第89話 運命の殺人者
どれほどの時間が経っただろうか。両目を閉じて沈黙を保っていたミリアがゆっくりと眼を開けた。その瞳からは強い覚悟のようなものが感じられた。
「………仮に。ステラが誰かを庇ったとして。どうしてそれが私だと言えるでしょう?彼女には私の他にも大切な存在がいるはずです」
「そうですね。両親のどちらかかもしれないし、他の親友かもしれません」
「ならどうして?」
「言ったでしょう、始まりは些細な嘘です。その1点であなたを疑い始めました。そして私には他の方々を捜査する時間はありませんでした」
「つまり、私が犯人であることに賭けたと?」
「逆です。あなたが犯人であってほしくなかったから、あなたを中心に捜査したのです」
本心だった。ミリアの嘘に気づく直前、イケダはほとんど諦めていた。しょせん素人だ。ミステリー小説の真似事で解決できるはずがない。
幸いにも、彼には奥の手として【氷魔法で滅茶苦茶にしてやる作戦】があった。クラリスが救いの手を指し伸ばさなければ、もっと早くに実行されていたはずだ。
逃亡する前にミリアの潔白だけは示しておこう。そんな気持ちでもう1度エンジンをかけ直した。しかし結果は彼の望んだものではなかった。
「ステラさんの殺人幇助を思いついた時点では、ミリアさんも容疑者の1人に過ぎませんでした。疑わしいが証拠はない。そこで確証、いわゆる動機を探るためにマイケル氏周辺の人物へ再度聞き込みをしたのです。結果は大当たりでした。漆黒の顎の副リーダー、ジョン氏が知っていました。彼のことはご存じですね」
「…………」
「マイケル氏とジョン氏、そしてミリアさん。あなた達は漆黒の顎の前身にあたるパーティで一緒だったようですね。そしてリーダーのマイケル氏とメンバーのミリアさんは恋人同士だった」
彼女は言っていた。海鮮山鮮亭で働く前は冒険者をやっていたと。今思うと会話の中にヒントは散りばめられていた。
「ジョン氏から見た限り、あなたとマイケル氏の関係は良好でした。近いうちに結婚するだろうとまで思っていたようです。そんな最中、ある事件が起きてしまいました。ここからは彼の主観的な話なので所々誤っている部分があるかもしれません。ただ大筋は合っていると思われます」
「彼は話したんですね」
「ジョン氏としても、過去を掘り返されるだけでなく今後のパーティ活動に支障をきたす恐れがあったので隠し通すつもりでした。しかし私がピンポイントでミリアさんの名を告げたことで、もう隠すのは無理だと判断されたようです」
「そうですか」
「それだけですか?」
「ええ。続きをどうぞ」
イケダにはミリアの感情が全く分からなかった。焦る場面で焦らない。慌てる場面で慌てない。まるで今この時だけ感情に蓋をしているようだと思った。
「討伐系をメインにこなしていたあなた達は、その日も例外なく討伐依頼を受注しました。討伐対象はオークの小さな群れ。依頼ランクはD。パーティランクBのあなた達なら問題ない難易度でした。現場に到着したマイケルパーティは、偵察もそこそこにオークへ攻撃を開始しました。最初の数体は難なく倒せました。違和感を覚えたのはあなただったようですね。多くても一桁の群れと聞いていたのに、実際は二桁に到達していました。オークの増援が止まる気配はありません。あなたはマイケル氏に撤退を進言しました。ですが彼は却下しました。どれだけ数が多くてもオーク程度に後れを取らないとでも思っていたのでしょう」
止める気配はない。強い女性だと思った。
「その油断、慢心に足をすくわれました。オーク一体と相対していた彼は、もう一体の接近に気づきませんでした。あなたは気づきました。だから庇った、庇ってしまった。その影響で太ももに裂傷を負ったあなたは歩くことさえままならない状態になりました。残念ながら当時のパーティに回復役はいません。マイケル氏はその時初めて事態の深刻さに気付きました。そうして彼はようやく撤退を始めたのです―――歩けないあなたを置いて」
「………」
「その後あなたは、3日後に救助隊が駆けつけるまで…………オークに囚われていました。ギルドに救助依頼を出したのはジョン氏でした。あなたは救い出されました。命は助かりました。しかし癒えない傷を負いました。3か月の入院。それと、中絶。どちらも教会に記録が残っていました。そしてあなたが入院している間にマイケル氏はパーティを解散。マリスから姿を消しました。なおマイケル氏は解散する際に今回の件は口外しないようメンバーに強制しました。よって事件は闇に葬られました」
マリスミゼルでの出来事を思い出した。ミリアはオークの名前を聞いた際、怒りを露わにしていた。また子供連れを羨望と寂寥の眼差しで見つめていた。
マイケルは2つの命を見捨てたことになる。ミリアとお腹の中の子供だ。彼女が抱えた痛み、悲しみはどれ程のものだっただろうか。
「以上がジョン氏の隠していた過去、そしてある女性が復讐を決めた動機です。ステラさんと密接な関係にある、かつマイケル氏に恨みをもつ人物の証明としては十分でしょう」
誰だって1つや2つ、ヒトには言えない過去がある。ただミリアの場合はそれが大きくて重すぎた。半ば無理矢理に暴いてしまったことへ罪悪感を覚えつつも、笑顔の裏にあった苦悩に同情せずにはいられなかった。
「わたしは、あなたがやったとは思いたくない。だけどあなたを犯人と仮定すれば、おおよその筋が通ってしまうのです。ミリアさん」
保安はミリアまで辿り着かなかった。原因の1つはジョンが後ろめたい過去を隠匿していたからだが、もう1つは鑑取り不足だろうと思った。容疑者を1人に絞り、その人物が白と分かったら流しの犯行に切り替えた。マイケル、ステラの周辺をもう少し聞き込み調査するべきだったと、素人ながらも感じた。
ミリアはイケダを見つめている。イケダも見つめ返した。推理には自信があった。イケダの中では彼女は真っ黒だった。だが一方で否定してくれとも思っていた。
イケダがミリアを疑い始めた時点で、今まで通りの関係は続けられないことは確定した。それでも彼女が誰かを殺したという事実よりは、自分が勘違いで疑ってしまった現実の方が遥かにマシだった。
ミリアは徐に立ち上がるとクルリと振り返り、窓へ手をついた。顔が見えなくなった。
しかしその行動でイケダは気づいた。終わってしまったんだと。
「キッカケはスーちゃんの自慢でした。コリス亭に泊まった男性に言い寄られて交際が始まったと。凄く格好いいんだよって。その時は特に気にしませんでした。ああ、また乗り換えたんだとしか思いませんでした。恋多き女の子でしたから」
「ええ」
「名前を聞かされた時もにわかには信じられませんでした。だって恋人を地獄の淵に叩き落として責任も取らずに逃亡した男が、数年足らずでマリスに戻ってくるとは思わないでしょう?厚顔無恥というか、思慮が浅いというか。確かにマリスは広いです。再会する確率は限りなく低いでしょう。それでもゼロじゃない」
「そうですね」
「ステラが奴と出会い、恋人関係にまで発展したのは偶然です。そこに誰かの思惑はありません。だからこそ私はこう思うことにしました。ああ、これは運命なんだと。奴が私の尊厳を殺したのと同様に、私にも奴の肉体を殺す機会が与えられたんだって。神の采配は平等でした」
「………」
「正直に言うと、公衆の面前で殺してもよかった。復讐さえ果たされればこの身がどうなろうと構わなかった。最初はそう思いました。ただその時、母の顔が脳裏に浮かびました。私が捕まると悲しい思いをさせてしまう。それでなくとも苦労を掛けてきたんです。彼女だけは不幸にしたくない。だから、こうなりました」
振り返った。笑っていた。
「イケダさん。3点……いえ。2点ほど、よろしいですか」
「なんでしょう」
「1点目。恐らく勘違いされていると思うので訂正させていただきます。私はあなたに罪を被せるつもりはありませんでした。そもそもイケダさんがコリス亭を利用されていることは知っていましたが、どの部屋に滞在しているかまでは分かりませんでした。あなたが保安に連れていかれたと聞かされた時は驚きました。ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
目の前で頭を下げる。イケダはその様子をジーと見つめた。今の話が真実か考えていた。
すぐに考えるのをやめた。本当だろうが嘘だろうがどちらでもいい。結果が全てだ。イケダが拘束されたと聞いた後もミリアが自ら犯人だと名乗り出ることは無かった。つまり彼女はイケダよりも自身ひいては母親を優先したことになる。
仕方がないと自分に言い聞かせる。天秤の反対側が己と母親の人生なら、どちらを切り捨てるかなど目に見えている。そう、分かる。理解できる。ただ理性と感情は別だ。イケダの中から裏切られたという気持ちが消えることは無い。
「もう1つはオークの件です。確かに私は教会のお世話になりました。ですが堕ろしたのは奴……マイケルの子供じゃありません」
「え、いや、でも確かに堕胎の記録はありました」
微笑んだ。瞬間的に恐怖を覚えた。酷く恐ろしい笑顔だった。
「奴との子供は、オーク共に蹂躙されている間に堕ちました。私が教会で堕胎したのは、化物の子です」
「…………」
イケダは天を仰いだ。ミリアの顔が見れなかった。温室育ちの彼にはヘビーすぎる話だった。
「まだ話は続きます。蹂躙された時か、化物を堕胎した時か、正確な時期は分かりません。事実は1つです。私は子供が産めない身体になりました。今後一生です。誰かを愛しても、身体を交えても、新たな命は宿りません。この苦しみが分かりますか?」
イケダは閉眼して首を横に振った。自ら切り出しておきながら、早くこの時間終われと思っていた。
しかしある事を思い出して目を開けた。彼女に対してもう1つ聞くべきことがあった。
「だとしたら、私と会い続けてくれたのも、犯行に利用するためだったのですか?」
「…………分かりません」
「え」
「そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。最初は利用しようと思いました。コリス亭の宿泊客を1人でもコントロール出来たら、犯行に及ぶ条件が整う可能性が高まります。ですが最終的には利用しませんでした。そのせいであなたが容疑者に挙げられたのは皮肉な話ですが」
「えーと、つまりどういうことでしょう」
そう言うとミリアはウンザリした表情を向けてきた。
「あなたは……賢いのか賢くないのかよく分からないですね」
「恐縮です」
「褒めてないですよ」
ここまできて普通の会話をしているのが不思議だった。ただ悪くはないと思った。
「いえ冗談です、分かります。そうですね、聞き方を変えましょう。もしも私があなたのやったことに気づかなければ、2人の関係は続いていたと思いますか?」
「それは、ないでしょう」
「何故ですか。やはり私のことを……」
ミリアは苦笑しつつ手を横に振った。
「違います。あなた、イケダさんです」
「え?」
「あなたは私を見ながら、私を見ていませんでした。瞳の奥に他の女性を住まわせていました。それが誰なのか分かりません。ただその方の影を取り除かない限り、あなたの心に触れることは叶わないと思っています」
「………」
目を伏せる。思い当たる節があり過ぎた。だがミリアに気づかれているとは思わなかった。セレスティナの事は一言も話していない。
女性の勘、洞察力は恐ろしい。改めてそう思った。
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