第三幕 悪意のカード

 耳元でアラームが鳴っている。背中に感じた感触がいつもと異なることを知覚し、俺は毛布を跳ね除けた。

 ネルの事務所のソファに寝かせられていたようだ。時刻は午前五時三十分。

 ネルは壁に埋め込んだ大型モニターを前に、一人でうんうんと唸っていた。

「ネル」

「あ、起きたのかい」

「俺は......何をしていたんだ」

「覚えていないのかい?まったく......」

 彼女はデスクに置いてある酒瓶と、琥珀色の液体が注がれた二つのグラスを指した。

「昨日の夜中、僕たち二人で飲み比べしたじゃないか」

「......そうだった」

 俺とネルは、ロンドン警視庁スコットランドヤードから帰ってくるなりブランデーを煽った。俺は気が進まなかったが、捜査会議するためにとネルが飲み始めたのにつられた。馬鹿なことをしたと、自分でも思う。

「ほら、モーニングコーヒー」

 彼女が大きめのマグカップを差し出してくる。熱いコーヒーを啜りながら、再びモニターに向き合った彼女の背中を眺める。どうやらこの探偵は、異様なほど酒に強いらしい。

「何か分かったか」

「もしそうなら、今頃君を叩き起こして僕の仮説を熱弁してるよ」

 ネルは白衣のまま床に座り込んでおり、周囲には警視庁ヤードから持ってきた資料がばら撒かれている。

「最初の被害者はクラッグ・エース氏。官僚だね」

「二件目はオジェ・マックス氏。移民系政策に大きく関わった新興企業の代表だな」

「三件目に殺されたのはヘクトル・ヴォネゲータ氏。僕もよく知っているが、不法移民を率いて怪しげなビジネスをやっていたよ」

「そして四件目はアルジーヌ・マックス夫人。二件目の被害者の伴侶か......」

「少し分かったことはある。この全員が、英国内で何らかの形で移民に関わっているという点だよ」

「移民ね...次に狙われるのは誰だろうな」

「法則性を見つけるんだ。相手だって人間。きっとなにか、決まったルールで殺人を繰り返している」

「法則......法則か」

「思いついたかい?」

「いや、法則って程でもないんだがな」

「もったいぶらずに言いたまえよ」

「被害者たち、みんな歴史上の人物の名前なんじゃないか」

「......」

 彼女は黙りこくる。その数十秒間は、何時間もの間に引き延ばされたようにも思えた。

「絵札だ」

「へ?」

「なぜ数字札がない?絵札にしかないメッセージがあるからだよ」

「絵札の......モチーフか!」

「そう。一人目のエース氏は〈一人目〉だからエースだった。そして、エース氏の胸に置かれたスペードのジャックに描かれているのは......」

〈オジェ・ル・ダノワ。中世フランスのシャルルマーニュ伝説に登場する人物です〉

 アンジュが補足する。

「二人目の被害者の名前はオジェ・マックス。つながった......」

「オジェ氏の傍にあったカードはダイヤのジャック、描かれているのはギリシャ神話の戦士ヘクトル。三人目はヘクトル・ヴォネゲータ氏だ」

「ならばクラブのクイーンは......」

〈クラブのクイーンに描かれている女性は、フランスの伝説の美女・アルジーヌです〉

「四人目の被害者はアルジーヌ・マックス。間違いない、残された絵札と次の殺人はリンクしているんだ」

「最後の絵札......クラブのキングだね」

「ランスロットか......」

「え?」

「次はランスロットという名前の人が狙われる!しかしどこを探せば......」

「問題ない」

 彼女は、ぞっとするほど美しい笑みを浮かべていた。連続殺人犯との対峙を、心から祝福するように。

「アンジュ、移民関連の仕事についている人間で、ランスロットという名前の該当者を探してくれ。範囲はロンドン内だ」

〈了解......一件だけヒットしました。ロンドン郊外で建設中の大学キャンパスで、移民労働者たちを監督しているランスロット・シャーリー氏です〉

「ロンドン郊外の大学......ハドック財団系列の私立か!」

「どうやら、そのランスロット氏で間違いない無さそうだね」

「だが、行ったところでどうするんだ?下手をすれば嘘と思われるぞ」

「時を待てば良いのさ。犯人も共に現れる、その時を......アンジュ、ランスロット氏の全ての通信履歴を調べて。犯人が氏を誘き出すための着信が入っているかもしれない」

〈了解。しばらくお待ちください〉

「待て待て待て!」

 俺は慌てて止めに入る。個人の通信履歴を調査する、だと?そんなことが許されるはずがない。

「そんなことしたら警察が黙っていないだろう!それに、なんで犯人が誘き出すと思うんだ。自ら乗り込むかもしれないだろう」

「アンジュと通信履歴の調査の話はさておき、誘き出すという確証はこの資料に基づくよ」

 一枚のA4用紙を手渡された。そこには、今までの被害者が受け取った電子メールが一覧となって示されている。

「これは......」

「分かったかい?これまでの被害者は、すべて差出人不明の電子メールでどこかに誘き出されていたんだ。そして、そこで毒入りのチョコレートを食べて死んだ」

「確かに、これで着信履歴から犯行時刻と現場は割り出されるな」

「その通り。僕の見立ては間違っていないだろう」

〈ランスロット氏について、差出人不明のメールが数件見つかりました〉

「どれどれ......」

 モニターに映る写真を、ネルは食い入るように見ていた。

「......ストラング......いや、ワトソン君」

 彼女がゆっくりと振り向く。これ以上ないほどの喜びを、彼女の表情が演出していた。

「今夜22時、建設中のキャンパス構内に犯人が現れるよ」

 それは、ロンドン中を恐怖の底に陥れた殺人犯の、見えない尻尾を掴んだ合図だった。

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