第77話 現場検証
カランコロンと来客を告げる鐘が鳴る。シンクは営業休止中の宿屋に足を踏み入れた。
スタッフルームから女性が出てきた。顔に疲労が表れている。シンクにとって書面上でしか知らない人物だが、コリス家の母親だと見当をつけた。
彼女はまずシンクを見て、次にその背後へ視線を向ける。イケダが小さく会釈した。それを見たローラ・コリスは一瞬だけ目を丸くしたが、何かを吹っ切るように首を横に振った後、再びシンクへ視線を戻した。
「保安の方ですか」
「ええ。再三で申し訳ありませんが、205号室を見せていただけますか」
「どうぞ。2階の突き当りです」
2階の階段を上がる。イケダもついてくる。ローラ・コリスと何か会話するかと思ったが控えたようだ。賢明だとシンクは思った。
205号室の前には保安員が立っていた。「お疲れ様です」と言って保安課長直筆の委任状を見せる。彼はイケダに対し訝しげな視線を向けるも、委任状の有効性が確認できたのだろう。素直に道を開けてくれた。
「さて。ここが遺体発見現場です。と言っても馴染み深いでしょうけど」
約6畳の室内にベッドとテーブルチェアセットが置かれているだけのシンプルな部屋だ。宿屋の一室としては一般的と言える。
イケダは周囲に目を配った後、足元の白いひもを指さした。
「ここにマイケル氏が倒れていたのですね」
白いひもでヒトの形が取られていた。実際の遺体は他の場所へ移されている。
「うつ伏せだったようです。背中にはナイフが突き立てられていました」
「右腕が伸びていたのですか?」
白いひもが不自然に曲がっている個所を指さした。
「ええ。遺体は右腕が伸び切っており、人差し指だけがピンと立っていたようです」
「人差し指……」
イケダが顎に手を当ててテーブルチェアセットを睨む。被害者が人差し指で何かを指さしているとすれば、その先にあるものはテーブルチェアセットだ。保安員も同様に考えたらしい。テーブルチェアセットを入念に調べた。だが何も出てこなかったことが捜査記録として残されている。
「人差し指には何か付着していましたか?」
「人差し指、というよりも手全体が血でベットリだったようです。右手だけでなく左手も血まみれでした。背中、もしくは床に零れた血に触れたと思われます」
白いひもの中心あたりの木板が赤黒く変色している。
「これは?」
イケダが床を指さす。遺体とテーブルチェアセットの中間あたりだ。大中小の黒いポツポツがあった。大きいものは10センチ、小さいのは1センチ程度だった。
「シミでしょう。新しい建物ではありませんから」
「…………なるほど」
そう言いながらも首をかしげていた。何が納得いかないのだろうか。
そのまま30秒ほど黒いシミに触れていたが、やおら立ち上がりベッドへ視線を向けた。
「ベッドはどうでしたか?乱れてました?」
「え、と。お待ちを」
手元の書類に目を落とす。記載は、あった。
「いえ。綺麗なままだったようです。使用された形跡はありませんでした」
「……」
ベッドをジッと見つめる。その姿は真剣そのものだ。使用されていなければどうなのか、使用されていた場合どうなっていたのか。シンクには事件との関連性が見いだせなかった。
「窓は……」
ドアから離れた壁に窓があった。回転式だ。左右どちらかを押すことで反対側が開く。
「大人が通れるとは思えませんね」
「ええ。幼児がギリギリでしょうね」
イケダは窓を開けて下をのぞき込んだ。時折「うーん」や「無理かぁ」などの声が聞こえてくる。満足したのかこちらを振り返った。
「窓に不審な点は?」
「ありません。道具を使用された形跡はなく、血痕が飛び散っていたという事実もないです。なお遺体発見当時は閉じられていたようです」
「そうですか」
声に抑揚が無い。窓にはさほど関心を示さなかった。
入口へ向かった。ドアノブを掴もうとする。しかし何かに気づいた様子で手を引っ込めた。
「内側のドアノブには血痕が付着していたと思うのですが」
「えーと………いえ。そのような形跡はありませんでした。綺麗なままだったようです」
「え?」
彼にとって予想外だったようだ。信じられないというような表情をシンクに向けてきた。
「何か考えがあったのですね」
「ええ、まぁ。ただそうなると…………ん?あれ、いや、そうか。順番が違うのか」
ブツブツ呟いている。こうしていると本物の保安員のように見えてくるから不思議だ。
シンクはクラリスから聞いたイケダの経歴を思い出していた。冒険者登録するまでは何をしていたか一切不明。登録後も宿の手伝いとゴブリン退治しかしていない。殺人事件を解決できそうな要素は皆無だ。
だがクラリスはイケダに捜査をさせるよう仕向けた。つまり彼女には何らかの根拠があったように思う。シンクには知らされていない何かが。
今のところイケダからは事件解決に関する話を聞けていない。ただ現場検証における着眼点は間違っていないように思えた。
「すみません、もう1度ステラさんの調書を見せていただけますか」
「どうぞ。情報が足りなければ直接ご本人から話を話を聞くことも可能ですよ」
「了解です」
数枚の用紙をイケダに手渡す。彼は受け取るとベッドの上に座り、黙々と読み始めた。
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