第81話 羊頭狗肉

 201号室、202号室、203号室を巡ったイケダとシンクは204号室を訪れていた。


「何か事件に繋がるようなものは見つかりましたか?」


「いえ……」


 イケダは腰を下ろして床をなぞっていた。指先を見つめる。205号室にもあった黒いシミのようなものだった。


 被害者の部屋、空室、謎の人物Aの部屋、謎の人物Bの部屋の現場検証を行った。しかし目ぼしいものは発見できなかった。イケダも同様らしい。


 保安の調査資料をめくる。どの部屋も特記事項無しと記載されていた。彼らは201号室から204号室について、事件との関連性無しと判断したようだ。


「被害者はどこで殺されたと思いますか」


「205号室ですよね。保安もそう判断しています」


「本当にそうでしょうか?」


 イケダが振り返った。視線がぶつかる。彼の眼に迷いは見えなかった。


「確かに私の部屋はカギが開いており、誰でも入室できる状況にありました。しかしその状況は偶然出来上がったものです。普段からカギを開けっぱなしで外出するわけでもない。犯人が意図的に私の部屋で殺人を犯したとは思えません」


 ハッとした表情でシンクは頷いた。イケダの言うとおりだった。彼はステラとマイケルの情事を耳にして思わず外へ飛び出した。そんな彼の行動を犯人が予想できたと思えない。ましてや犯人が誘導したなんてもっとあり得ない。


「マイケル氏が殺害されたのは別の場所ということですか?」


 首を縦に振るかと思ったが、思案顔で「どうでしょう」とつぶやいた。


「だとしたら本来の殺害現場に血痕が残っているはずです。でも205号室以外からは確認できなかったんですよね?」


「はい。マイケル氏の血痕が確認できたのはイケダさんの部屋だけです」


 シンクの頭に1つの解法が浮かんだ。それをイケダにぶつけてみることにした。


「マイケル氏が殺害されたのは205号室だった。ただそれは計画的に行われたものではなく衝動的殺人だった、というのはどうです?」


「筋は通ります。確か201号室にあった被害者の鞄からお金が抜き取られていた形跡があったんですよね?」


「はい。かばんが荒らされていた、かつ被害者の手元に現金が1ペニーもなかったことから、保安は犯人が貴金属類を持ち去ったと見ています」


「なるほど。そうなると衝動的強盗殺人という線が浮かびます。が、その場合も壁が立ち塞がります。なぜ205号室の鍵が開いているのを知っていたのか。そもそも部屋で何かをするならマイケル氏の居室201号室でよかったのではないか。どうです、答えられますか?」


 シンクは顔の前で右手を横に振った。思いつきで言っただけだ。根拠も信念もない。そんなシンクの様子を見たイケダは小さく息を吐き、入り口のドアへ目を向けた。


「203号室、204号室はいずれも施錠されていなかったんですよね?」


「そうですね」


「どうして205号室だったんだろう」


 彼の言いたいことは分かる。犯人が空室を探していたとしたら、203号室か204号室が殺害現場であってもおかしくないはずだ。203号室の方が階段からも近い。


「あ、いや、ちょっと待ってください。ローラさんが203、204号室の施錠状態を確認したのは朝9時以降です。となると犯行時は施錠されていた可能性があります」


「203ないし204号室の住人は犯行が行われた後に宿へ戻り、部屋にカギを置いて立ち去ったと?」


「もしくは犯行時に施錠された部屋の中にいて、犯行後に開錠して立ち去ったとか」


「うーん?」


 表情が険しくなる。苦悶に満ちていると言っていい。謎が多すぎてどこから手を付けたらいいか分からないのかもしれない。


 203号室と204号室は事件に関係あるのだろうか。確かに怪しい。怪しすぎる。だからこそ無関係ではないかとシンクは思っている。根拠はない。ただの勘だ。イケダに話しても一蹴されるだろう。そもそもシンクには積極的に自身の考えを披露するつもりはない。今回の主役はイケダなのだ。


「これは勘ですが」


「え、はい」


 驚いた。彼も勘づいたことがあるらしい。もしかして同じ部分だろうかとシンクは少し期待したが、発せられた内容は全くの別物だった。


「マイケル氏を彼の居室で殺さなかった件と、205号室に遺体があった件は繋がっていると思います」


「根拠はないんですよね」


「勘ですから」


 勘は自身の経験から導かれることが多い。シンクはマリスでの保安協力とボボン王国における治安活動で刑事事件に携わったことがある。イケダはどうだろう。一般の冒険者が殺人事件に関わる機会があったとは思えない。シンクは直接聞いてみることにした。


「イケダさんはこういった事件に関わったことがあるのですか?」


「ないです。ただ知識はあります。小説とかドラマとかで」


「しょうせつ・・・?」


「えー、訂正します。関わったことあります」


「はぁ」


 シンクは心の中でなんだこいつ?と思った。


 ふと窓から差し込む夕日が彼の顔を照らした。いつの間にか結構な時間が過ぎていたようだ。


「今日はここまでにしましょう。宿はどうされますか?まだ決まっていないようだったら、私に任せていただければと」


 逃亡の危険がある以上、シンクは常にイケダを監視しなければならない。そういう場所として適した宿を提案するつもりだった。


「保安所に戻りますよ」


「は?」


「あそこに入っておけばシンクさんも気兼ねなく身体を休めることができますよね」


「えーと、確かにこっちとしては安心安全ですけど。大丈夫ですか?」


「大丈夫です。野宿経験も長いですし。劣悪な環境には慣れています。それに考えるだけならどこででも出来ますしね。あ、でも夜ご飯は外で食べたいです」


「それはもちろん。付き合いますよ」


 イケダはお願いします、と言って階段を下りていった。そんな彼の背中を見つめる。


 7日間の猶予はある。それまでに自身の潔白を証明できれば何も問題ない。だが証明できなければ強制労働が待ち受けている。常人ならこの7日で贅沢の限りを尽くしたくなるだろう。冗談でも保安所に戻るなんて言わない。


 失敗するとは思っていないのだろうか。それとも強制労働施設を甘く見ているのか。いずれにせよ常識外であるのは確かだ。クラリスが興味を示した一端かもしれない。


 1階へ降りる。受付の内側で2人の女性が立ち話していた。1人はステラ・コリスだろう。母親の面影がある。もう1人は誰だろうか。ステラと同世代に見える。茶髪をポニーテールにまとめていた。十分に美人と言える顔立ちだった。


 2人が気付く。シンクを一瞥した後、イケダへ視線を移した。その瞬間、ステラはキッと睨むや否やリビングへ続くドアへ駆け込んでしまった。


 真っ当な反応だとシンクは思った。供述調書を見る限り、ステラはイケダに一定の信頼を置いていたはずだ。その彼が自分の交際相手を殺した容疑に掛けられているのだ。恨まずにはいられない。


 もう1人の女性はステラが出ていったドアを見つめている。そのまま彼女に続いて立ち去るかと思ったが、1度目を伏せた後こちらへ近づいてきた。シンクは視界に入っていない。イケダだけを見つめていた。


「ミリアさん」


「お久しぶりです。と言ってもあれから数日しか経っていないですけどね」


 どうやらイケダの知り合いらしい。ただの友達という雰囲気ではない。かといって付き合っているようにも見えなかった。


「まだ嫌疑はかけられているんですよね?」


「ええ。一時的に出歩けるようになりましたが、容疑者なのは変わりありません。このままいけば強制労働です」


 苦笑を浮かべた。女性の方は笑わなかった。


「わたしは、あなたが殺したとは思いません。そんな人ではないと信じています。ですがそれと同じくらいスーちゃんのことも信じているんです。だから、その……」


「分かっています。彼女のそばにいてあげてください。私は私でなんとかします」


「………なんとかできそうですか?」


「さぁ。今のところはなんとも。いずれにせよ6日後には全てが決まります。もしよければその日に会ってくれますか?」


「………………」


 返事はなかった。その代わりに小さく頷くのが見えた。今生の別れになるかもしれない。現時点ではその可能性が高い。


 果たして2人の関係は定かではないが、どうにか笑顔で再会できればいいと思った。

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