第76話 容疑者の所以

 2人の男が喫茶店で向かい合っていた。1人は金髪碧眼の爽やかな美男子だった。ホットティーを飲む姿さえ秀麗だ。もう1人は黒目黒髪の平凡な男性だ。取り立てて特徴はない。疲れ果てた様子で目の前の料理を眺めている。


「食べないのですか?お腹空いているでしょう」


「………」


「イケダさん?」


「ええ、はい」


 相変わらず生返事しか繰り返さない。取り調べは夜通し行われたらしい。精魂尽き果てるのも分かる。回復するまで時間を要するかもしれないと、シンクはカップを傾けながら思った。


「……レイさん、でしたか」


「シンクでも構いませんよ」


「ではシンクさん、なぜ私を助けてくれたのですか?」


 初めての質問だった。シンクは一瞬だけ考えるそぶりを見せた後、何でもないことのように答えた。


「分かりません」


「はい?」


「私ではありません。団長の意思です。団長はご存じですね?マリスミゼルというお店で会っているはずです」


「クラリスさんですよね。確かにお会いしましたが」


「団長はあなたの無実を確信しています。根拠は分かりません。ただ正義感の強い方です。目の前で起きた冤罪事件に我慢ならなかったのでしょう。こうして副団長の私に白羽の矢が立ったわけです」


 シンクの話は脚色だらけだった。真実を話してもややこしくなるだけだと思った。イケダは少し納得のいかない表情を見せたが、小さく頷き飲み込んだ。


「世の中にはそういう人もいるんですね」


「希少ですがね。それで、どうしますか?」


 今度はシンクから尋ねた。今のやり取りでまともな会話が可能と判断したからだ。


 イケダはその問いに思案する様子を見せた。質問の意図が分からなかったわけではない。シンクが想像している以上に彼の選択肢が多かったからだ。


「捜査期間は7日でしたね。もしも潔白を示せなかった場合はどうなりますか?」


「数日の拘留を経て、強制労働施設行きですね。初犯で被害者1名ですから、労働期間は10年から20年が妥当でしょうか」


「強制労働……あるんですね」


「どの国にも存在します。罪人とはいえ有効活用しない手はありませんからね。ダリヤは他国よりも労働環境がマシみたいですが、それでも死亡率は高いです。施設行きとなれば死を覚悟すべきですね」


 多少臆するかと思ったがイケダの表情に変化はない。知っていたのだろうか。それにしては強制労働という制度を初めて耳にしたような反応だった。


「施設へ連行される前に逃亡したらどうなりますか?」


「逃げるつもりですか」


 シンクは鋭い目を向けた。イケダは両手を胸の前で交差し、慌てふためいた口調で答えた。


「もしもの話です。万が一、どうしようもなくなって逃げるとしても、シンクさんやクラリスさんに迷惑をかけるつもりはありません」


 ひとまずの安心を覚える。本気で逃亡を企てる者が逃げた場合の話をするはずがない。もちろんシンクにはイケダを逃がさない自信はあったが、それ以上にクラリスの信じた男がまともな捜査もせず逃げ出すという現実は受け入れがたかった。


「分かりました。教えましょう。逃亡に成功したとしてもその先に待ち受けるのは地獄です。ギルドカード等の身分証明書は軒並み失効します。ダリヤ内では手配証が回り人目を気にした生活を余儀なくされます。他国への亡命も命がけとなるでしょう。法を破るということは人権を捨てるのと同義です」


 多分に誇張が含まれている。逃亡を未然に防ぐという意味では効果的だろうとシンクは思った。


 イケダは「そうかぁ」「いや、うーん……」などと悩む様子を見せていたが、1度頭を大きく横に振った後、シンクに視線を合わせた。いつの間にかどんよりした眼差しからすっきりとした表情へ変わっていた。


「まずは与えられた機会を生かして捜査に当たろうと思います。失敗したら、失敗したときに考えます」


「それがいいでしょうね」


 失敗したら強制労働施設へ行くほかないとシンクは思ったが、あえて口にすることはなかった。


「ときにイケダさん、一応の確認ですが、あなたは犯人ではないのですね」


「はい。私は私が誰も殺していないことを知っています」


「いいでしょう。では事件概要の説明に入ります。保安員から既にお聞きかもしれませんが、確認の意味も込めてお話しますね」


「お願いします。あ、食べながらでもいいですか」


「どうぞ」


 早速目の前のパンにかぶりつく。食欲も戻ってきたようだ。良い兆候だと思った。


「まずは事件発覚の経緯からです。午前9時、いつもはとうに起きているはずのイケダ氏が朝食の席へ姿を見せないことに不審を覚えたローラ・コリスが205号室をノックしました。何度か繰り返しましたが反応はありません。ドアノブを捻ってみましたが施錠されていました。1階へ戻り、その旨を娘のステラ・コリスへ伝えました。ステラは自分が確認してくると言って、マスターキーを持って2階へ上がりました。その後、205号室から悲鳴が上がりました。ローラが駆けつけると、遺体の前で呆然とする娘の姿がありました」


 遺体発見のところでスープを飲む手が止まった。その様子を見ながら話を続ける。


「遺体の身元はすぐに判明しました。名前はマイケル・サイラス。男。28歳。パーティ『漆黒の顎』のリーダーであり、ランクBの冒険者です。そして、ステラ・コリスの交際相手でもありました」


 スープを見つめる瞳は動かない。何を考えているのだろうか。


「死因は出血多量でほぼ間違いありません。凶器は一般的な包丁です。背中に刺さったままで刺し傷が2か所ありました。ダメを押したのでしょう。またステラ・コリスとローラ・コリスの調書、更に胃の内容物を考慮して死亡推定時刻は午前2時から6時の間と見られています」


「包丁だったんですね」


 凶器は聞かされていなかったようだ。保安員が聞かせる必要はないと判断したのだろう。


「家庭用の包丁ですね。誰にでも購入可能です。マリスでは1日に何百本と売れているようなので、凶器から犯人を特定するのは無理でしょうね」


「一応聞きますが、指紋鑑定はないんですよね?」


「指紋……ないと思います。聞いたことがありません」


 文字は思い浮かんだ。ただそれに該当する鑑定方法は思いつかなかった。


 イケダは「やっぱりかぁ」とつぶやき、腕を組んで虚空を見つめる。既に保安員へ確認済だったのだろう。期待も失望も見せることはなかった。


「イケダさんが疑われる理由は明白です。遺体発見現場があなたの部屋だったこと。死亡推定時刻の間で現場に不在だった証明ができないこと。そして」


 彼の眼を見据える。次の言葉が予想できたのか、苦笑を浮かべながら小さく息を吐いた。


「ステラ・コリスがドアを開けるまで205号室には鍵が掛かっていました。つまり密室殺人です。そして鍵を開閉できる人物はコリス家の他だとイケダさん、あなたしかいないんです」

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