第65話 魅惑のヴィーナス
コツコツと階段を下りた先にそのお店はあった。
茶髪のポニーテールを揺らしながら扉を押して入っていく。俺も彼女に続いた。
「いらっしゃい」
「こんばんわ。2人座れますか?」
「ええ。奥が空いてるよ……ってあら、男性と一緒?初めてじゃない?」
「そういうのじゃないですよ。奥借りますね」
店内に視線をやりつつ奥へ進む。雰囲気から察するにバーのようなお店だろうか。コの字型のカウンター席とボックス席がある。今向かっているのはカウンター席の一番奥だ。客はそこそこ入っている。おじさん、青年、若い女性、性別も年齢層もバラバラだ。オールマイティな店も珍しい。
歩くたびに視線を感じた。1つではない。複数だ。特にカウンターの向こうにいる女性の眼光が鋭い。推定40代後半だ。店主だろうか。軽く会釈しておく。
彼女が一番奥に座り、俺はその隣に腰を下ろした。
「ウィンドミルと何か軽食ください。えーと……」
視線を向けられる。続いて注文すればいいのだろうか。いや違うと気づく。
「すみません、名乗っていませんでしたね。イケダです。タカシ・イケダ」
「こちらこそごめんなさい。ミリア・シーフードと言います。イケダさんは何飲まれますか?あとお腹空いてます?」
「お腹は大丈夫です。飲み物は、じゃあ同じもので」
「ウィンドミル2つと軽食ね。はいはい」
注文を受けたマスターは俺をひと睨みした後、手元で何やら作り出した。どうやらワンオペのようだ。
「それで……早速聞いちゃいますけど、なんで誘ってくれたんですか?」
「女性を誘うのに理由はいらないでしょう」
「いりますよ。どんな物事にもね」
身体の向きは正面のままで顔だけこちらを向いている。その表情は何かを楽しんでいるようにも見えた。
軽く躱そうと思ったが駄目らしい。そもそも初手でカッコつけすぎた。ナンパ初心者が言っていいセリフじゃない。
「はい。ウィンドミル2つと軽食ね。で、だれこいつ?」
マスターはバーカウンターに飲み物と食事を置いたあと、こちらを指差した。
「イケダさんです。海鮮山鮮亭のお客さんですよ」
「ふーん。常連?」
「いえ。今日初めて来店されました」
「は?一見さん?そんでこの子を誘ったの?」
微笑みを浮かべつつ小さく頷く。マスターが驚くのも無理はない。俺だって初対面の女性を食事に誘えると思っていなかった。しかしそんな俺の対応は予想外の形で返ってきた。
「いや笑顔キモ!」
「え」
女マスターの言葉に顔が凍り付く。なんでそんなこと言うの。しかもミリアの目の前で。ひどい。というか客に対してその言葉はどうよ。
「え、ミリア、こうのうのが趣味なの」
「ふふ。面白いヒトでしょう?」
彼女も微笑んだ。もちろん素敵な笑顔だ。俺も笑みを浮かべようとしたが、マスターの反応を思い出してキリっとした表情へ切り替えた。
「……………」
面白いってなんだ。
★★★★
「ああ、じゃあ冒険者さんなんですね」
「ええ。マリスに来たのも最近なら冒険者になったのもついこの間でして。当然新米のFランクです」
意外にも会話は順調だった。マスターが茶々を入れてこないのもあるが、それ以上にミリアのコミュニケーション能力が高かった。綺麗なうえに話も上手いなんて最高か。
「実は私も冒険者をやってた時期があるんですよ。でも怪我をして続けられなくなっちゃって。お母さんのお店……イケダさんが来てくれたところで働き始めたんです」
「え。つまりミリアさんはえー、うみ、海鮮山鮮亭の後継ぎということですか?」
「一番上ですし、そうなりますね。まだフロアと仕込みしか任せてもらえてないですけど」
相槌を打ちつつ考える。ただの従業員で無かったことは驚きだ。元冒険者だったことも驚きだ。それ以外に1つ引っかかったところがある。ミリアはお母さんのお店と言った。一般的な感覚だと父親を立てる。この世界が特別女尊男卑なわけでもない。つまりミリアの家が特別か、あるいは何らかの事情で父親がいないということだ。父親の話題はタブーかもしれない。
彼女は軽食で出された豆炒めを口にした。何度か噛んだ後、お酒のグラスを傾ける。美しい所作だった。改めて思う。なぜこんな女性と席を共にできているのだろう。
ミリアは小さく息を吐いた後、眉間に皺を寄せた顔をこちらへ向けた。
「でもFランクですよね。収入もままならないし住居問題もあるでしょ?どうされてるの?」
「お金に関しては目途が立ちました。余程贅沢しなければ毎日普通に暮らせると思います。住居はそうですね、今はとりあえず宿を借りています。コリス亭というところです。ゆくゆくはどこかの………」
言いかけた途中だった。隣から「え!?」という声が聞こえた。
「スーちゃ……ステラの宿に泊まっているのですか?」
「え、ええ。そうです。ステラさんを知っているのですね」
「そりゃあもう。親友ですから」
そう言った彼女は今日一番の笑顔を見せてくれた。
「あー、そうだったんだ。もし特定の宿が無ければコリス亭を紹介しようかなと思っていたんです…………ってあれ」
徐に左上の壁を見上げる。そこには壁掛け時計があった。いつの間にか11時を過ぎている。
「イケダさん、今日のチェックインしました?」
「まだですけど」
ミリアを待つ間は街をブラついていた。
「コリス亭のチェックイン最終時刻って夜の11時なんですけど。知ってました、よね?」
「……………」
途端、ミリアが呆れ顔で「うわぁ…」と漏らした。初めて見る表情だ。評価は下がったかもしれない。だが良い顔は見れた。
「誠意は見せた方がいいですよ」
「そう、ですよね。ただ……」
ゴニョゴニョ言いながら彼女の顔を見つめる。伝わるか。無理ならハッキリ言葉にしよう。
「ん?ああ、大丈夫ですよ。これが最後じゃないですから」
「それを聞いて安心しました。また誘います。ここのお代は、とりあえずこれだけ置いておきます。足りなかった後で言ってください。では!」
ポケットから4千ペニーを取り出してテーブルの上に置く。海鮮山鮮亭で3千、ここでは4千。それでもまた1万5千ペニー程残っているはずだ。宿代は足りるだろう。
「いや、ちょっと多い――」
「さよなら!マスターも!」
そう言って早歩きでマリスミゼルを後にした。
★★★★
ミリアは彼の背中へ伸ばした手を引っ込めた。
「はぁー、騒々しい。なんなのあいつ?」
マスターがウンザリした顔で話しかけてきた。このお店は彼女が1人で切り盛りしている。
「急かしたのは私ですから。すみません」
「それにしたって………っていうかいなくなったから聞くけど。なんであいつの誘いに乗ったの?どこが気に入ったの?」
彼女は本当に分からないという表情で問いかけてきた。確かに理解できないだろうとミリアも思った。
「ウィンドミル。お代わりもらえます?」
「え、いいけど」
相変わらずマスターのお酒を作る速さは異常だった。ミリアは首都で一番だと思っている。
「はい、どうぞ。で?」
ウィンドミルを一口含む。相変わらず美味しい。そういえば彼にお酒の感想を聞くのを忘れていた。
「誘い慣れている方だなと思ったのです」
「ん?だれ?あの男が?うそでしょ」
「ええ。ウソでした。表情と言葉は問題ありませんでした。ですが下半身が……ふっ、小刻みに揺れていました。その違いが面白くて、ね」
「それただの格好つけでしょ」
そうかもしれない。ただ今までミリアを誘ってきたのは極度の自信家か、相手の目も見れないような軟弱者の二択だった。
彼は真っすぐに自分の眼を見つめてきた。しかし下半身には自身の無さが現れていた。その心情はいったいどんなものなのか。
「分からないですねぇ」
「私はあんたの気持ちが分からないよ」
マリスミゼルの壁掛け時計は11時30分を指していた。
★★★★
ドアノブに手をかける。もしかするとと思ったが、スゥっと開いた。コリス亭は夜中も出入り自由らしい。
室内は薄明かりが照らされていた。ギリギリ歩ける程度の光だ。受付にヒトの気配はない。もう眠ってしまったのだろう。
「…………」
どうしようか。流石に叩き起こす真似はしたくない。かと言って無断宿泊はどうか。完全に犯罪だ。
仕方がないと2階への階段をゆっくり上がる。室内に置きっぱなしの私物を回収してコリス亭を出よう。そして明朝に謝罪だ。宿代を請求されたら大人しく払う。ここまでやれば多少の誠意は見せられるだろう。
一番奥の部屋へ到着した。開けようとしたとき、ドアに違和感を感じた。何かが貼っている。暗くて読みにくい。目を細めつつ何とか解読する。紙にはこう書いてあった。
【バカ!!!朝には絶対に宿代払ってね!あと温泉は0時までだから入るならそれまでに! ステラ】
「ふっ」
思わず笑みがこぼれる。なんだこれは。なんなんだこれは。美女と食事に行ったかと思えば宿の娘にツンデレされるなんて。いつの間に恋愛シュミレーションゲームが始まったんだ。
言付けの紙を綺麗に折りたたんでポケットに入れる。ドアノブに手をかけようとしたところ、隣から誰かが出てきた。
全身黒ずくめだった。一般の宿泊客にしては異様な風体だ。そいつは目深にかぶったフードから鋭い眼光を向けてきて。
「……チッ!」
と舌打ちして1階へ続く階段を早足で降りて行った。
「……………」
あれ。
今の人も攻略キャラなのかな。
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