第69話 ヤクソク

 その日もいつもと同じようにギルドへ足を踏み入れた。建物内に変化はない。清潔な空間を野蛮な人達がウロウロしている。


 一方で俺自身にはとてつもない違和感と忌避感が押し寄せた。そう、この時になってようやく思い出したのだ。


「人と会う約束してたんだった…」


 確か17時にギルドで待ち合わせだった。その時間何をしていたか。ステラとの買い出しを終えて薪割りに勤しんでいた。人と会う約束などすっかり忘れていた。


 どれくらい呆然としていただろう。肩に衝撃が走る。物凄い強さだ。踏ん張りも効かず無様に倒れてしまった。その弾みで右手に持っていた袋を落とす。袋からは緑色の耳が零れた。


 背後から「ちっ!こんなところに突っ立てんなよ」と罵声を浴びせられた。振り返ると筋骨隆々の男が立っていた。彼は俺を一睨みした後、受付の方へ向かった。


「…………」


 床に散らばったゴブリンの耳をかき集める。不気味なものを見るような視線が周囲から浴びせられた。恥ずかしい。逃げ出したい。


 確かに出入口付近でボーっとしていた俺が悪い。非は認める。だからと言ってこの仕打ちはないだろう。約束をすっぽかした罰なのか。


 ゴブリンの耳を全て拾い集め、ゆっくりと立ち上がる。心の中はぐちゃぐちゃだ。約束を破って申し訳ない気持ちと肩ドンに対する理不尽な気持ちがごちゃ混ぜになっている。


「はぁ……よし」


 うじうじしても仕方がない。切り替える。心が嫌がっても身体は動かそう。まずは換金だ。


 一番空いている列へ並ぶ、のはやめておく。昨日の今日で受付おじさんと顔を合わせたくない。謝罪するつもりはある。だが今日はダメだ。躁状態の時に改めて伺う。


 おじさんから一番離れた受付へ並ぶ。並んでから気づく。尋常でない行列だ。人気が凄まじい。


 30分以上かかり、ようやく俺の番となった。受付のテーブルに依頼書と布袋を置く。


 座っていたのは人間族の女性だった。美しい。それでいて物腰も柔らかい。並んででも会う価値があると思える。マリスを訪れた当初なら、なけなしの勇気を振り絞って声をかけていたかもしれない。だが今は無理だ。他の女性に割くキャパシティがない。


「ゴブリン討伐ですね。では討伐の証を確認させていただきます…………え?」


 女性は袋の中に視線を落とした後、訝しげな眼を向けてきた。まさか100個以上入っているとは思わなかったのだろう。説明は可能だが面倒なので無視を決め込む。口を開く気配がないと分かったのか、首を傾げつつも緑色の耳を数え始めた。


「えーと、全部で102体ですね。報酬は30600ペニーになります。どうぞ」


「ありがとうございます」


 テーブルに置かれた硬貨をササっと回収する。もう用はない。行こう。


「では失礼します」


「はぁ、あのちょっとだけお時間………」


 何か言いかけた女性へ背中を向けてスタスタ歩き出す。どうせロクな要件じゃない。おじさんに気づかれる前に去ろう。





 ★★★★




 ミリアと会う場所は決まっている。マリスミゼルだ。彼女は2日に1回ここを訪れてお酒を楽しむらしい。


 今日も彼女はいた。コの字型カウンターの一番奥の席だ。しかし1人じゃなかった。隣に男が座っている。


 20代前半だろうか。仕立てのいい服を着ている。男の方がしきりにミリアへ話しかけているようだ。彼女の反応は薄い。願望がそう見せているだけかもしれない。


 どうしよう。立ち去ろうか。それとも割り込もうか。難しい。俺とミリアの関係が曖昧な以上、いずれの選択も正解とは言い切れない。


「ん?あ、イケ坊じゃん」


 どうやら悩みすぎたらしい。女マスターがカウンターの内側から手を振ってきた。ミリアにも気づかれたようだ。仕方ない。マスターに会釈しつつ奥の席へ向かう。


「こんばんわ」


「こんばんわ」


「ん?え、知り合い?」


 ミリアと挨拶を交わす。手前に座る男の顔がハッキリと見えた。イケメンだ。俺の1.5倍顔立ちがいい。


「ということでお帰りはあちらです」


 ミリアが出入り口の扉を指さした。視線はイケメンへ向けられている。


「え、なに。先客がいたの?だったら教えといてよ」


「言ったでしょう。あなたには興味がないと」


「誰でも最初はそう言うじゃん。だから頑張ったのに、なんだよ」


 立ち上がった。振り返って俺の顔を見る。


「彼氏?」


「え」


「彼氏なのかって聞いてんの」


 思わずミリアへ視線を移す。彼女は笑っていた。まるで俺と男のやり取りを楽しんでいるかのようだった。


 何と答えるのが正解だろう。そもそも考えて出した答えが正解なのか。思ったままを口にした方がいいのか。分からない。とりあえず笑っておこう。


 静かなる湖上を意識した微笑みを浮かべる。


「え、なにその顔。っていうか喋れよ」


 静かなる湖上って何だろうと思いながら表情を維持する。視線もそらさない。語るべき言葉を持たない以上、無言こそが最大の防御となる。


「ちっ……なんだよ気持ちわりいな」


 男は最後に俺を一睨みした後、大袈裟に足音を立てながら去った。カウンターテーブルの上には千ペニーが置かれている。自分の飲み代だけ置いて行ったのだろう。


 男がドアから出ていくのを見届けた後、彼が座っていた席に腰を下ろす。


「知り合いですか?」


「いえ。今日初めてお会いしました。1人だったので都合がいいと思ったのでしょう。たまにあるんです」


 グラスを傾けた。いつもと同じ色だ。マスターに「彼女と同じもので」と注文する。


「声をかけて正解でしたか」


「それは私に聞くことじゃないでしょう?」


「だったら正解だと思うことにします」


 彼女は微笑んでいた。魔性の笑みだと思った。さっきの男もこの顔にやられたのだろう。俺もやられているのだろうか。セレスさえいなければ確信を持てていた。


 マスターからウィンドミルを受け取る。その間際、「いやマジでさっきのニヤニヤ顔気持ち悪いからやめた方いいよ」と耳打ちされた。イケメンを追い払った顔のことだろう。余計なお世話だとその笑みを浮かべてやった。マスターに無言でビンタされた。


「え。マスター?イケダさん?いったいなにを……」


「ところでミリアさん、1つお話があるのですが」


 ジンジンする左頬を無視して話しかける。訳が分からないだろう。俺も分からない。だから話を進める。


「あ、はい。なんですか」


「一緒にホワイトロード観光ツアーへ行きませんか」


 流れるままに誘う。タメもない。こういうのは勢いが大事だと知っている。そして誘われた方も勢いに飲まれて頷いてしまうのだ。


 最初に見せたのは期待に満ちた顔だった。しかし次第に逡巡する様子を見せて、最後には苦悶の表情を浮かべていた。


「すみません。誘っていただけたのはありがたいのですが、先約があって」


「そう、なんですね」


「ええ。1か月以上前に友達と一緒に行くって約束していたので、流石に断れないなぁと。ごめんなさい」


 そう言って彼女は頭を下げた。本当に申し訳ないと思っているのだろう。いえいえ大丈夫ですよと顔を上げさせる。


「誘うのが遅すぎたようですね」


「観光ツアーについては、そうですね」


 ウィンドミルをグビッとあおる。彼女の顔は見れなかった。どうせ例の小悪魔的な笑みを浮かべていると思ったからだ。


 次はどんなイベントがあるだろうか。後でコリスファミリーに確認してみよう。

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