Red Dragon

第95話 Residue

 目覚めは唐突だった。


「………」


 身体が小刻みに動いている。気のせいだろうか。まだ頭がぼんやりしているようだ。


 いや違う。実際に移動中だ。目の前の背中を見つめる。どうやら誰かにおんぶされているらしい。


 誰かなんて曖昧な表現はいらない。肌の色と体表面積で凡そ見当がついた。だがどうしてこんな状況なのか。分からない。とりあえず口を開く。


「おはようございます」


「む、起きたか」


「ええ。えーと、これどういう状況ですか?」


 足の動きが止まる。肩越しに振り向いた。見慣れた豚面だ。つまり俺を背負っていたのは孤高のオーク戦士、ジークフリードだった。


「知らん」


「知らんて」


「奴に聞け」


 ジークが視線で促す。その先に立っていたのは、こちらも見慣れた超絶イケメン金髪男騎士だった。



 ★★★★



 オークの背中で目覚めて数十分が経過した。行軍が小休止に入ったので早速シンクから話を聞くことにした。何故か団長もついてきた。


 騎士団配給の昼食を口に入れつつ、質問を投げかける。


「シンクさん。何故私はここにいるのでしょう?」


「あなたがこの場にいるのはイデア神の導きです」


「え」


「冗談です」


 溢れんばかりの笑顔だった。いわゆるイケメンビッグスマイルだ。先日の捜査では1度も目にしなかった顔だ。もしかするとこちらが素に近いのかもしれない。


「路地裏で気を失っていたあなたを騎士団宿舎へ連れ帰り、そのまま遠征に帯同いただいたということです」


「遠征………いやその前に。質問があります」


「どうぞ」


「もしかして全部見てました?海鮮山鮮亭のダイナミック推理パートや、コリス亭のファンタスティックどんでん返しとか」


「ちょっと言っている意味が分かりませんけど詳細は存じ上げません」


 つまり概要は知っているということだろう。


 尾行されていたか。当然かもしれない。保安所で別れる際に、一応口止めはした。ミリアの件はこちらで処理するから、保安には伝えないでくれと。シンクは頷いてくれた。だがどうしても結末が気になったのだろう。もしくは最後まで見届けるよう団長から指示を受けていたのかもしれない。


「介抱いただいたのは感謝します。それで、遠征というのは?」


「ドラゴン討伐です」


「ぶほぅ!な、おい、聞いていないぞ!」


 俺ではない。隣のオークが昼食を吐き散らかしていた。そうだ、この生き物の件も確認しなければならない。


「なぜオークの彼が遠征隊にいるのですか?」


「おいイケダ。そんな質問は後でいいだろう。もっとドラゴンについて驚け」


「ああ確かに………えぇ、ドラゴン!?どういうことですかそれ!」


「驚けって言われてから驚くヒト初めて見ましたよ」


 シンクに小さく頷きながらその背後へ目をやる。騎士団長は相変わらずの無表情でこちらを見つめていた。まだ一言も発していない。どういうつもりなのだろう。


 ついでに周囲へ目を配る。舗装された道に馬車が2台並んでいた。騎士団所有らしい。食料や予備の武器が積まれているのだろう。


 騎士団は総勢50名程の大所帯だった。青と白で統一された装備を身に着けている。今はめいめいの場所で昼食をとっていた。


「遠征の件とオークさんの件、どちらからお話ししましょうか?」


「遠征内容からお願いします」


「結局そっちなのか」


 ジークフリードの戯言を流しつつシンクの返答を聞く。


「キッカケは、マリス政府の調査依頼でした……」


「え、怪談始まってます?」


「シンクと言ったか。貴様声を作るなよ」


「いやいや。作っていませんよ。普通です」


「おい」


 本日の第一声だった。たった2文字だがその威力は凄まじいものがあった。


 シンクの背後から放たれる眼光によって自然と姿勢が正される。どうやらおふざけはここまでのようだ。シンクは俺とジークに、横やりを入れるなと目配せした後、再び話し始めた。


「始まりはダリヤ政府からの依頼です。内容はダリヤ北部を調査してほしいというものでした。詳しく聞くと、最近竜の山領で大規模な戦闘があったらしく、その影響でドラゴンがダリヤに流入している恐れがあるとのこと。早速調査に赴いたところ、確かにダリヤ北部でドラゴンの姿を1頭確認できました。今回の遠征目的はそのドラゴンを討伐することです」


 竜の山領はダリヤ商業国の北部と隣接している。はぐれドラゴンが迷い込んでも不思議ではなさそうだ。


「大規模な戦闘というのはなんだ」


「詳細は分かりません。目撃者の一部が紫の巨人女を見たと喚いているようですが、それも眉唾物です」


「…………」


 一瞬ジークと顔を合わせるもすぐに視線を逸らす。沈黙は金。


「竜の山領に生息するドラゴンがダリヤに迷い込んでくるのは珍しいことなのですか?」


「珍しいです。数十年に1度あるかないかだと思います。そのたびにマリスから討伐部隊が送られました。今回は私たちにお鉢が回ってきたということです」


 ダリヤ北部にも都市は存在したはずだ。それでもマリスの冒険者ギルドが主導しているのは伝統か、それとも他都市では抱えきれない案件と判断されたのか。


「王国第一騎士団だけで討伐できるのでしょうか?」


「可能だと判断しました。確かにドラゴンは凶悪です。魔物の中では最上位の位置に君臨するでしょう。ですが幸いにも発見されたのはレッドドラゴンです。ドラゴンの中では最弱と言っていい。それに戦うのは我々だけではありません。あちらをご覧ください」


 シンクの指さした方向を見る。冒険者の格好をした人達が10人ほどたむろしていた。


「パーティ【ドラゴンナイツ】と【センス・オブ・ワンダー】の面々です。彼らにも参加いただきます。どちらもドラゴン討伐の経験があるらしいので貴重な戦力と言えるでしょう」


 一方は屈強な男だけで形成されたガチムチ集団、もう一方は変な恰好だらけのコスプレ集団だった。そしてコスプレの中に見覚えのある者が2人もいた。


「って、203号室と204号室のやつ!」


「え!?」


 シンクからも素っ頓狂な声が上がる。コリス亭から忽然と姿を消し捜査をかく乱させた2人だ。こんなところで遭遇するとは思わなかった。


「どなたですか」


「あの、あれです。前髪で目が隠れている女性と、全身黒ずくめのヒトです」


「分かりました。ちょっと聞いてきますね」


 シンクは昼食の器を地面に置き、センス・オブ・ワンダーの方へ駆け寄った。止める間もなかった。別に急ぐ必要はないだろうに。


 この場には俺とオーク、そして団長が残された。


「…………」


「…………」


「…………」


 早速沈黙が下りる。どうするか。無理に会話する必要はない。ただ円滑な人間関係を構築するには言葉を交わすことが最善で最短だ。やってみようか。


「クラリスさん。その、先日はありがとうございました。色々と便宜を図っていただいたようで」


「気にしなくていい」


「いえ、気にしますよ」


「いらん。こうして遠征に帯同してもらうことで対価は頂いている」


「それでも見ず知らずの男を――」


「気にするなという言葉が聞こえなかったのか?」


 思わず彼女の顔を見つめる。無表情だった。怒っているようには見えない。普段からこういう話し方なのだろう。


 ならば本当に気にする必要はなさそうだ。どこまで気にしないのだろうか。もう少し突っ込んだことを聞いてみよう。


「クラリスさんって彼氏いますか?」


「うぉい!唐突過ぎるだろう」


「いない」


「団長も答えるのか!」


 ジークフリードだけが1人はしゃいでいる。相変わらず第三者の立場でギャアギャア騒ぐのが得意な男だ。


「実は隣にいるオークがニンゲンの恋人を欲していまして。どうでしょう、オークなどは?」


「ちょ、おま」


「貴殿が恋人になってやったらどうだ」


「女性がいいらしいです」


「我儘だな」


「……………」


 クラリスはジークフリードへ近づき、不躾に全身を眺めだした。その間、彼はどうしようもなくオロオロしているだけだった。


 30秒ほど経過して元の位置に戻った。俺とジークの顔を交互に見た後、口を開いた。


「すまないがピンとくるものがない。貴殿を愛することはないだろう。他の女性をあたってくれ」


「え。あれ。もしかして我、告白していないのに振られた?」


「あ、シンクさんが戻ってきましたよ」


 シンクが早足で近づいてきた。一方で隣からは恨めしそうな視線が飛んでくるもののガン無視する。


 どうだろう。個人的には良い時間の使い方だったと思う。ジークフリードには申し訳ないことをしたが、そのおかげでクラリスの人となりが少し理解できた。隙を見て続けていこう。


「おかえりなさい。どうでした?」


「ご推察の通りです。コリス亭の203号室、204号室に宿泊していました」


「事件当日に姿を消した理由は何と言っていましたか?」


「格好いいからだそうです」


「は?」


「先に宿代を払って、夜中に忽然と姿を消すのが格好良いと思ったからやってみたと言っていました。ちなみに事件のことは全く知らなかったようです」


「……………」


 センス・オブ・ワンダーに視線を向ける。メカクレと全身黒が談笑していた。すごく仲が良さげだ。恋人同士かもしれない。


 全身を虚無感が襲う。何もかもに八つ当たりしたくなる。


 彼らのやったことは罪か。そうは思わない。チェックアウトのやり方に問題はあるもののお金は払っている。ただ単に時期が悪かっただけだ。


 恐らく俺に対する態度もキャラ付けだったのだろう。いかにして格好いいキャラを演じるか。彼らのキャピキャピ感を見るとそうとしか思えない。


 それにしてもこんな偶然がありうるだろうか。まさかとは思うが、全て目の前の団長と副団長が仕組んだことではあるまいな。


「そうだ。事件ついでに1つお伝えすることがあります。イケダさんのアリバイを証言した人物について保安から情報を入手しました」


「おお。お礼をしなければと思っていたんですよ。どこのどなたですか?」


 シンクは一瞬だけ視線を落とした後、再びイケメンの二重まぶたを向けてきた。


「海鮮山鮮の従業員、ミリア・シーフードです」


「…………」


 ジークフリードへ視線を投げる。彼はなんだ?といった表情を向けてきた。何も知らないのだから当然だ。


 脳が悲鳴を上げている。今日という日はおかしい。あまりに情報過多だ。まさか事件の総決算大感謝祭セールでも始まっているのだろうか。


「ミリアさんは友人です。少なくとも私はそう思っています。私たちの関係を知ってなお、証言が受け入れられるとは考えにくいです」


「イケダさんとミリアさんの接点はマリスミゼルです。保安がお店のマスターに確認を取ったところ、2人は事件当日に初めて会ったようだと証言しました。つまり保安から見たミリアさんは、その日初めて出会った男性を自宅へ連れ帰って介抱してくれた心優しい女性です。保安は彼女の証言に主観性はないと判断しました」


「えぇ……」


 相変わらず保安はやる気がないようだ。素人の俺から見ても鑑取りが甘すぎる。以前シンクが言っていた通り、事件発生数に対して捜査員が足りていないことが原因なのだろう。だから1つ1つの事件がおざなりになる。


 マリスミゼルのマスターが虚偽の証言をしたことも驚きだ。事前にミリアと打合せしていたのかもしれない。俺を助けるために一芝居打ってくれと。まさか自分が真犯人とまでは伝えていないだろうが。


 そして最大の驚きはミリアの行動だ。彼女は俺を助けてくれていた。自分に疑いの目が向けられる危険を承知の上で。


 言葉にできない思いが沸々と込み上げる。俺が容疑者となったのは偶然が生んだ悲劇だ。発端はミリアだが、彼女に責任があるかと言えば難しい。もしあったとしても、自分を第一に考えるなら無視すればいい。


 後味の悪い事件だったが、最後の最後で一筋の光が差し込んだ気がした。


「おいイケダ。なぜアンニュイな感じを出している。というか先程から何の話をしているんだ」


「あなたには関係ありません」


「関係ないことはない。我との約束を忘れて遊んでいただろう」


「忘れていませんよ。その証拠に先程女性を紹介したでしょう」


「あれを紹介とは言わん」


「イケダさん、女性を紹介って……」


「私だ」


「え!?団長をオークさんに紹介したのですか」


「正確には私がオークを紹介されたんだ。断ったが」


 シンクがジト目を向けてくる。出過ぎた真似をとでも思っているのだろう。


 しかしそんなことはどうでもいい。もう少し感傷に浸らせてくれ。ミリアとの思い出を回想させてほしい。オチャラケを持ってくるな。


「いいですかイケダさん。団長はボボン王国の爵位――」


「話はそこまでだ。そろそろ出発するぞ。レイ、号令を掛けろ」


「あ、承知しました。イケダさん、また後程お話ししましょう」


 クラリスとシンクは立ち上がり、馬車の方へ戻っていった。彼らの様子を見て他の団員も動き出した。


 器に残った昼食を平らげて水筒の水を流し込む。


「よし」


 気合を入れて立ち上がる。切り替えよう。事件はクローズされた。多少の疑問は残されているが、最早どうでもいい。終わったんだ。


 ドラゴン退治に全神経を注ぐ。そうすることが騎士団のためであり俺のためでもある。忙しさが後悔することを忘れさせてくれる。


「イケダ。引き続き我がおぶろうか」


「大丈夫。ありがとうございます」


 ジークはコクッと頷き、隊列の最後尾に向かって行った。後に従う。しかし俺の歩みは三歩目で止まった。いや止められてしまった。


 視線を感じた。今までに味わったことのない類のものだった。鳥肌が立ち汗もかいている。身体の変調は未知との遭遇を予感させた。


 ヤバい奴がいる。間違いない。敵ではないだろう。もしそうだったら今頃クラリスかシンクが声を上げている。だからと言って味方とも思えない。少なくとも俺にとっては。


 恐怖を覚えながら身体を視線の方向へ向ける。探す必要はなかった。馬車の上だ。


 そこに"ヤツ"はいた。

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