第56話 孤独の論駁
獣人国首都ビーストの王城では一組の男女が向かい合っていた。
「面を上げよ」
「……………」
城の玉座に座るのは獣人国国王リゴル・アダックス。威風堂々としながらも爽やかさを兼ね備えている獣人の長はその特徴的な二本の角を頭の上で揺らしながら声を上げた。
対するはトランス家の忘れ形見、セレスティナ・トランス。この少女と女性の境目に存在する生き物は、王の前で頭を下げるという高尚な常識など持ち合わせていなかった。そのため元々面は下げていない。眠気まなこを玉座へ向けたままだ。
「お主がブル伯爵に重傷を負わせた者か」
「陛下違いますぞ。この魔族は容疑者の連れです」
側近は禿げ上がった頭を撫でつつ訂正した。
「む、そうだったか」
「ええ。容疑者が逃亡したため、重要参考人としてこの場に召喚した次第です」
「そうか。してお主、名はなんという」
[…………」
「聞いておるか」
「…………」
「おい、お主は」
「帰っていい?」
「聞こえていたなら返事をしろ。そして質問に答えるまで帰さん。まずは名を聞かせろ」
「陛下、やはりこの者の事情聴取は私共が行います。わざわざ王の政務を滞らせてまで時間を割くべき相手ではございません」
「私も同意見です。貴方様の時間は1分1秒単位でスケジューリングされております。このように戯れで市井の者と接するのはおやめください」
玉座の周りに控えるシマウマや犬の側近が進言する。
「あのブルドッグを痛めつけた相手だぞ。一度は見てみたいだろうが」
「陛下、先ほどから申し上げている通り、この女がブル伯爵に攻撃を加えたわけではございません。更にはこの場で伯爵位の者を蔑む言葉はお控えください」
「安心しろ。ここにあのデブ犬の肩を持つ奴などおらん。ふむ、お主にも軽く説明しておこう。お主の連れが氷漬けにした男は親の御下がりで伯爵に就いたのを良い事に権力を振りかざし傍若無人の限りを尽くしてな。その声が次第に大きくなり私の聞き及ぶところとなったため、そろそろ制裁をと思っていた。そんな時に外部の者が代わりに手を下してくれたと報告が入った。つまり感謝こそすれ恨みなどない。安心したか?」
「…………」
「…………」
「で、私に何の用?」
王の言葉を無視する魔族に側近は揃って顔をしかめる。セレスティナはどこ吹く風で王の言葉を待っている。
「うむ。重要参考人として召喚した……というのは建前だ。本題に入ろう。このようなことは前例なき例外であり私も散々迷ったが、我ら古き国は積極的に新たな風を取り込む必要があると判断した。これはその中の一部であり、今ここに前例として掲げるものとする」
ざわつきを覚える側近。構わず続ける。
「自分または他人の生命・権利を防衛するため、やむを得ず及んだ行為は罪とみなさず、また向後の災厄を未然に防いだと判断された場合は、褒賞を与えるものとする。よって、この度のブル伯爵への暴力行為は正当な防衛とみなし、加えて未来ブル伯爵に人生を犯されていたかもしれぬうら若き女性の危険を未然に防ぎ獣人国への悪感情を発生させなかった行為に対し、褒賞を与える」
『は!?』
王の間に激震が走る。何も聞かされていなかった側近たちが浮足立つ。
「へ、陛下!まるで意味が分かりません。失礼ながら貴方は何をおっしゃっているのか!」
「そ、そうですぞ陛下。暴力を正当化するだけでなく褒賞まで与えるとは正気の沙汰ではありません。これでは犯罪を増長させるようなものです!」
「考え直してくだされ。思いつきで法を作ってはなりませぬ!」
側近たちの諌言に対して王はうんざりした様子で口を開く。
「前々から考えていたことだ。この国はなにかと断定をし過ぎる。暴力は悪い行為だ。ゆえに暴力をふるった者は凡て罪となす。それは極端が過ぎるというものだ。ときにはやむを得ず力を行使する必要もあろうに。我らはその機会に目を瞑ってはならない。正当な防衛が罷り通らぬ世の中など、弱者に死ねと言っているようなものだ」
王の言葉は正論がゆえに大きな反発を招く。
「で、ですが陛下、今までは双方とも悪とみなし喧嘩両成敗を貫いてきたではありませぬか」
「それで罪なき者を何人殺めた?力を用いる事自体に非は存在しない。自身の益を獲得するために暴力という手段を講じることが悪いと言っているのだ」
「陛下のおっしゃることは尤もでしょう。ですが、法というものは一時の感情で制定するものではございません。ご再考を」
「貴様は私の発言を聞いていたのか。一時の感情ではない。以前から考えていたのだ。それに、だ。貴様らは忘れているやもしれんが、この国は絶対君主だ。貴様らの諫言は、少々度が過ぎるのではないか?」
『……………っ』
側近たちが一斉に視線を逸らす。他方セレスティナはぼんやりと天窓を見上げていた。
彼らがいる王の間は学校の体育館程度の広さを有している。高さに関しては奈良の大仏がすっぽり収まる程であり、その一部がガラス張りとなっていた。そこからは夕月夜が顔を出している。
「……………………」
「ということで、だ。本来ならブル伯爵を撃退した男にこそ褒美を与えるべきであるが。女よ、男の行方を知っておるか」
「…………」
「おい、聞いておるか」
「……………」
「おい」
「知らない」
「はぁ。お主と話していると疲れるな」
「……………」
「だがしかし。それを補う……いや、その前に。功労者が不在ということであれば、褒美は一時預かりにしようかと思ったが、襲われそうになったのがお主である事実を鑑みて褒美を受ける権利を分譲しようと思う。長くなったが、今お主がここに連れて来られた理由はそういうことだ」
「…………………」
天窓に向けていた視線をゆっくりと国王へ戻す。その表情に変化はない。
「して女よ、何か望みはあるか。程度は問わん。何でも言ってみろ」
「………………」
「と言っても今すぐにここで意思を示せと言うのも酷だろう。そこで、こちらから1つ提案しようではないか。安心しろ、100名中99名は満足のゆく褒美であろう」
「………………」
アダックスは玉座に頬杖をつきながら口を歪ませた。涼しげな目元と透き通った鼻筋、しわ一つない肌は全く年齢を感じさせない。余程獣より人に近しい顔は獣人族の中でも飛びぬけて秀麗である。
セレスティナ程ではないがたっぷりと間を開けた後、王が言葉を紡いだ。
「この私、リゴル・アダックスの妾になる権利を与えよう」
『……………な!?』
突拍子もない発言に王の間は一瞬静寂に包まれる。直後、側近たちが一斉に口を開く。
「陛下、な、何を世迷言を!」「御戯れが過ぎますぞ、陛下!」「子が5人、奥方が4人もいうというのに、これ以上無駄に増やす必要もないでしょう!しかもどこの馬の骨とも分からぬ魔族の女が相手ですぞ!」「妾よりも先に増やすものがあるでしょう!開拓地にしかり、戦力にしかり」
「ええいうるさい。なぜ嫁のことまで貴様らにとやかく言われねばならぬ。控えろ」
「ですが」
「黙れ。して女よ、この提案に対しどんな答えを聞かせてくれる」
「無理」
「………………」
国王の微笑が一瞬にして固まる。側近たちもまさかの返答に固まった。
「は、は、ははは。考え込む余地もなしか?」
「ない」
「お主、もう1度よく考えろ。む、いや……そういうことか。おい!」
国王が側近の1人をあごで指図する。
「はっ。僭越ながら国王の妻になる利点をお伝えしましょう。1つ目、自由に動かせる金額が大きいこと。絶対君主制を採用している我らが獣人国にも当然国庫は存在しますが、裁量の権限は国王第一です。つまり陛下さえ良しと言えば莫大な金額を動かすことも可能なのです。現に奥方様の1人は国庫の資金から港町を開拓し、いち領主として経営に関わっております」
ただし誰にでも認可を与えているわけではない。国王が妻にした女の1人は地方領主の娘ということもあり開拓や経営に明るかったという裏がある。
「2つ目、王の妻はバリエーションに富んでおり獣人、人間、竜人、エルフとなっておりますゆえ、魔族の貴女様でも十分馴染みや」
「無理」
「え」
再び王の間が凍りつく。まさか側近からの説明を遮ってまで断りを入れるとは思っているはずもなく。アダックスでさえも信じられないようなものを見るような目つきを向けるほか無かった。
「女よ。言っておくが私の妾を希望する女性はこの世にごまんといる。お主は今、人生最大の機会に直面しているのだ。理解しているか」
「……………………」
「おい、聞いておるか」
「妾にはならない。願いは他にある」
「む」
予想外の返答を受けた獣人国サイドは少々の驚きを見せるものの、すぐに切り換えセレスティナの言葉を待つ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「人探し」
「ぷはっ」
何故か呼吸を止めて待ち構えていた国王がやっとの思いで息を吐き出す。
「その言葉を紡ぐのになぜそんなにも時間がかかるのだ。いや、まぁいい。して、その探し人とはどのような人物か」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
ここで遂に側近の堪忍袋の緒が切れる。
「おい娘!先程から黙って聞いていれば………王が問うておるのだぞ!なぜ沈黙する!ハキハキ答えんか!貴様は、貴様の沈黙1秒で王の時間にどれだけ損失を与えていると思うか!恥を知れ、平民!」
「…………………」
他の側近も同様の感情を抱いていたようで、皆がコクコクと頷いている。側近がこのように上からモノ申すのには訳があった。王の信用を得ているというのも1つだが、侯爵や伯爵へ王の意志を伝えるのは彼らの役目であり、位の高い者に命令を下すのが習慣化されていた。よって自身等が特権階級だと思い込んでいる部分が起因している。
「おいおい。たしかに会話は遅々として進まぬが、そう癇癪を起す必要もあるまい。ひいては褒賞を与えるために召喚したのだ。罪人のような扱いはやめよ」
「ですが王よ」
「私が良いと言っているのだ。して女よ、探し人とは誰だ。答えを聞かせてくれるか」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「貴様またもや」
再び沈黙を保ち、これまた再び側近が激昂しようとした瞬間。突如としてセレスティナが王に背中を向け、部屋の出口へ歩き出す。
彼女の奇行にざわつきは抑えられない。たまらず側近の1人がその背中に言葉をぶつける。
「おい娘!王との謁見中になんと無礼な態度か!どこへ行くつもりだ!!」
同様に無視をするかと思えば、1度足を止め、振り返らぬまま彼女は答える。
「あなた達はよく分からない。勝手に連行したと思えば、勝手に褒美を出すと言って、勝手に妾にしようとして、勝手にヒトを罵倒する。勝手が過ぎる。話にならない。そして私から話すことも無い。だから帰る」
「なんと……」
再びレッドカーペットを歩き出すセレスティナ。
いつも思い通りに事を運んでいた王やその側近にとってセレスティナの言葉は慮外であり、またしても反応が一歩遅れてしまう。
「待て、女よ!」
王が声を発する。しかしセレスティナは止まらない。戦闘経験の乏しいシビリアン連中も動き出そうとせず。このまま出て行ってしまうかと思われたとき。
玉座の陰から1人の男が現れた。
「……陛下、僭越ながら私であればあの無礼な小娘を城内に留まらせることも可能ではありますが、如何致しましょう」
「む、お、おお。カイル」
側近達も続いて反応する。
「おお、王の護衛を担うチーター様であれば」「剣速の速さは獣人国いちだぞ!」「あ、あそこにずっと隠れていたのか……」「国の騎士団長でさえ後れを取るというのに、ただの小娘が太刀打ちできるわけがない!」
「陛下、ここであの小娘を取り逃がしてしまえば、妾とするのは遠のくばかりと推察されます。私であれば無傷で捕えることも可能です」
「うむ。いや、しかしだな」
「憂慮されていることは分かります。他国の民を半ば強制的に捕縛するのは人道に反しているでしょう。しかしそこの娘は陛下に対して数々の無礼を働きました。少々強引ではありますが不敬罪に問われてもおかしくない」
「なるほど………うむ、仕方あるまい。あの美貌は惜しい。やってくれるか」
「はっ」
カイルは玉座の横からセレスティナに声をかけた。
「娘よ、貴様を不敬罪の罪で拘束する。その柔肌に傷を負いたくなければ大人しくしろ」
「………………」
出口扉に手をかけたままの姿勢でセレスティナが止まる。
「そうだ、それでいい」
そのセレスティナにカイルが近づく。近づく。
残り10歩ほどの距離になったとき。セレスティナがボソッとつぶやいた。
「だから私は独りだった」
「なに?」
思わずカイルの足が止まる。
「この世界はあなた達のような煩わしい連中ばかりだと思っていたから。現にあなた達は非常に五月蠅い。独りでいたことは間違いじゃなかった」
顔だけ振り向く。眠気まなこを崩さずに言葉を紡いだ。
「殺してもいい?」
「んなっ」
そのときカイルが感じたものは定かでない。ただ獣人国の中でもトップクラスに位置する剣の使い手が本能的に目前の小娘との戦いを回避しようとしたところに、彼の戦闘センスが非凡なものであることを伺える。
カイルは考える。自身の予想以上に魔族の小娘は力を有している。身体つきや服装、携帯している武器からして、近接戦闘を好む性質ではない。恐らく魔法使い。然るに及ぶところは己の身だけではなく側近共、果てには国王にまで危機が降り注ぐ可能性がある。この位置から拘束できるか、確信を持てない。彼は考える。命より尊いものはないと。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……………………分かった。行け」
「なっ!?カイルよ、それはどういうことだ」
セレスティナから視線を外さず王の問いに答える。
「申し訳ありません。娘の実力を履き違えました。陛下が傷を負わぬ確信を得られなければ、この場で剣を抜くことは出来ません」
「カイル…………いや、お前がそう判断したのなら、そうなのだろう」
「と、いうことだ小娘。さっさと消え失せろ。だが覚えておけ、貴様はこの場で罪を背負った。獣人国にいる限り、貴様には自由がないと思え」
「…………………」
褒美の話から一転、謎の展開で罪を背負わされてしまった。しかし反論もせず、これまた無表情のまま扉を開け王の間から去った。
セレスティナの退去後、室内は沈黙に包まれた。
側近たちからすれば、何だったんだという思いが強い。突然の法律制定から王の強権により無実の女を逮捕、かと思えば逃亡を許し罪はそのまま。滅茶苦茶である。とはいえ権謀術数の世界で生きてきた猛者たちは切り替えも早い。
「へ、陛下、ひとまず沈着したということで通常の政務に戻りましょう」
側近の1人が進言する。しかし当の本人は未だ彼女に執着していた。
「カイル、お前1人であの女を打倒することは可能か」
「時と場合によりますが、1人では困難かと」
「では部隊を用意する。それを率いてあの女を捕獲せよ」
「は?はっ!御意です」
「へ、陛下!?」
たまらず側近が素っ頓狂な声を上げる。
「なぜそんなにも1人の魔族に固執するのです!世の中に数多の女性もおりますれば、あのように会話能力が低く礼節も弁えぬ小娘など王の妻足り得ませぬ」
「そうですぞ。明らかに今までの奥方と比べても異質な存在です。何をそんなに拘る必要があるでしょうか」
王はその顔に笑みを浮かべながら側近たちに返した。
「直感だ。あの女は獣人国の繁栄に欠かせぬ。実は今までの妻もその感ずるところに拠るものが大きい。決して美貌だけで選んだわけではない。そうだとも」
直感と言われてしまえば言い返す言葉が無い。現に4人の妻は獣人国の繁栄に貢献している。
「カイルよ、必ず捕まえろ。手段は問わん。多少傷を負わせても構わん。ただし殺すなよ」
「仰せのままに」
「では待たせたな。政務へと移ろう」
釈然としない思いを抱える側近達だが、王の言葉で通常業務へと移行する。
その後、カイルは王の護衛を他の者に委任し、自身は20名の兵士を引き連れセレスティナの捜索を始めた。
しかし、あの特徴的な容貌にも関わらず目撃情報は一切なく捜索は困難を極めていた。
そうして、何の成果も得られないまま1ヶ月が経過し、捜査は打ち切られたのだった。
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