第86話 残滓の行く末

 久しぶりに訪れた冒険者ギルドは相変わらずの賑わいだった。日常は個人の感情を置き去りにする。イケダとシンクの七日間戦争など世間にとっては些末な出来事だった。


 イケダは自分が日常を取り戻したことを再確認した後、一番右端の受付を訪ねた。


「はいつぎー。ん?お。おいおい」


「ご無沙汰しております。その節はご迷惑おかけしました」


 開口一番頭を下げる。アレックスはわざとらしくため息をついた後、イケダに顔を上げるよう言った。


「どの節だよ。約束破ってトンズラこいた件か?それとも殺人事件の裏工作した件か?もしくは事件の証拠品を融通した件か?」


「えーと、全部です。とにかくすみませんでした」


 後者2つは初耳だった。シンクかクラリスが自分のために何かやってくれたのだろうと見当をつけ、イケダは再度頭を下げた。


「もういいよ。身の潔白は証明されたんだろ?つまり冒険者活動を再開できるってことだ。今後ギルドに貢献してくれれば、それでチャラにしてやる。って騎士団に協力するのは明日からじゃなかったか?」


「ええ、はい。そうなのですが、明日はバタバタしてお話しできないかと思ったので。今日のうちに事件関係でお世話になった方々へ挨拶回りするつもりです」


「そういうことか。この後はどこに行くんだ?」


「マリスミゼル、海鮮山鮮亭、コリス亭ですね」


 アレックスは「ふーん」とだけ言った。ピンときていない。どうやら事件に関する詳細までは聞かされていないようだった。


「まぁいいや。とりあえず明日もここに来るんだろ?」


「はい。朝方にお伺いします」


「了解。お前の予想通り遠征に同行させるっぽいから、旅の準備はしといた方がいいぞ」


「分かりました。ありがとうございます。では後程」


 イケダは厳ついハゲ男に右手を上げて別れを示した後、ギルドから立ち去った。



 ★★★★



「あ?まだ開店前だから入ってくん………あら、イケ坊じゃないのさ」


「ご無沙汰です」


 事件が起きた夜以来のマリスミゼルだった。マスターが1人で開店準備を進めている。


「え、なに、どしたの。もしかして有罪確定した?」


「いやいや、その逆です。無罪釈放となったのでその報告に来ました」


「無罪……ふーん」


 あまり驚いていない。どうやらどこからか捜査情報が漏れているようだ。馴染みの客に保安員がいるのかもしれない。


「その節は色々とご迷惑をおかけしました」


「いや迷惑っていうか。アンタがやったんじゃないんでしょ?だったら謝ることないよ。アンタも巻き込まれたわけだし。そんで真犯人は捕まったの?」


「いえ、コールドケースとなりました」


「なにそれ。33-4?」


「その数字がなにそれですよ」


 マスターは変わらない。そのことにイケダは酷く安心を覚えた。流石バーを経営しているだけある。彼女はいつだってニュートラルなのだ。


「出所祝いに一杯飲んでく?ご馳走するよ」


「出所て。すみませんがこの後も行くところがあるので。お気持ちだけ受け取っておきます」


「あ、そう。まぁとりあえず元気そうでよかったよ。気が向いたらまた来な」


「ありがとうございます。ではまた後日」


 そう言ってニヤッと笑った。マスターが気持ち悪いと言っていた笑みだった。


 彼女は一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、イケダに負けず劣らずの笑みを浮かべ、「やっぱりキモイね」と言って右手で追い払う仕草をした。イケダは反論せずにそのまま店を立ち去った。



 ★★★★



 両開きの扉を左右同時に押す。カランコロンと来客を告げる鐘が聞こえた。


「いらっしゃいませ!海鮮山鮮亭へようこそ。お一人様ですか?」


「えーと」


 店内を見渡す。夜ご飯を食べるには少し早い時間だが、なかなかの賑わいを見せている。


「待ち合わせでしょうか?」


「いえ、そのですね」


 目の前には見知らぬウェイトレスがいる。イケダは彼女になんと説明すればいいか迷った。待ち合わせではない。かといって店内で飲食するつもりもない。


 口をモゴモゴさせるだけの客にウェイトレスは困り顔を浮かべた。このままではいけない。ええいままよとイケダは口を開いた。


「店長のお嬢さんはいらっしゃいますか?」


「お嬢………ミリアのことでしょうか?あ、まさかイケダ様ですか」


「え、はい。イケダですけど」


「ミリアからイケダ様が訪れたら2階へ通すよう言われています。こちらへどうぞ」


「あ、はい」


 事態が読み込めないままバックヤードへ続く道を進む。ウェイトレスは途中まで案内した後、「後は分かりますよね?」と言ってウィンクしながら去った。イケダは彼女の背中を数秒見つめた後、2階へ続く階段を上がった。


 いくつかある扉の中で廊下一番奥だけ開け放たれていた。イケダは記憶を手繰った。確かリビングだったはずだ。恐る恐るその扉をくぐる。


 入ってすぐに鼻孔がくすぐられた。とてもいい匂いだった。匂いの発生源はダイニングテーブルの上にあった。所狭しと料理が置かれている。どれも美味しそうだ。


「……ん?あら」


 声が聞こえた。視線を向ける。見慣れた顔がいた。ソファに座って編み物をしている。


「ミリアさん」


「イケダさん」


 立ち上がって近づいてくる。普段着だった。黒のパンツに白いニットという格好だ。マリスミゼルでも普段着だったはずだが、何故か彼女がどんな服を着ていたか思い出せなかった。顔や仕草ばかりに目がいっていたのかもしれない。


 ミリアはイケダの正面に立った。


「お待ちしていました」


「待っていた、のですか?」


「当然ですよ。今日会いに来るとおっしゃったでしょう?」


 記憶をたどる。そんなことを言っただろうか。思い出せない。でも思い出さないとまずい気がする。イケダは渾身の力で脳をフル回転させた。


「………………コリス亭」


「そうです。さぁ、どうぞお座りください」


 シンクと共に事件の捜査をしていた際、コリス亭でミリアと邂逅し約束を交わした。晴れて自由の身になった喜びですっかり忘れていた。すんでのところで思い出せたことに安堵しながら席に着く。ミリアも正面に座った。


「お夕飯はまだですよね?」


「ええ」


「よかった」


 どうやら目の前に並べられた色とりどりの料理は自分のために作られたようだ。感動を覚えるとともに1つ疑問が浮かんだ。


「もしかして朝から待っていたのですか?」


 確かに会いに行くと言った。だが時間までは伝えていないはずだ。ミリアはいつもの微笑みを浮かべながら口を開いた。


「冷たくても美味しい料理を揃えました。もし温かいものを口にしたくなったら言ってください。パパっと作っちゃうので」


 それが答えだった。イケダは「いえ……ありがとうございます。いただきます」と言って目の前の煮物を口に入れた。


 口の中は冷たかった。だが心は暖かくなった。




 ★★★★




 釈放されたことを伝えるとミリアはとても喜んでくれた。「最後の晩餐にならなくてよかったです」などと冗談まで言われた。冗談で済んで良かったと思った。


 他愛無い話をした。海鮮山鮮亭を訪れた変なお客さんのことや、薬草を取りに行ったらゴブリン狩りになっていたことなど。


 事件の話は出なかった。どちらも口にしなかった。敢えてか無意識か分からない。ただこの場の雰囲気にそぐわない話題であるのは確かだった。


 2人で食卓の皿を三分の二ほど平らげて、お酒のボトルを3本程消費したころ。ふと沈黙が下りた。


 とりとめのない話を続けることは出来た。だがしなかった。空気がそうさせなかった。


 イケダはグラスに残ったお酒をゆっくり喉に流し込んだ後、ミリアの眼を見つめた。彼女もイケダを真っすぐに見つめていた。


「わたしは、今回の件で思い知らされました。我々が当たり前だと思っていた日常は、実は当たり前ではなかったんだと。ふとした拍子に簡単に崩れてしまうものだった」


「………」


「でもそれは災害のようなもので。自分ではどうすることもできません。回避の仕様がない。だったらどうするか。何をしたらいいのか」


「………」


「今やるべきことをやろう。出来ることをしようと思いました。後回しにせずに。そして後悔しないように」


「………」


「ミリアさん」


「はい」


 視線が絡まる。熱と熱がぶつかる。逸らす余地はない。


 お互いに理解していた。次の一言で二人の関係は一変する。もう後戻りはできない段階に入ってしまう。


 それでも冗談や誤魔化しで済ませるつもりはなかった。イケダにはイケダの、ミリアにはミリアの覚悟があった。


「………あなたです」


「はい」


 声が擦れた。そのせいで後半しか音が出なかった。それでもミリアは変わらずに待ってくれている。ありがたいと思った。だからこそしっかり伝えなければならない。


 大きく深呼吸する。すぅはぁ。決心したつもりだった。少し足りなかった。だが次は大丈夫だ。


 イケダは正面の濡れた双眸を見つめ、今度こそハッキリ口にした。





「マイケル氏を殺害したのは、あなたですね」

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