第64話 海の幸
カランコロン。
「いらっしゃいませー。お好きな席にお座りください」
溌剌とした声が店内に響き渡る。集団向けのテーブル席が空いていた。しかし他人と同席は嫌だ。椅子が20個ほど並んだカウンター席に腰を下ろす。
店内は程々に混んでいた。夕刻の微妙な時間にしては十分な集客と言える。
「いらっしゃいませ、海鮮山鮮亭へようこそ!ご注文はお決まりでしょうか」
顔を上げる。ウェイトレスが立っていた。営業スマイルを浮かべている。
20代前半だろうか。綺麗系の女性だ。茶髪ポニーテールの下から優し気な奥二重がこちらを覗いている。口は大きめだが顔パーツのバランスが良いので左程気にならない。言い方は悪いがクソ童貞共が好きそうなタイプだ。
「オススメはなんでしょう?」
「そうですねぇ。海鮮ならどれもオススメですが……」
アゴに人差し指を当てて斜め上を見つめる。考えるときの仕草としては完璧だ。彼女が夜の店にいたら絶対に指名する。
「ここは初めてですよね?」
「ええ」
「でしたらまずは海鮮パンピーナはどうでしょう?常連さんに大人気の料理なのでお客様も気に入ると思います」
「じゃあそれで。お酒も一緒に頼みたいのですが」
「パンピーナにはモッコス酒ですね」
「それもお願いします。以上で」
「はい。ありがとうございます。少々お待ちください」
店員が去る。その後ろ姿をボーっと見つめる。
間違いなく彼氏はいるだろう。いないとすればちょうど谷間の時期か、余程性格に難を抱えているかだ。
「…………」
紅魔族の顔が思い浮かぶ。セレスティナ・トランス。今でも好きだ。その気持ちに変わりない。ただ彼女と俺が一緒になる未来は想像し難い。再会の兆しはなく向こうの感情も不明瞭だ。
やめよう。いちいち言い訳していたらキリがない。彼女に相応しい男になるためにも経験を積む必要がある。その方が前向きで良い。今の俺があの美貌、素晴らしい性格に釣り合っているはずがないんだ。
沸々と何かが湧き上がってくる。挑戦するのはタダだ。勝算が低いとしても声をかけるだけなら犯罪に問われない。
生まれてこの方ナンパは未経験だ。したこともされたこともない。だからこそ、日本時代に出来なかったことを異世界でやってやろうという気持ちがある。ある意味生まれ変わったのだ。前世と同じ行動をしていたんじゃつまらない。
行こう。
「お待たせしました。海鮮パンピーナとモッコス酒です」
料理とお酒が運ばれてきた。同じ店員だ。ホールには他に2人のウェイトレスがいる。3人で回しているようだ。
「ああ、美味しそうですね」
海鮮パンピーナに視線を落とす。パエリアだろうか。お米のようなものを下敷きに豊富な魚介類と少々の野菜が色彩豊かに盛り付けられている。隣のお酒は金属製の器に並並注がれていた。ふちの部分でシュワシュワ言っている。炭酸系だろう。
「見た目も色鮮やかですが味も抜群ですから。最初は何もつけずにお召し上がりください。ちょっと味が薄いなと感じたら、卓上のソースをつけても美味しいですよ」
「ありがとうございます。お酒は、モッコス酒でしたっけ」
「ええ。もし気に入って頂けたらお代わりしてくれると嬉しいです」
目じりが下がる。素敵な笑顔だ。同時にセレスの無表情もフラッシュバックする。
「分かりました。ありがとうございます」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
一礼して去っていく。その背中へ向けて口を開きそうになるのをグッとこらえる。まだだ。まだ早すぎる。最低でも、もう2、3は言葉を交わしたい。誘うのはその後だ。
いただきますと呟きパンピーナを口に入れる。美味しい。しかし予想に反して味が濃い。モッコス酒を飲む。葡萄の風味だ。非常に飲みやすい。パンピーナの塩気も消え去った。
なるほどと思う。パンピーナは飲み物が必須の料理だ。そしてモッコス酒はのど越し柔らかく老若男女問わず飲める。つまりモッコス酒の消費で飲食代を上乗せさせる公算だろう。
小さくほくそ笑む。むしろありがたい。彼女に話しかける口実が増えた。モッコス酒。最低でも5杯はいきたい。
★★★★
あれから何度か注文した。幸運にもオーダーに来たのは毎回茶髪ポニーテールの女性だった。そのたびに軽く言葉を交わした。内容は他愛ないことだ。メニューの詳細だったり営業時間だったり。
壁掛け時計に視線を向ける。夜の7時を過ぎていた。1時間以上滞在していたこととなる。酔いも程よく回ってきた。そろそろ出よう。茶髪ポニーが背後を通る間際、お会計をお願いする。彼女は1度バックヤードへ向かい、30秒ほどで戻ってきた。
「合計で2600ペニーとなります」
存外に安く感じた。ポケットから3千ペニーを取り出し渡す。
「はい。お釣り400ペニーですね」
前ポケットに手を突っ込んだ。どうやらそこにお釣り用の銭貨を入れているらしい。
立ち上がる。茶髪ポニーを見下ろす形となった。頭一個分の身長差がある。
「もしよければ」
「はい、400ペニーです。え?」
4枚の硬貨を差し出してきた。それを受け取りつつ、もう1度言葉を紡ぐ。
「もしよければ、お仕事が終わった後に会って頂けませんか?」
上手く言えたか分からない。少し上ずっていたかもしれない。足も若干震えている。ただ視線はそらさない。そこのプライドだけは存在する。
「えーと……」
苦笑いを浮かべながらアゴに人差し指を当てた。視線は斜め下を向いている。敗北の音が聞こえ始めてきた。
「わたし、勤務が10時までなんですよ。ちょっと遅くて。それでもいいなら……」
「え」
再び視線が合う。相変わらず苦笑いのままだ。もしかすると俺が苦笑いと思っているだけで、本当は違う笑いなのかもしれない。照れ笑いや愛想笑いなど。
「ん?」
「あ、いや。もちろん、それでいいです。10時頃にお店の外で待っていればいいですか」
「うーん。それだと変に目立っちゃいそうなので………このお店集合でもいいですか?時々友達と行くんです」
そう言って紙にサラサラと書いて渡してきた。謎文字で「マリスミゼル」とある。
「ここから大通りを西に進めば看板が見えるので迷わないと思い………あ、いらっしゃいませー!………すみません、ではそのお店で」
「あ、はい。ごちそうさまでした」
入店対応をする彼女の背を見つめる。俺の右手には小銭と一緒に小さな紙が握られている。どうやら夢じゃないらしい。
「………………」
風俗行かなくてよかった。
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