第33話 神の采配

 しかし当然の如く予感的中。獣人の歩みは俺たちの目の前で止まった。黄ばんだ歯を見せながら口を開く。


 「おい娘よ、わしについてこい」


 「…………………」


 周囲の声が耳に入ってくる。「おいやっぱりあれ、ブル伯爵だ」「またやってるよ女狩り」「今月でもう5回目だろ」「あの子可愛いからなぁ」「伯爵だし逆らったら死罪もあるからな」「目を合わせない方がいいわよ。今度はこっちが標的にされるんだから」


 なぜこうなる。


 「娘、聞こえぬのか。ついてこいと言っておる」


 「なぜ?」


 「気に入ったからだ。不自由はさせんぞ」


 「むり」


 「ほう、わしの命令に逆らう気か」


 このまま宿に戻り獣人国または他の国で氷魔法を生かせる仕事を探して、着々と稼ぎながらセレスに借金を返す。その後も働き続けてゆくゆくは一軒家の主。そしてどっかから湧いてきた嫁。夢のマイホーム2人暮らし。ゆくゆくは3人暮らし。


 終了のお知らせである。


 恐らく、いや確実に、あと数十秒後にセレスがブルドッグ伯爵に向けて怒りのファイヤーボールをぶっ放し、街中はてんやわんやの大騒ぎとなるだろう。その後セレスは投獄もしくは運よく逃げ果せても、もう二度と獣人国へ足を踏み入れることなど出来やしまい。細部まで定かではないが、貴族様に逆らうとはそういうことだろう。どの世界でも特権階級の為すがままに我々は生かされているのだ。


 出来うるならばこの危機を回避したい。


 さりとてセレスをなだめたとしてもこの豚犬が問題である。簡単には、というか確実に彼女を連れて行くまで引き下がらないだろう。顔とか挙動とか目茶目茶粘着そうだし。キャバクラや風俗で指名変えないタイプだろう。一途とかそういう綺麗な言葉では表現できない不気味な執着心を抱えているに違いない。


 「…………」


 セレスを見つめる。すると彼女もこちらを見返してきた。


 あぁ。


 綺麗だ。今まで出会った女性の中で一番と言っていい。顔だけじゃない。全身から魅力が溢れ出ている。これも変態族の特徴かもしれない。


 果たして何をするのが正解なのか。この短い時間で最適解に辿り着くのは困難だろう。ならば今この時に思い付く中で一番彼女を守ってやれる選択をしなければならない。


 もしかすると怒られるかもしれない。なんで勝手な真似するのと。だが仕方ない。これが俺の限界だから。


 これ以上、セレスに迷惑をかけるわけにはいかないんだ。



 「おい、何とか言ったらどうだ、娘――――」


 ブルドック伯爵がセレスに向けて手を伸ばした瞬間。逆に俺がブルドック伯爵の腕を握る。


 「あ?なんだ、貴様は」


 「その子から手をひくつもりはありませんか」


 緊張はない。ただただ寂寥感が通り過ぎていくだけだ。


 「何を言い出すかと思えば。手をひくなどありえん。わしは手に入れたいものは全て手に入れてきた。もちろん目の前の娘も手に入れる。これほどの美しさ、2、3年は飽きることもないだろう。分かったらさっさとその汚い手を離せ」


 「そうですか。残念です」


 ステータススキル発動。



【パーソナル】

 名前:ブル・ドッグ

 職業:伯爵

 種族:犬族

 年齢:47歳

 性別:男


【ステータス】

 レベル:14

 HP:230/246

 MP:48/48

 攻撃力:112

 防御力:64

 回避力:11

 魔法力:26

 抵抗力:43

 器用:210

 運:412 


 


 抵抗力は43。問題ない。


 盲目だったこともあり今まで一度も魔法を攻撃手段として使用したことはない。が、何とかなるだろう。


 要は一線を超える覚悟があるかどうか。そこだけだ。


 「ただ豚がブヒブヒと鳴いているのみであれば、私は何もせずに済みました。ですが犬の頭脳を持った豚は傍若無人な振る舞いを披露し、あまつさえ私の恩人まで毒牙にかけようとしている。私はこれを断じて見過ごすことは出来ません。あなたが伯爵だろうと権力を持っていようと関係ない。私はあなたを止めます」


 突然の口上に伯爵はポカン顔を晒す。しかし次の瞬間には瞬間湯沸かし器の如く顔を真っ赤にさせながら唾を吐き散らした。


 「あ?か、き、き、貴様ぁ!!儂を誰と心得る。儂は獣人国の伯爵にして辺境伯を父に持つ――」


 最後まで聞かずに豚貴族の腕を握る手に力を込める。


 イメージは氷の彫像。全身隈なく氷漬けにする。


 手のひらに魔力が集まるのが分かる。足元に大きな魔方陣が現れ、まるで生きているかのように秒間隔で形を変えている。もちろん自分の魔法陣を見るのも初めてだ。すごく格好いい。中二の到達点と言えよう。


 「き、貴様この」


 豚貴族が俺の手を振りほどこうとする。が、一瞬遅く。


 キン。


 という音と共にブタドッグの氷彫刻が出来上がった。朗らかな季節に不相応な作品である。


 「おぉ」

 

 出来るかなと思ってチャレンジしてみたが、本当に出来てしまった。氷魔法の可能性は計り知れない。


 『……………………』


 周囲から音が消える。


 数秒の静寂を経て。


 一気に爆発する。


 「うわ、なんだこれ!」「凍ってる、凍ってるよブル伯爵!」「あれ、魔法……か?」「見たことねぇ、一瞬で凍ったぞ!」「すげー!むえいしょうだ!」「でも、これまずくね?」「殺した……人殺しだ!」「おい護衛の奴!呆けてないで早くあいつを捕まえろよ!」「犯罪者!犯罪者!」


 さて。


 どうしよう。


 いやどうしようじゃなくて。逃げる以外の選択肢はない。


 呆然と立ち尽くしていたブル伯爵の護衛たちが一足早く周囲の言葉に触発され一斉に動き出す。もちろん向かうは俺の元だ。


 背後をチラリ確認する。ブル伯爵出現の影響で出入り門までの道がポッカリ空いていた。兵士の姿もない。つまり前面の伯爵護衛陣を何とかすれば逃げ切れる可能性が高くなる。


 よし。とりあえず首都を出よう。その後のことは逃げ切ってからだ。


 「イケダ」


 聞こえた。背後へと踏み出した足を止めて思わず声の主へ視線を移す。


 彼女は、今まで見たことのない表情でこちらを見つめていた。そもそも変態後のセレスは見慣れていないわけだが、それにしたって普段の眠たげな眼は鳴りを潜めている。


 明らかに怒っている。というかブチ切れていらっしゃる。


 彼女もバカではない。俺が何でこんなことを仕出かしたのか気づいているはずだ。そして誰のためにやったのかも。


 怒りを覚えるのも分かる。俺は彼女の意思を無視して、自己満足のために自己犠牲を払ったに過ぎない。もしかしたらセレスはセレスで何か考えを持っていて、より穏便に事を鎮められることが出来たかもしれない。


 しかしもう遅い。俺が先に動いてしまった。そして時を戻すことが出来ない以上、彼女の激高を受け止めるつもりもない。


 「アイスウォール」


 大通りを北と南で分断する形で氷の壁を現出させる。北側には氷漬けのブル伯爵、その護衛達、そしてセレス。南側には俺という立ち位置となった。ほぼ隙間なく道を仕切ったため短時間で片側から片側へ移動するのは困難だろう。


 突然のアイスウォール出現に驚く護衛達だったが、すぐに剣やら魔法やらで氷壁の破壊に着手した。


 「イケダ」


 「すみませんがここでお別れです」


 氷の壁越しに話しかける。これだけの衆人環視のもとで犯行を行った以上、事件の発端となった彼女が参考人として王宮もしくは警察関係者のところへ連行されるのは間違いない。


 変な脚色を交えずに事実だけを話してもらえば問題ない。なにせ彼女に非はなく、また犯行に加担した痕跡もないのだから。すぐに釈放されるはずだ。


 万が一、取り調べ側にブル伯爵のような好色野郎がいたならと不安を覚えないことも無いが、もうそこまでは気にしていられない。凡人は自分の手の届く範囲だけで精いっぱいだから。

 

 「イケダ」


 「今までありがとうございました。貴女は命の恩人です。あとは、えー、そうだな、すみません突然のお別れで言葉が出てこずです。あ、お金は折を見て返却に参ります。それと、なんだろう」


 「イケダ!」


 「あ、そうだ。もちろん今の貴女も魅力的ですが、最初に出会ったときの貴女も十分魅力的でしたよ。では健康に気を付けて。さようなら!」


 両手に火球を乗せて怒りの形相でこちらを睨む彼女へ手を振りつつ、出入り門の方へとダッシュする。魅力的云々の話は蛇足が過ぎたかもしれない。


 「イケダ!!!」


 結構大きい声出せたんだと謎の感心を覚えつつ一心不乱に走る。そんな俺を獣人の住民たちは遠巻きに見つめるのみで邪魔してくる様子はない。


 あぁ。残念だ。


 盲目が完治してこれからという時だった。順調にいけば変態後のセレスと生活を続けていたかもしれない。それはもう楽しかったに違いないだろう。


 まるで小説や映画のようにここぞというタイミングでブル伯爵を登場させる異世界ストーリーには嫌悪しか感じられない。そしてこんな選択しかできない自分にも嫌気がさす。


 せれす。セレスティナ。


 あぁ。


 ちくしょう。



 

 徐々に出入り門が近づいてくる。壁の外側にいたためか、検問の兵士はこちらの騒動に気づいていないようだった。勢いそのまま門を駆け抜ける。


 後ろのほうで何か叫ぶ声と近づいてくる足音が聞こえたが全てを無視して無心で走り続ける。


 走って、走って、疲れを感じたら自分に回復魔法をかけて、また走って、回復魔法をかけて。


 それを繰り返して。


 気が付いたら。




 見知らぬ場所に、1人で立っていた。

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