ちがある。それと同じくらい、ヒトとして彼女を好ましく思う気持ちがある。


 愛憎相半ばする境地が回復魔法という結論へ導いた。



 緑光が消えた。右手を背中から外す。ミリアは微動だにしない。話しかけてくることさえなかった。


 クルリと身体を回転させ、少し歩いた後、リビングのドアを開ける。もしかするとこれが今生の別れになるかもしれない。何か最後に話すべきだろうか。


 イケダは迷った。だがそれも一瞬だった。話したい事も聞きたい事もある。ただそれは事件前の彼女だ。マリスミゼルで他愛無い会話をしていたあの頃にはもう戻れない。ならば話すことも無い。



 リビングから出て扉を閉める。


 本当の意味で事件は終わりを迎えた。彼を苦しめた数日間に終止符が打たれた。


 だが彼の胸に去来したのは、空虚な達成感と大きな喪失感だった。

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