第73話 孤独の旅路

 城塞都市アリア。ダリヤ商業国の辺境に位置するこの都市を1人の女性が訪れた。


 灰銀色の艶やかな長髪。眠たげな二重瞳。真一文字の口元。黒のワンピースに身を包んでいる。


 「なっ」


 門に立つ兵士は目を見張った。思わず二度見した。これ程の美貌を持つ女性がこの世に存在するのかと。


 セレスティナ・トランスが口を開く。


 「聞きたいことがある」


 「な、何だろうか」


 決して大きい声ではない。耳にスッと入る心地よさがあった。


 「…………」


 「…………」


 「…………」


 「…………」


 静寂が包む。兵士2名とセレスティナの間に幾ばくかの無言が生まれた。


 「聞きたい事とは――」


 「人を探してる。男」


 「あ、ああ」


 セレスティナの独特なテンポに早くも辟易する。とはいえ無視するわけにもいかない。美人なら尚更だ。何とか会話を継続しようと試みる。


 「特徴を教えて貰わんことには何とも言えんぞ。小さな部分でいい。並べてくれないか」


 「……………」


 セレスティナはボーっと虚空を見つめる。その視線は何かを捉えているようで何も映していないように見えた。特徴を回顧しているとは思えないその姿に門兵は訝しげな視線を送る。


 果たして目の前の女性は本当に人探しが目的なのだろうか。それにしては挙動が不審ではないか。


 疑惑は尽きない。しかし現状何も起きてはいない。門兵からセレスティナにアクションを起こすことは憚られた。


 「…………………」


 セレスティナの視線が、ゆっくりと門兵の1人に移る。


 その瞬間、兵士は心臓が飛び跳ねる心地がした。視線を合わせたところで、改めてその美しさに赤面してしまう。


 1日に何百人もの通行人を相手にしている兵士でさえも見惚れる容姿だた。澄んだ目から放たれる眼光は自分にやましい気持ちがあることを見透かしているようでもあった。


 意識的に視線を逸らす。くびれがキュッと締まったワンピースに包まれた肉体は素肌さえ確認できない。しかしそのフォルムは一級品の彫刻を彷彿とさせた。全てが美しい。その言葉しか出てこない。


 セレスティナが言葉を紡ぐ。


 「人間族。黒目、黒髪。中背中肉。肌色。服装は普通。ニヤニヤが気持ち悪い。言葉遣いが丁寧」


 「お、おお。かなり特徴的な男だな」


 まず黒目黒髪というのが珍しい。黒魔族に多い特徴だが人間族は少ない。肌の色も白あるいは茶色が多い。


 おおよそ一般的ではない。ハッキリ覚えていなくても頭の片隅に残っていても不思議じゃなかった。


 門兵達も例外ではなかった。ハッとした表情を浮かべた後、お互いの顔を見合わせる。門兵の1人が口を開いた。


 「恐らくだが、その者はこの門を通った。オークと行動を共にしていた。心当たりは?」


 「ある。たぶんストーカー」


 「え?」


 「彼らはいつ通った?」


 「いや。その前にストーカーって…」


 「答えて」


 有無を言わせぬ口調だった。他に気になる部分があったものの、彼女の問いに答える。


 「確かひと月前くらいだったはずだ」


 「そう」


 「………」


 「………」


 再び無言が続く。


 独特の間で会話を進めるセレスティナに門兵達が慣れる様子はない。そういう意味では初対面にもかかわらず何分でも相手が話し出すのを待っていたイケダはド変人と言える。


 「……………」


 「えーと」


 「通りたい」


 「あ、ここか。身分証は持っているか」


 「ない」


 「身分証が無い場合は金銭を支払えば入場することが出来る。入場料は1万ペニーだ」


 「……………」


 門兵は本当に聞いているのか判断に困る表情を浮かべた。そんなことはお構いなしにセレスティナはボソボソと呟いた。


 口元が落ち着く。右手で虚空を弄った。門に立つ彼らはその様子を怪訝そうな表情で見つめる。


 右手が何かを握る。その手を門兵に差し出した。


 「これ」


 「おっと」


 慌てて手を向けた。直後、手の平に何かが置かれた。


 「これは」


 金貨1枚。つまり1万ペニーであった。


 手品のような芸当を目の前で披露され少々驚きを見せてしまう。ただこの程度なら手癖の悪いスリやシーフ類でも難しくはないだろう。1度深呼吸をした後、セレスティナに確認する。


 「入場料ということだな?」


 「はい」


 「ああ。ではたしかに受領した。こちらが入国許可証だ。これがあればダリヤ商業国に限り、どの都市も入場可能となる。無くさないように」


 入国証を受け取り、灰髪の美女は歩き出す。門兵はその姿を黙って見つめる。


 「…………」


 普段なら私情を挟むことはない。無言で通行を許可する。しかし今日という日に限って何故か、無意識に女性の背中へ問いかけてしまった。


 「その男は、貴女にとってどのような存在なのだ」


 「……………」


 歩みを止める。振り向いて小首をかしげた。その動作だけで門兵は胸が高鳴った。


 「分からない。だから会いに行く」


 それだけ伝えると再び歩き出す。要領の得ない答えだった。だが再び呼び止めることはしなかった。彼女の背中がこれ以上のやり取りを拒絶していた。


 羨望、不満、苛立ちが混ざり合った胸を一度強く押さえた後、身体の向きを獣人国の方へ戻す。


 たった1度の邂逅でこれほど心を揺さぶる女性が追っている男とはどんな人物なのか。


 門兵はその存在を意識せずにはいられなかった。

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