〈第2話〉 許してください。
「本当にすみませんでした…」
僕は机に座って足を組んでいる須藤さんに土下座する勢いで、それはもう深く頭を下げた。
事件が起きたのは、ちょうど5分前――
日直だった僕は運悪く担任の雑用に付き合わされ、教室に戻れたのは16時半を過ぎた頃だった。薄暗い教室には、当然もう誰も残っていなかった…のだが、教壇の上には僕が教室を出るときには無かった、ピンクの小さな紙袋が置かれていた。
そう、今日はバレンタインだ。まさかクラスの男子の誰かが、女の子からもらったものをこんなところに置き忘れて帰ったのだろうか…なんて想像したところに、ちょうど須藤さんがやってきた。
そうしたら、なんと普段は僕と全く口をきかない須藤さんが「その紙袋、私の。ぼーっと見てんなら取ってくんない?」と話しかけてきたのだ。
予想外のことに、僕は動揺したし焦った。この時点で軽くパニックになっていたと思う。それくらい、僕は須藤さんのことが苦手だ。
そして『とりあえず早く須藤さんの言うことに従った方がいい』と思った僕は、急いで紙袋を掴んだ。
結論から言うと、それが良くなかった。
焦りすぎたせいか、渡したはずの紙袋は須藤さんの手を滑り落ち――
――そして、今に至る。
「別に。謝ってもらっても直るわけじゃないし」
僕の頭上から、須藤さんの冷たい声が降ってくる。怖い。
にしても、なんでこんなに圧があるのか。同じ高校生とは思えない。だから、出来る限りのことをしなければ……僕は死ぬかもしれない。
恐怖でイマイチ使い物にならない頭を、必死に回す。
「でもそういうわけには…クッキーはその、弁償させてください…」
「同じのは無理かなー。これ、一応手作りだし」
「て、手作り!?」
まさか。よりによって手作りだなんて。
バレンタインに須藤さんがチョコレートを用意していること自体が意外だったのに、手作り…?
全くイメージがなかった。あげるにしても高級チョコとかを選びそうなのに…いや、これは僕の偏見か。
でもそれくらい、今日のバレンタインは須藤さんにとって大切だったんじゃないか?
けれど、僕がそれを台無しにしてしまった。顔から血の気が引いていく。
須藤さんが怖いとか苦手とかそれ以上に…今はもう、罪悪感で死にそうだ。
「須藤さん…本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないと思うけれど、僕にできることがあれば何でもします。だから、その…」
許してください。
でもそんなこと、簡単に言えるわけない。
顔を上げられないから、須藤さんがどんな顔をしているかわからない。僕にはこの後どうなるかも全く予測がつかない。怒鳴られるか、罵倒されるか…でもそれはいい、それだけのことをした自覚はある。最悪、明日にはクラスの女子が全員このことを知っていて、教室から僕の席がなくなったりするかもしれないけれど…
頭はどんどん悪い方に考えてしまう。でも仕方ない…いや、やっぱり怖いし辛い。
すると、
「ねえ。今、何でもするって言った?」
須藤さんは、さっきまでより少しだけ高くなった声で、軽やかにそう言った。
ぞわっとした。まさか漫画に出てくるちょっと怖い人のようなセリフを、こんなに自然に言ってのける女子高生がいるなんて。恐ろしいにも程がある。一体何を要求されるのか……。
「はい…」と返事をして、恐る恐る僕は顔を上げた。須藤さんは、うっすら口角を上げていた。
「そしたら、あんたが作り直してよ。バレンタイン用のチョコレート」
「もちろん…って、チョコを作る?僕が…?」
「そう。完璧にできたら許してあげる」
「で、でも僕お菓子作りなんてやったことないですけど…」
「へえ。さっき何でもするって言ったばかりなのに、もう無理とか言うの?まあ、別にいいけど。私の努力が粉々になって、費やした時間が丸ごと無駄になっただけだし」
「…いえ、やります。チョコ作ります。作らせてください」
僕は必死だった。あまりの事態に混乱はしているけれど、須藤さんの言うことに従う以外の選択肢なんて無いことだけはわかる。
すると須藤さんは「そう。それでいいの」と、まるで悪の女王さながらの台詞を吐いて机の上から降りると、固まっている僕の横を素通りして行った。
そして、教室の扉の前で立ちどまって振り返る。
「じゃあ急いで材料買いに行かないと」
「え…これから?」
「当然でしょ。バレンタインは今日なんだから。…まさかこのあと、予定あるなんて言わないわよね」
「もちろんないです。すみません」
「じゃあ、さっさと立って付いてきて」
そのまま、須藤さんは教室を出ていった。
僕はただ、慌てて後についていくしかなかった。
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