第85話 善意の第三者
コリス亭205号室には3人の男の姿があった。
「どうでしょう?」
イケダが騎士の格好をした男に問いかける。シンクではない。一般の騎士団員だ。昨日イケダが出した条件に合致するのが彼だった。
「そうですね………おそらく、ご推察の通りかと」
「確実ですか?」
「ほぼ確実かと。実際にお見せしましょうか?」
騎士団員の提案に黙り込んだイケダだったが、かぶりを振って拒絶した。
「いえ。そこまでおっしゃるならそうなのでしょう。確認いただきたかったものは以上です。ありがとうございました。シンクさん、次行きましょう」
「あ、はい」
205号室を出る。廊下を歩いていると1階から喧噪が聞こえてきた。見下ろす。朝食会場に人が集まっていた。宿泊客のようだ。
コリス亭は既に営業が再開されている。遺体が発見された205号室以外は全て埋まっていた。殺人事件の悪評を温泉付き宿の需要が上回ったのだろう。
朝食会場ではステラ・コリスが精力的に動き回っていた。どうやら交際相手を失った傷心から立ち直ったようだ。もしくは悲しみを忘れるため我武者羅に働いているのかもしれない。
イケダは彼女をまぶしそうに見つめた後、もう1度「行きましょう」と言って階段を下った。
★★★★
「なんだよ。まだ聞きたいことあんの?」
パーティ『漆黒の顎』の副リーダー、ジョン・クラスターは明らかにイライラしていた。
冒険者ギルドを訪れた彼を半ば強制的に喫茶店へ連れ出した。彼と会うのは容易だった。以前会話した際に、ほぼ毎日ギルドへ顔を出していると漏らしていたのだ。あとは待ち伏せするだけでいい。1時間程待ってジョンは現れた。
「これが最後です。約束します」
「本当かね?メンバーを待たせてるし、依頼も受けなきゃだから。チャチャッと終わらせてよ」
貧乏ゆすりが激しい。気にはなるが指摘して空気を悪化させたくない。視界から外してジョンの顔を見つめる。
イケダも彼の表情をうかがっていた。その眼は少しのウソも許さない光を帯びているように見えた。
「お聞きしたいのは1つです」
「なに?早く言ってよ」
イケダが話し出す。最初は面倒くさそうな表情を浮かべるだけのジョンだったが、次第に顔色が変わり、イケダが話し終えるときにはこめかみから汗を垂れ流していた。
「い、いや、おれは、ちがう。そういうつもりじゃなくて……あいつが、あいつが悪いんだ」
「誰が悪いかなんて興味ありません。事実のみを話してください。いいですね?」
ジョンは一瞬だけ憎悪の視線をイケダへ向けたが、すぐに観念するかのように首を垂れた。
貧乏ゆすりが止まる気配はなかった。
★★★★
喫茶店を出る。ジョン・クラスターは席に置いてきた。
「これからどうします?」
「教会めぐりですね。マリスにはいくつあるんでしたっけ?」
「3つです。ただ全て回るとなると半日作業になるかもしれません」
「マリスは広いですからね。早めに正解と当たるのを祈りましょう。場所は知っていますか?」
「はい。近いところからご案内します」
歩き出す。イケダもついてくる。
真実に近づいている予感はあった。あとは間に合うかどうかだ。
ボーンボーンと10時を知らせる鐘が鳴る。ここまで来て時間切れは勿体ない。
シンクは背後を振り返ると「少し走ります」と言って、返事を聞く前にジョギングを開始した。
★★★★
夜6時。教会巡りを終えた2人が街中を歩いていたところ、保安員に呼び止められた。イケダは初対面のようだがシンクは彼を知っていた。
保安員は2人に保安所へ戻るよう伝えた。保安課長からの伝令らしい。捜査を始めてから今まで、こんなことはなかった。どんな用事だろうと訝しみつつも保安所へ向かった。
保安所へ到着すると、受付の保安員から会議室へ行くよう言われた。2階に上がり指定された部屋へ入る。そこでは既に保安課長が待ち構えていた。着席を促されたので座る。
「突然呼び出してすまないな」
「いえ。ご用件を伺いましょう」
シンクが代表して話す。イケダは尋問されたことを思い出したのか居心地悪そうにしていた。
「あー、捜査はどうなっている?順調か?」
「は?」
思わず眉をひそめる。どういうつもりだろう。まるで世間話をするように進捗を尋ねてきたではないか。誠意もなければ時機もおかしい。彼らにとってはほぼ終わった事件だからだろうか。それにしたって聞き方というものがある。
そんなシンクの様子に気づいたのか、保安課長は慌てた様子で手を交差させた。
「いや、違うんだ。えーとだな、あー……分かった。単刀直入に言おう」
本当に世間話扱いだったのかと思いつつ姿勢を正す。本題に入るらしい。
保安課長はシンク、そしてイケダへ視線を向けた後、いかにも申し訳なさそうな顔でボソッとつぶやいた。
「見つかったんだ」
「え?」
「事件当日の夜、イケダ氏がマリスミゼルへ向かう姿を目撃した人が見つかった」
「はぁ」
生返事をしたのはイケダだった。シンクも同じ気持ちだ。一体それがどうしたというのか。
「その人物がイケダ氏を目撃した場所と時間。そしてイケダ氏がマリスミゼルに到着した時間。その2つの情報をもとに再計算した結果、イケダ氏には犯行が不可能だと判明した」
「「えっ」」
室内に沈黙が下りる。呼吸音さえ聞こえない。
保安課長はあえて無言でいる様子だった。しかしイケダとシンクは驚きのあまり言葉を失っていた。衝撃的すぎる展開だった。
イケダはいまだ放心状態だ。彼の代わりに確認すべきだろうとシンクが口を開いた。
「つまりイケダさんへの疑いは晴れたということですね?」
「ああ。釈放だ」
保安課長を見つめる。バツが悪い表情を浮かべるものの謝罪する気配はない。本来なら冤罪で勾留したイケダに対して一言あってしかるべきだが、保安が自分達の間違いを認めるわけがない。特に保安課長はプライドの高い人物だ。いち市民に頭を下げるくらいなら死んだ方がマシだとでも思っているかもしれない。
隣へ視線を移す。イケダは泣き笑いのような顔を浮かべていた。シンクには彼の気持ちが痛いほど分かった。放免になった喜びと今までの努力が水の泡になった悲しみが同居しているのだろう。
最上の結果はイケダ自身が彼の潔白を示すことだった。そのために彼もシンクも、クラリスも尽力した。何もかもが無駄だったのだろうか。そうは思いたくなかった。
「捜査は振り出しに戻った、ということでしょうか?」
イケダの問いに対し、保安課長は首を振った。縦ではない。横向きだった。
「マイケル殺人事件は本日をもって凍結する。いわゆるコールド・ケースだ」
「は?いや、ちょっと待ってください」
「イケダ氏の次点で怪しいのはステラ・コリスだが、自白に持ち込める材料は揃っていない。強い動機や決定的な証拠があれば話は変わってくるが、それも難しい。また205号室のカギを持っていなくてもマイケル氏を殺害することは可能だった。つまり現場不在証明さえなければ誰にでも殺せたんだ。以上により犯人を特定するのは限りなく不可能という結論に至った」
一気に話し終えたところで保安課長は湯呑に口を付けた。イケダとシンクの眼の前にも置かれているが少しも減っていない。
喉はカラカラだった。だが一息つく余裕はなかった。
「迷宮入りということですか」
「流しの犯行だ。やむを得ん」
やむを得ないという言葉は間違っていない。ボボン王国でもそうだが、マリスにおいても通り魔殺人は著しく検挙率が低い。多くの場合はコールド・ケースで終息する。
逆に言えば、通り魔殺人とみなされれば、たとえ未解決入りしたとしても、世間の評判や保安内の査定にそれほど影響を及ぼさない。
なんて狡猾なやり方だとシンクは舌打ちしたくなった。保安課長は先程、「205号室のカギを持っていなくてもマイケル氏を殺害することは可能だった」と言った。つまりいつでも通り魔殺人扱いでコールド・ケース入りさせることが出来た。
それをしなかったのはイケダの自白を期待できる状況にあったからだ。現にクラリス達が現れなければ落ちていた気配があった。
シンクとイケダの苛立ちを察しているのかいないのか、保安課長はいかにも胡乱げな口調で投げかけてきた。
「以上だ。質問は受け付けない。サッサと去ってくれ」
「いや、あのすみません、ちょっと待って……」
「ゴチャゴチャ言うな。今度こそ自白させるぞ」
「…………」
無駄だと思った。これ以上のやり取りは保安課長を怒らせるだけだ。そもそも無罪となった時点で勝ちは勝ちだ。犯人を突き止める必要は無くなった。
不満顔で口をモゴモゴするイケダに目配せする。意図は伝わったようだ。一瞬考える様子を見せたものの、かぶりを振って立ち上がった。
「分かりました。私たちが集めた、事件に関する情報はどうしますか?」
「特定の人物を犯人と示す確定的証拠は?」
「ありません」
「だったらいらん。ドブに捨てろ」
「………分かりました」
無表情だった。怒りを抑えているのかもしれない。そのまま扉へ向かう。
シンクも彼に従う。その前に1つ思いついた。僅かながら意趣返しになるだろう。保安課長へ振り返る。
「過程はともかく、イケダさんの潔白は示されました。つまり団長が対価を支払う話も無しです。いいですね?」
「………ふん、仕方あるまい。ただ今後も協力要請には応えてくれよ」
「金銭による対価があれば考えましょう。失礼します」
舌打ちを背中で受けながら扉を閉める。決して性格が良いとは言えない男だ。尊大で狡猾、少なからず不正もしているだろう。
だがイケダの潔白は正直に開示した。もしも隠していれば彼を逮捕することが出来た上に、クラリスに対価を払わせることも可能だった。保安課長には利点しかない。
隠し通す算段がつかなかったのだろうか。そうかもしれない。人の口に戸は立てられない。いずれ漏れるならば、正直に話すことで騎士団から恨みを買うことを回避した。そう考えると腑に落ちる。
ただ、とシンクは思う。彼は腐っても保安課長だ。汚職にまみれた世界とはいえ僅かばかりの正義感は残っているだろう。残っているはずだ。その感情が冤罪を否定した。そうであって欲しい。そうでないなら、保安との協力関係も考え直さなければならない。
「シンクさん」
部屋の外でイケダが待っていた。表情が柔らかい。この短時間で心境に変化があったのかもしれない。
「まずはありがとうございました。あなたの、あなた達のお陰で自由の身になれました。心より感謝です」
「いや、私は何もしていません。マーガレット団長の命に従っただけです。礼を言うなら彼女と保安の方々にしてください」
「それはもちろんです。ただシンクさんがいなければ早々に逃亡……というかリタイアしていたと思います。身の潔白が証明されるまで心を保っていられたのはあなたのお陰です。ありがとうございます」
「いや……」
本当にそうだろうか。初日こそ打ちひしがれた様子だった。だが2日目以降は悲壮感など全くなく、かなり捜査に前向きだった。開き直ったと言えばそれまでだが、それにしたって常に精神が安定していた。
自分の存在どうこうではない。彼には確固たる何かがあるように思えた。その正体は分からない。ただ強制労働行き程度では揺るがない信頼を置いているのは間違いない。もしかするとクラリスもその部分に価値を見出したのかもしれない。
「あなたとクラリス団長には大きな借りが出来ました。是非返させてください」
「分かりました。そうなると我らのパーティで働いて頂くことになると思います。ただこんな事件に巻き込まれて疲労も溜まっているでしょう。2日後でよいので、冒険者ギルドのアレックス氏……受付右端の男性に声をかけていただけますか。彼を通して詳細な内容をお伝えします」
「了解です。重ね重ねになりますがありがとうございました。あなた方のお陰でこの6日間は非常に稀有な経験が出来ました。最終的に徒労に終わりましたが、いつかどこかでこの経験が役に立つこともあるでしょう。2日後以降のパーティ活動もよろしくお願いします」
「こちらこそ珍しい体験をありがとうございます。今日と明日はゆっくり休んで、また2日後からよろしくお願いします」
イケダはもう1度「ありがとうございました」と深々頭を下げた後、クルリと振り返って去った。シンクはその背中をじっと見つめた。
事件は意外な形で終わりを迎えた。結果だけ見れば最上と言えるかもしれない。
思い通りにはならなかった。だが人生とはそういうものだ。これで不満を漏らすのは贅沢が過ぎる。
1つ懸念があるとすればクラリスの反応だ。果たして彼女はどんな結末を望んでいたのか。少しでも彼女の期待に沿うことが出来たのか。
「……いや」
シンクはかぶりを振った。今更悩んだって仕方がない。もう終わったんだ。結末は変えられない。
むしろ考えるべきは未来だ。シンク達は大きな案件を抱えている。イケダにも協力してもらうことになるだろう。
歩き出す。この6日間を思い出してみる。そうすると変な笑みが零れてしまった。
「ふっ…」
よく分からない事案に巻き込まれたものだ。だが偶にはこんな出来事があってもいい。シンクはもう1度小さく笑った後、出入口へ歩みを進めた。
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