第32話 昨日の彼女と今日の君

 治療部屋を出た直後、視界に入るのはまさに病院の総合窓口そのものだった。広いフロアに何十と置かれた木製の長椅子へ様々な種の獣人達が座っている。受付は全部で8つあり、出口に1番近い窓口へと進んだ。


 セレスが受付のこれまた山羊女に話しかける。ちなみに医者山羊は目の鋭いクール系美人であり、受付山羊はおばさん系おばさんだった。どちらも頭から角を生やしているが、ルックスはヒトのそれに近い。


 「お会計」


 「はい。イケダさんですね。ランクAの治療ですので、100万ペニーとなります」


 「え」


 「……………………」


 盲目が完治した喜びが一瞬で吹き飛んだ。


 「一括で支払うことが出来ない場合は分割払いも可能です。また現在無職で支払能力が無い場合は、仕事を斡旋させて頂きます。身体の不自由な人でも従事できる仕事もございます。如何なさいますか」


 「いや」


 100万は流石にボリ過ぎではないか。超最新医療を受ける代議士さんじゃないんだから。しかもアフターケアまでしっかりしてるし。何が何でも金をむしり取ろうとする気概が見える。


 とはいえダークワールドの治療と考えたら100万は安いかもしれない。永続暗闇が完治したんだ。ああそうだ。安い安い。


 仕方ない。仕事を斡旋してもらおうか。五体満足で魔法も使えるんだ、単価の良い作業を振ってもらおう。


 「…………………」


 などと勤労魂を爆発させていたところ、セレスがおもむろに空中へ手を伸ばした。そこからズイっと膨らんだ皮袋を取り出し、ドンっとカウンターの上に置く。


 「おお」


 今のが収納魔法か。実物は初めて拝見したがどんな仕組みか見当もつかない。凄いという感想しか出て来ないぞ。チート女が。


 「これで足りる?」


 「え。あ、はい。今から数えますので少々お待ちください」


 山羊おばさんが皮袋を覗き、一瞬ハッとした表情を見せた後、金貨を何枚か取り出し数えはじめた。数え終わったらまた金貨を取り出し数える。その繰り返しをする。


 「あの。セレスティナさん、これは」


 「お金、ないでしょ」


 「え、ええ。ありませんが、さすがに100万もの大金を支払っていただくわけには」


 「いい。私には必要のないものだから」


 「…………」


 なんだ。なんだなんだこの女は。


 もちろん知っていた。知っていたのだが改めて思う。凄くイイ女だ。しかもとてつもない美人、になった。


 そう美人。性格が良くて美人さんなのだ。


 美人なのである。


 小学校時代それ程容姿が整っていなかった子と同窓会で再会した際に、とても美人に変わられていたが明らかに整形している様子が見受けられた時と同じ感情だろうか。いや違うな。セレスは医療技術に頼っていないし、そもそも俺はその女性に好意を抱いていなかった。


 どうしよう。心の混乱が止まらない。


 落ち着け。1つ1つ整理していこう。わたくしイケダはセレスティナ・トランスに好意を抱いています。有り体に言うと好きです。それはもちろん能面フェイスも含めてです。素晴らしい性格から入って能面顔も受け入れられる、というか可愛らしいと感じるようになりました。


 しかし状況は一変しました。セレスのルックスがほぼ別人へと変貌を遂げてしまったのです。性格は相変わらず素晴らしいままです。ただし顔やスタイルは私の知るソレではありません。


 果たして私が好意を抱いた彼女は、今の彼女と同一と言えるでしょうか。


 「……99、100。はい、100万ペニーありますね。こちら頂戴いたします。残りはお返しします」


 受付の山羊女が幾分膨らみが減った皮袋をセレスに手渡す。


 「ありがとうございました。お大事にどうぞ」


 会計を終え受付から離れる。


 「セレスティナさん」


 「話は後。とりあえず宿に戻る」


 「あ、はい」


 改めてご本人確認やら様々な感謝やらを投げかけようと思ったが、確かに大勢の前でやる必要もない。


 教会を出て宿へ戻ることとなった。


 


 ★★★★




 空。雲。太陽。教会を出て一番初めにやったことは頭上を見上げることだった。


 あぁ、見える。空の色も雲の形も太陽の輝きもハッキリ全て見える。万感の思いとはこのことだろう。様々な感情が矢継ぎ早に胸中を刺激してくる。


 目が見えるなんてほとんどのヒトにとって当たり前だ。しかしその当たり前が実は当たり前じゃなかったと気づかない人は多い。そういう意味では幸運な部類に入るだろう。


 今回の出来事は池田という人間の視野を広げる良い機会となった。ありがとう山羊女医、そしてありがとうセレス。1度社会的弱者を経験したからこそ、今後は弱者の立場に立って物事を考えることも出来よう。とりあえず元の世界へ戻れたとて点字ブロックの上は歩かないようにする。



 街中を進む。


 獣人国首都ビースト。一言で表現するならば、素晴らしい。これこそふぁんたじー。俺は今もの凄くふぁんたじーを実感している。


 大通りは道幅が20m程あり、門から王城まで続く道に武器屋やら道具屋やら飲み屋やら宿屋やらの木造建物が左右にずらりと軒を並べている。

 

 そしてこの通りでは犬やら猫やら熊やら狼やらなんらかの動物の上半身に服を纏った二足歩行の獣人たちが自由気ままに歩いている。先程の山羊女同様、顔は人間に近い。そう、ほぼ人間なのだ。これは僥倖である。果たして獣人とのイチャラブ展開など有り得るはずもないが目の保養には最適だ。じっくり観察させて頂こう。


 しかし明らかに俺とセレスは浮いている。予想はしていたが周囲を見渡したところで人間も魔族も見掛けること能わず。物珍しさで視線が集中するわけである。恐らく視線の9割はセレスが集めていると思うけれども。


 と、街中の雰囲気に興奮していると背後―――王城の方角からなにやら喧騒が聞こえてきた。


 「どうしたのでしょうね」


 「さぁ」


 喧騒が近づくとともに大きな何か、馬車形状の物体が大通りを介して近づいてきた。人の乗る部分は四角い箱のような形をしており、外から見えないように密閉されている。本来馬のいる箇所には二足歩行の狼が2人おり、人力車のように荷台の部分を牽いている。


 「………………」


 あれは見るからにお偉いさんだろう。往来が狼車を避けているのが証拠だ。


 俺もセレスを連れて、いそいそと大通りの端っこに寄る。いくら眼が完治してテンションが上がっているとはいえ、自ら権力に立ち向かうことなどしない。

 

 狼車はトコトコと大通りを進み、俺たちの前を通り過ぎる。


 かに見えた。


 が、立ち止まった。


 そのまま動かない。周囲もざわざわしている。


 何が起こるのだろうとドキムネしていると、喧騒に紛れ込む形で荷台の扉が開く音とともに獣人が姿を現した。


 「うわ」


 なんだあいつは。


 一言で表すならば、メタボリックブルドックメガネ。滅茶苦茶腹が出ていて顔はブルドックで眼鏡をかけている。髪型はもじゃもじゃ。腕とか首とかにすんごい煌びやかな装飾を身につけている。


 そいつがゆっくりとこちらに近づいてくる。俺とセレスが佇む方向へと。


 「…………」


 あぁ、嫌な予感。外れるといいな。

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