第38話 世界勢力図
明くる日。
わりとぐっすり眠れた次第である。
寝ずの番は3時間交代で行うこととなった。野の魔物はもちろんのこと隣の彼に襲撃される可能性もあった。ただ話した感じではそういう卑劣な真似をするようには見えなかったので意を決して就寝。何事もなく朝を迎えられた。
夕飯も作ってもらった。朝食も美味しかった。もちろんセレスには遠く及ばないが、平均的な成人男性の調理レベルは優に超えている。最近のオークは高性能のようだ。
「おいイケダ。これより人間の治める国へ向かう。そうだな」
「ええ、はい。はぁ」
名前は昨夜教えた。この世界においてセレスの次に名を伝える相手がオークになるとは思わなかった。もっと人間の知り合いを作ろう。
「何だその生返事は」
「えーと、そうですね。実質獣人国は出禁ですから、人間の国に行かざるを得ないです」
「ふむ。そうなると、この地から一番近いのはダリヤ商業国だろう」
「一番近い」
引っかかった。確認してみよう。
「早速脱線してすみませんが、この世界の大まかな勢力図を教えていただけますか」
「なぜ知らん。引きこもりか?」
「まぁそんなところです」
正直に話したところで伝わるとは思えない。流るままに会話を進めよう。
訝し気な視線を向けてきたが無視。そうすると諦めたのか何なのか、ヤレヤレといった感じで頭を横に振った後、再び口を開いた。
「我は各地を旅していたゆえ、国々を転々とする露天商程度の知識は持ち合わせている。ゆえに説明するのは吝かでない」
「ではお願いします」
「うむ。この世界の勢力図で良いな」
「ええ」
「………ふと思ったのだが。この世界、という言い方は少々違和感を覚えるな。まるで他の世界があるような言い草ではないか」
「…………………」
確かに。軽率だった。言い訳の言葉も思いつかないので無言を貫く。
「まぁいい、話そうか。この地は大きな河川を境に北と南で別れている。南は南西に黒魔族領、その上に紅魔族領、そしてその2国と接する位置に南東の土地を支配している神聖レニウス帝国が存在する。黒魔族領の領土規模が1とすれば、紅魔族領も1、レニウス帝国は4となる。南はこの3つの勢力が現存国だ。ちなみにレニウス帝国はこの世界における最大勢力でもある」
セレスから伺った内容とほぼ合致する。
「次は北だ。こちらはもう少々細分化されている。北西を支配しているのが現所在地の獣人国。その東に今から向かうダリヤ商業国がある。さらに東をゆけばボボン王国。ビーストの東、ダリヤの北、ボボンの西に位置するのが竜の山領。その上にも細々とした勢力が存在するようだが、さすがの我も全ては知らん。学園都市ジーニアスや鍛冶の国サラマンダー程度は耳にしたことがある。領土規模は、ビーストを5とすればダリヤは4、ボボンは5、竜の山領は3、ジーニアス、サラマンダーはそれぞれ1といったところだ。ちなみに南北は河川を挟んだ橋が開通している。紅魔族領と獣人国、レニウス帝国とダリヤ商業国、レニウス帝国とボボン王国、現状この三橋が確認されている」
「分かりやすい説明ありがとうございます。とても流暢に話されますね」
「この程度普通だろう」
「いやぁ」
話の内容よりも淀みない話し方に注目してしまった。オークにしては、というより種族関係なくコミュニケーション能力が異様に高い。正直勝てる気がしない。
どうやら凌辱担当も言語能力が求められる時代が来たようだ。確かにセクシービデオでも異常に会話が上手い男優とかいたな。
今のところオークの彼に勝っているのはルックスと魔法力くらいか。精進しよう。色々と。
「えーと。申し訳ないですが後で地図を作ってくれると嬉しいです」
「いいぞ」
いいんだ。優しすぎる。
「あ、そうだ。もう1つ脱線してもいいですか」
「もはや本筋が何だったか思い出せないが。いいぞ」
「実はですね、つい先日首都ビーストで犯罪を犯したんです」
「ほう。貴様がか?どうせ下着泥棒だろう」
こいつは俺をどんな目で見ているんだ。痴漢と間違われるのを恐れるあまり満員電車では常に両手を万歳する程の小心者だぞ。そもそも下着自体に興奮した試しがない。
「まぁそんな感じです。獣人国での犯罪を理由にダリヤ商業国から入国拒否を通告される可能性はありますか?」
「ふむ」
どうだろうか。いわゆる治外法権とやらが発動してくれるとよいのだが。
「結論から言うと、その可能性は限りなく低いだろう」
「おお」
「ダリヤ商業国は自由の国として有名だ。ゆえに様々な種族の者が集まり、差別のない国とも言われている。余談ではあるが、全国の中で唯一議会制民主主義による共和制を敷いており複数の代表者によって統治されている。そんな国ゆえ入国審査は非常に緩く、身分証明書の提示または1万ペニーを支払えば誰でも入国することができる。入国時に犯罪歴を調べるようなことはなく、そもそも獣人国で犯した罪は基本的に獣人国内でしか裁かれない」
「おお」
よかった。これで一安心だ。ビーストの教会で名前と顔を晒した都合、国境を越えて拿捕される可能性が無きにしも非ずだった。法が俺を守ってくれるというのであれば、これ以上に心強いモノは無い。
「他に聞きたいことはあるか」
「とりあえずは。後々何かしらあった時はお願いします」
「分かった。ではそろそろ出発しよう」
オークは立ち上がると傍らに置いてあった大きなバックパックを背負う。その中に水やら食料やら何やらが入っているらしい。
「…………………」
あのバッグ、十中八九盗品に違いない。冒険者から情け容赦なく追いはぎしたのだろう。
「………おい。何か失礼なことを考えているようだが、このリュックは紅魔族領で購入したモノだぞ」
「女騎士を強姦した際に彼女の持ち物を窃盗したのかと思いました」
「貴様はオークを何だと思っている」
「すみません。人間という生き物は先入観で物事を考えてしまうのです」
「ふむ。いや、それは我らにも責任がある。我は我の種族にクリーンなイメージを持ってもらおうと日夜努力を重ねている次第だ」
焼け石に水であるのは明白なのに。何とも志の高いオークだ。
志もそうだがここまで話せる相手とは思わなった。出会って少しも経たないうちに軽口を言い合える仲になるなど社会に出て以後ほぼ経験がない。やはりコミュ力の高さは一目置かざるを得ないだろう。
「あなたは凄いですね」
「あ?何がだ」
「いえ」
とかくこの世界では出会いに恵まれている。
★★★★
「いやー」
前を歩くオークに話しかける。
「どうした」
「目が見えるっていいですね」
「あぁ、そういえば昨日治療したのか」
そう。そうなのだ。
色々あって自分でも忘れかけていたが、再び光を取り戻したのだ。今もばっちり日光に照らされ輝く木々とオークの背中が視界を充実させている。
「たしかに。我も貴様同様の境遇を経たゆえ気持ちは分かる。盲目は自身を新たな世界へと導くが、それは決して歓迎すべきことではない」
「うーん、果たしてそうでしょうか」
「ん?」
「盲目の辛さを知っているからこそ目の見える悦びを感じられます。さらには当たり前を当たり前と受け入れることは生き物としての進化を阻害するのだと。痛みを知ってこそ我々は歩き続けることが出来るでしょう」
「いや。何言ってるか全然分からん」
「……………」
婉曲が過ぎただろうか。
「ただ、相手の立場に立って物事を考える大切さ。その意思は察することが出来た」
「え?」
「なんだ。違うのか」
「いえ、概ね合っています」
と、やおらオークが立ち止まる。
彼の視線をたどると、何やらうねうねとした巨大な物体がこちらへと近づいてくるではないか。
「魔物だ」
「貴方もでしょう」
「我とは違う魔物だ。あれはキラースネイク。強力な毒を持っている蛇だ」
蛇とはいうが全長は5mくらいありそうだ。人間程度であればペロリと丸呑みしそうである。
彼は背中からバッグを降ろし、剣と盾をそれぞれの手に装備する。
「貴様は氷の壁で自衛に務めろ」
何時でも何処でも俺の立場は変わらないようだ。言われた通り目の前に氷の壁を張る。
「危なそうだったらフォローしますよ」
「いらん。ジッとしていればすぐに終わる」
「はい」
オークがダッシュする。対して蛇は奇声を発しながら大きく口を開け豚肉を待ち受ける。デカい。軽自動車くらいなら入りそうだ。
オークはあえてその口に向かって突っ込む。
あわや呑み込まれそうになった最中。彼から銀閃が走る。
「………………」
一瞬の静寂に包まれる。
キラースネイクが白目を向く。と同時にスパっと、顔が上半分と下半分に分かたれた。
「おぉ」
死んだ。
オークの圧勝である。
なかなかどうして素晴らしい剣裁きではないか。まさかアニメーションのような動きを現実で拝見できるとは思わなかった。惜しむらくは披露する相手が俺しかいないという事実。
当のお豚さんはトコトコとこちらへ戻りバックパックを背負い直す。
「よし。行くぞ」
「あ、はい」
ああ、この感じ。何か既視感があると思えば、セレスと共に過ごしていた日々と変わらないではないか。
常に誰かの庇護下に入り安穏とした生を享受する人生。進むも引くも全てはコンダクターの指揮に身を委ね、流るるままに増えていくのは歳と皺。
「………………」
悪くない。悪くはないが。
良くもない。
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