第83話 定例報告
魔具で照らされた室内は思いのほか明るい。団長クラリスの表情もハッキリ見える。
彼女は無表情だった。1日の8割はこの顔で過ごしている。副団長だからこそわかることだ。
「毎日来なくてもいいんだぞ」
「いえ。気になるでしょうから」
時刻は夜の9時を回っている。団長室にはクラリスとシンクしかいない。男女2人の空間だ、何が起きても不思議じゃない。しかし何も起こりそうになかった。これからも起きないだろう。
「本日は被害者マイケルの事件当日の足取り調査とダン・コリスの事情聴取を行いました」
「進展は」
「特にありません。保安が残した調書以上の情報は出てこなかったです」
マイケルのパーティは当日の17時まで護衛任務に就いていた。その後パーティメンバーと食事。これが21時まで続いている。コリス亭を訪れたのは22時。移動距離を考えるとこの間に誰かと会っていたとは思えない。冒険者の彼にとっては代わり映えのない1日だった。
「ダン・コリスは相変わらずグレーか」
「はい。何とも言えないです」
コリス亭の主にしてローラ・コリスの夫、ステラ・コリスの父親でもあるダン・コリスは当初から容疑者の1人に数えられていた。要因はアリバイが無いことと動機が存在することだった。
いずれの取り調べでもダンはマイケルの存在を知らなかったと言った。しかしマイケルが宿を利用している以上、知っていたとしても不思議じゃない。
また近所の人の話では、ダンは冒険者を毛嫌いしていたという。あんな不安定な職の奴らに娘は任せられんと酒の席でボヤいていたようだ。
殺意まで持っていたかは分からない。ただ少なくとも動機としては十分だ。アリバイもない。真っ先に疑われても不思議じゃない。
しかしそれ以上に怪しい人物が現れたことで彼への疑惑は有耶無耶になってしまった。
「父親よりも娘だろう。第一発見者のうえに現場不在……アリバイ?もない」
「動機がありません」
「動機なんかは本人達の間でしか分からないものだ。ましてや2人は恋愛関係にあった。痴情のもつれによる衝動的殺人は十分考慮に値する」
「衝動的に殺害したとしても、自分が疑われる状況を放置する理由がありません」
「というと」
「205号室は施錠されていました。だからこそイケダさんと、ステラさんが疑われたのです。もしもステラさんが犯人なら、流しの犯行に見せかけるために205号室は開錠しておくでしょう。彼女にはマスターキーがあった」
クラリスは鷹揚に頷いた。騎士学校を首席で卒業した彼女がこの程度の矛盾に気づかないはずがない。間違った方向に進んでいないか確認したかったのだろうとシンクは結論付けた。
「イケダは誰を疑っているんだ」
「分かりません」
「分からないと言うお前が分からない」
「彼は何も話しません。特に肝心な部分はボヤかします。恐らく確証が持てるまでは口に出したくないのでしょう。ただ、なんというか…」
「うん?」
「彼は、明らかに我々と着眼点も捜査方法も違います。変な部分にこだわりますし、事件に関係しそうにない事を執拗に質問したりします。ハッキリ言って彼がどこへ向かっているのか、どういう結論を出すのか全く想像がつきません」
「ふむ」
椅子を回転させる。背中が向けられた。表情が見えない。直立不動のまま待つ。すると我慢できなかったのか、「くっ…」という声が漏れ出た。明らかに笑いを嚙み殺している。
わざとらしく咳ばらいを繰り返した後、再び椅子を回転させた。顔が合う。真顔だった。
「彼は自分が犯人ではないという前提で捜査しているんだ。保安と結末が異なるのは明らかだろう。だからと言って……」
「さっき笑ってましたよね?」
「笑ってない。だからと言って、彼が望む結果になるとは限らない。ここでハッキリさせておく。もしも彼が相も変わらず罪人と判断されたら、それで終いだ。関係を断つ。手助けしない」
「強制労働もやむなしと?」
「冤罪も罪だ。疑われた時点で非は存在する。機会は与えた。生かせぬなら彼の人生もそこまでということだ」
過保護ではない。そのことは副団長を務めるシンクが一番よく知っていた。
「聞く限りでは、自身の無実を証明するつもりはなく、真犯人を探す方に力を入れている印象だ。合っているか?」
「ご認識の通りです。事件当日彼はほとんどの時間を単独で行動していました。マリスミゼルへ入店以降は団長、お店のマスター、友人女性の証言があったので大丈夫です。問題は入店以前です。そしてマイケル氏の死亡推定時刻には入店以前の時間も含まれます。有力な目撃証言でもない限り、彼のアリバイは不完全でしょう」
「なるほど。つまりアリバイを証明する目撃者を探すよりも、真犯人を見つけ出す方が容易と判断したんだな」
頷く。直接本人から聞いたわけではない。だが彼の行動を見ていれば一目瞭然だった。
クラリスが立ち上がった。途端に圧力が増す。身長はシンクよりも小さい。だが全身から放たれるオーラは彼女の美貌を抜きにしても凄まじいものがあった。
「すまないがあと数日よろしく頼む。最初に言ったが過度に介入する必要はない。あくまで第三者の立場で彼を助けてやってくれ」
「はい」
「もしかしたら面倒を押し付けられたと思っているかもしれない。だがどんな物事も向上心と探求心を忘れなければ、素晴らしい経験として自身に還元される。此度の件も同様だ。シンク・レイ、世界を広げてこい。以上」
「はっ。失礼します」
深く頭を下げた後、クラリスに背を向ける。
果たして彼女の言葉には懐疑的にならざる得ない。今のままでは強制労働施設行きが確実だ。そんな結末でどんな経験を得られるというのか。
かといって仕事を放棄する気はない。クラリスの期待を裏切るわけにはいかないのだ。いずれにせよ自分に出来ることは限られている。
シンクは団長室のドアを閉めながら小さく息を吐いた。
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