第71話 あの夜を覚えてる

 ビューティフルドリーマーを喉に流し込む。碧い眼の女性は無表情でこちらへ視線を送ってきていた。


 ドラマの最終回だろうか。今日はとかくフラグを回収する機会が多い。


 名前を知りたい、冒険者ギルドで待ち合わせときたら、思い当たるのは1つしかない。彼女こそが俺を冒険者パーティーに勧誘した張本人だろう。


「ここにいらっしゃるのは偶然ですか」


「いいや。探し当てた」


 真っ直ぐな瞳は虚偽や不正、誤魔化しを決して許さない強烈な光を帯びていた。たとえ騎士団の団長と名乗らなくても、国家に属する役人だと思ったに違いない。


「もう1度問う。なぜ約束を破った」


「……すみません、何に対して謝罪すればいいですか?」


「勝手に話を進めるな。まずは冒険者ギルドに姿を現さなかった理由を言え」


「ありません」


「ない?」


「強いて言うなら忘れていたからです」


 荒れていると言っていい。心の中は暴風波浪警報がガンガン鳴り響いている。ステラの件で荒んだ気持ちは未だ癒えていない。つまり騎士団長に配慮する余裕もない。


「貴殿にとって約束はそんなに軽いものなのか」


「いいえ。まともな相手と交わした約束は守ります」


「私が、まともではないと?」


「名前も明かさず、姿も現さず。挙句の果てにはこちらの都合もお構いなしに約束を取り決める始末。これでまともだと言えますか?」


 マスターにお代わりを注文する。彼女は何とも言えない表情を見せた後、お酒を作り始めた。いきなり現れた騎士団長との会話をどう扱っていいか分からないのだろう。


 騎士団長に伝えた言葉は本意だ。約束を破った事実は謝罪に値する。だが約束を取り付ける過程に不満を持っていたのも本当だ。忘れたということは、忘れてもいいと思っていた証左に他ならない。


「それとこれとは別の話だ」


「ええ、別ですね。だから………」


 立ち上がる。間髪入れず頭を下げた。


「約束を破ってしまい申し訳ありませんでした」


 5秒ほど態勢を維持した後、ゆっくり腰を下ろした。クラリス団長を見る。腕を組んだ状態で閉眼していた。どういう心境だろう。


 いつの間にかカウンターの上にはグラスが置かれていた。お酒が並々に注がれている。一気に半分ほど飲み込んだ。美味い。飲みやすい。ただ度数は低くないはずだ。アル中には気を付けよう。


 団長が静かに目を開けた。そのまま立ち上がり、なんと、向こうも頭を下げてきたではないか。


「こちらこそ、傲慢な態度で貴殿を勧誘してしまい申し訳ない。深く謝罪する」


「え」


 彼女も5秒ほど姿勢を維持した後、頭を上げた。視線がぶつかる。酔っているのだろうか、セレスに顔が重なって見えた。どちらも美人だが顔の系統は異なる。セレスはアンニュイ眠た系で、クラリスはクッキリ真面目系だ。だが同じに見えた。


「貴殿は」


「………」


「…………いや。これで互いのわだかまりは無くなった。仕切り直しだ。また誘いに来る。今度は色よい返事を期待する。では良い夜を」


「ちょ」


 クラリスはマスターへ「美味しかった。ありがとう」と言った後、カウンターの上に硬貨を数枚置き、颯爽と去っていった。残された俺は呆然とドアを見つめることしか出来なかった。


「はぁー。あれがボボン王国の騎士団長様かい。噂には聞いていたけど、それ以上の美貌だったね」


「確かに美人でしたが、それよりも……」


「ん?ああ。騎士様が頭を下げるとはね。普通は考えられないよ。よほど人間が出来ているんだね」


「いや……まぁ、そうですね」


 小さく息を吐く。また誘いに来るのはいいが、概要だけでもこの場で話してほしかった。結局どんな目的のパーティなのか聞いてない。


「あんたさ、意外と女の知り合い多いね」


「そんなんじゃないですけど」


「さっきの話もそうだけど、あたしはてっきりあの子———」


 マスターの声はドアの開閉音で遮られた。クラリス団長が忘れ物でもしたのだろうかと思いながら視線を向ける。


「こんばんわ、マスター」


「あら噂をすれば」


「ミリアさん」


「え、イケダさん?いらしてたんですね」


 現れたのはミリア・シーフードだった。まさか今日という日に会えるとは思わなかった。向こうも俺がいるとは予想できなかったのだろう、驚いた表情を浮かべながらバーカウンターへ近づいてきた。


「友達と観光ツアーへ行くって話でしたよね」


「行ってきましたよ。その後も一緒に飲む約束をしていたのですが、向こうに急用が出来ちゃって。このまま寝るのももったいないので、マリスミゼルに遊びに来ちゃいました。ということでマスター、お土産です」


 カウンターに袋を置いた。それをマスターが上から覗く。


「あら?あらあら。ヨアンスカーレットじゃないのさ。こんな良いお酒………ん、あれ」


 マスターが首を傾げる。どうしたのだろう。


「友達ってもしかして、男?」


「女の子ですけど」


「そうなんだ。ふーん」


「ええ。さっき言った急用と言うのも、向こうの彼氏が合流したいと言ってきたので、私は邪魔かなと思い退散したわけですから」


 マスターはミリアの話を一頻り聞いた後、俺に流し目を送ってきた。なるほどと小さく頷く。どうやら俺のために友達の性別を確認してくれたらしい。さすがだ。出来る女は違う。


 袋からボトルに入ったお酒と2つのグラスを取り出す。


「このグラス使う?」


「いえ。そちらは差し上げます」


「あいよ。イケダも飲むかい」


「飲んでいいんですか?」


「もちろんですよ。一緒に飲みましょう」


 ミリアが定位置に座った。つまりコの字カウンターの一番隅、俺の隣だ。観光ツアーを楽しんできたのだろう、少々顔が赤らんでいる。


「観光ツアーはいかがでしたか」


「もちろん最高でしたよ。今度は一緒に行きましょうね」


「え、ああ、是非とも」


 珍しく直接的な表現だった。いつもだったら匂わせに留めるはずだ。彼女の中で心境の変化があったのだろうか。友達の彼氏話を聞いて触発されたのかもしれない。いずれにせよ喜ばしい兆候だ。


 マスターがグラスを3つ持ってきた。中には薄赤色の液体が8分目まで注がれている。そのうちの1つを受け取る。


「それじゃあ、えー、あー、なにに乾杯する?」


「何でもよいのでは?」


「私とミリアさんとマスターの友情に」


「じゃあそれで。乾杯」


 グラスを打ち合わせる。ヨアンスカーレットをグビリと飲む。美味しい。味は赤ワインに近い。これなら際限なく飲める。ただビューティフルドリーマーに比べると度数は格段に高そうだ。


「マスター、お腹が空いてきました。何か軽食を作っていただけますか」


「いいよ。っていうか顔色良くなったね。さっきまで土気色だったのに」


「へぇ。何かあったんですか?」


 何にもないです、と右手を横に振る。あなたの親友の情事を耳にして落ち込んでいたとは言えまい。


 マスターの指摘通り体調は格段に良くなった。キッカケは明白だ。もしも今日ミリアと会えていなかったら、何日か引きずっていたかもしれない。


「捨てる神あれば拾う神あり、か」


「なんですその言葉?」


「よく分かんないけどそれ用法間違ってるだろ」


 マリスミゼルの小さな宴会は明け方まで続いた。

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