第67話 恋のエチュード

「ゴブリン狩り?うそでしょう」


 相変わらずマリスミゼルは若者が多い。特に女性客が目立つ。清潔感のある内装と独創的なお酒が若年層の人気を呼んでいるのかもしれない。


 隣ではミリアが目を丸くしている。彼女にしては珍しい表情だ。


「本当です。何故か彼らに人気がありまして。群がってくるのですよ。はっはっは」


「はははじゃなくて。えーと、ごめんなさい。確か1匹につき300ペニーでしたよね。生計を立てるとなれば最低でも毎日20、いえ30匹は倒す必要があると思うのですが…」


「はっはっは」


「その笑い方やめろや!」


 バーカウンターの内側から声が上がった。ワンオペの女マスターだ。盗み聞きしていたらしい。銀色の筒をシェイクしながらこちらを睨んでいる。カクテルだろうか。


「マスター。以前から思っていたのですが、私に厳しくないですか」


「そりゃ厳しくもなるでしょ。ミリアが連れてきた相手だし」


 隣を見る。苦笑いを浮かべていた。どうやら彼女との仲を深めるには女マスターの好感度も上げる必要がありそうだ。


「失礼ですがマスターは独身ですか」


「ほんとに失礼だね。見りゃ分かるだろ」


「そうですか。実はマスターに紹介したいオークがいまして」


「あんたは私に気に入られたいのか嫌われたいのか、どっちなんだい」


「ハッハ―――」


「イケダさん」


 ハハハと笑い飛ばそうとしたところ、隣から底冷えするような声が聞こえてきた。


「冗談でもそんなこと言わないでください」


「えーと、はい。ごめんなさい」


 謝罪する。彼女の何かに触れてしまったらしい。女マスターも首をかしげている。心当たりはないようだ。マスターに男を紹介するのがそんなに嫌だったのだろうか。聞きたいが聞ける空気ではない。


「……いえ、こちらこそすみません。流石のマスターもオークでは身が持たないと思って」


「流石のってなにさ。この歳になると若い男でさえ持て余すよ。ジジイを連れてきな」


「逆にジジイがマスターを持て余しますよ」


 適当に合わせつつミリアの横顔を見つめる。いつもの彼女だ。視線に気づいたのか顔が正面に来た。見つめあう。相変わらず綺麗だ。彼女は表情を変えないまま問いかけてきた。


「イケダさん。あなたは、愛するヒトの全てを知りたいですか?」


「どういうことですか」


「…………」


 答えてくれない。バーカウンターをチラ見する。マスターは別の客の相手をしていた。助け舟はなさそうだ。


「すべては、知りたくありません。知る必要もないでしょう。愛こそが相手の分からない部分を埋めていく行為だと、思ってますから」


「知らなくていいこともあると?」


「ええ。知ってしまったから終わることもあります。まぁそれは、愛だけなく人間関係全てに言えることですが」


 グラスを持ち上げて一口飲む。自分で自分の発言が分からない。俺は何を言っているんだ。愛を語れるほど愛を知っているわけでもないのに。


「なるほど。そうですか」


 彼女もグラスを傾けた。中に入っているのはウィンドミルだ。ミリアはそれしか飲まない。少なくとも俺の前では。


「残念ですね。答え次第では私の秘密をお伝えしようとしたのに。あぁ残念」


「え」


 思わず視線をぶつける。彼女は笑っていた。嫌みの無い笑いだった。彼女の顔を見て思った。残念と言ったが、もしかすると望ましい答えだったのかもしれないと。


 再びグラスに口を付ける。ミリアと会うのはこれで3度目だ。会話は楽しい。ストレスは感じない。ただ距離が近づいているかと言えば難しい。近づいているともいえるし、気のせいだとも思える。とかく彼女は分かりにくい。


 直接的な表現を多用すべきだろうか。好きだとか綺麗だとか。ただ彼女へ好感を持つたびに紅魔族女性のカットインが入る。まるで深入りするなとでも言うように。こんな状態で別の女性を好きになることが出来るのだろうか。


 隣を見る。彼女は角のボックス席を見て目を細めていた。羨望の眼差しだった。そこでは母親らしき人物が子供にパフェを食べさせていた。女性の格好と時間帯から察するに夜の店に勤務しているのだろう。


 子供好きなのかなともう1度ミリアの横顔を窺う。羨ましそうにしていた眼から僅かな哀愁が感じられた。


「ミリアさん?」


「え、あ、はい。なんでしたっけ」


「いえ」


 取り繕ったような笑顔だった。今の眼は何だったのだろう。質問したところで正直に答えてくれない気がする。いつか分かる日が来たらいいなと思いながらウィンドミルを飲み干した。




 ★★★★




 コリス亭の時計は0時ちょうどを指していた。今日も飲み過ぎた。ミリアにペースを合わせると4、5杯は優に超える。お会計も2人合わせて5千4百ペニーだった。何故か彼女が3千ペニーを差し出してきたので引っ込めさせた。ミリアは「私の方が飲んだので」と言ってきたがガン無視した。ゴブリンスレイヤーの稼ぎをなめないで欲しい。


 2階に上り、1つ、2つ、3つ、4つ目のドアを通り過ぎる。最後の5つ目が長期滞在中の自室だ。ドアノブを捻る。開かない。


「…………ああ」


 鍵を閉めていたんだった。忘れていた。確実に酔っている証拠だ。ポケットからカギを探す。手に感触があった。ホッと安堵する。落としていたら大変だった。


 横からきぃっと音がした。隣ではない。隣の隣だ。そこから誰かが出てきた。


「ん?あら」


「こんばんわ」


 女性の声だった。顔は暗くてよく見えない。そう思った瞬間、ボッという音とともに空中に火の玉が現れた。驚きで声を上げそうになる。よくよく目を凝らすと、火玉の下に手のひらが見えた。理解した。どうやら彼女が火魔法で火玉を現出させたらしい。


「月の綺麗な夜ね」


 火玉のお陰で表情が見えた。いや、見えなかった。前髪が長すぎて顔を覆い隠している。


「月、ですか」


「ふふ。またお会いしましょう」


 そう言うと火玉を連れて1階への階段を下りていった。


 改めて周囲を見渡す。どこからも月は見えない。比喩だろうか。分からない。酔っているせいで頭も回らない。寝よう。寝て忘れよう。


「……それにしても」


 先日の黒ずくめといいコリス亭には珍客が多い。

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