第二幕 ヤードにて

 建物の外壁にホログラム看板が貼り付いている。ネオンの代わりに煌めくそれは、昼間でも街並みを彩っていた。ネルが呼び停めた自動運転タクシーに乗り込む。行き先の名前を告げるなり、白衣のネルは眠り込んでしまった。

 行き先はロンドン警視庁スコットランドヤード。一連の事件に関する最新資料が用意されていると彼女は言うが、にわかに信じ難い。そもそも、ベイカー街でAI相手に暮らす自称探偵の怪しい女が、どうやって警視庁ヤードと関係を持つというのか。

 一時間弱で目的地に到着する。ネルを起こし、どれだけロンドンの警官たちに顔が利くのか確かめる。

 到底信じられないことだった。彼女は、ロビーにいた警官の誰にも止められることなくエレベーターに乗り込んだ。わざわざ挨拶しに来る者もいたくらいだ。

「どこに行くんだ」

「決まっているだろう?SCO1殺人・重大犯罪対策指令部だよ。ルストレイドに会いに行く」

 静粛性の高いエレベーターで、俺たちは言葉を交わす。これから彼女が起こすことについて、徐々に興味が湧いてきた。彼女の言う〈殺人へのワクワク〉とは似て非なるものだと思いたいが。

「知り合いか」

「叔母の知り合いでね。優秀なのは確かだよ」

「叔母さんは警察関係の仕事だったのか」

「いや、僕と同じ探偵さ。僕の師匠で、"フィリップ"の偽名を使い始めたのも叔母。つまり、初代フィリップ・ニールセンだね」

「君が二代目だったとは」

 エレベーターが停止。静かに扉が開く。ここでもネルに先導させ、SCO1に向かう。

 捜査資料が並ぶデスクの向こうに、高級そうなスーツを着た男が立っていた。

「ルストレイド君」

「......あぁ、フィリップ。久しぶりだな」

「またスーツ変えたのかい?」

「イタリアクラシコだ。高かったんだぜ」

 ネルは思い出したように俺の紹介を始める。

「こちらはストラング。僕の新しい助手だ」

「初めまして、ストラング。俺はルストレイド警部だ。こいつに振り回されるとは君も不幸だな」

「死なない程度についていきますよ」

「資料は用意していてくれたかな」

「ああ。こいつらがお望みの資料だ。好きなだけ持って行ってくれ」

 いくつかのファイルを取り、中を覗いてみる。犯行に使われた毒物リストや、遺体の発見現場付近で見つかった人間をピックアップしたものだった。

「こんなの持って行っていいのか」

 ルストレイドが作業をしている隙にネルに耳打ちする。

「僕らは特別協力者だよ。資料をいくつかもらったところで警察も文句は言わないさ」

「......」

 規律が緩すぎる。俺がもといた軍と部外者の扱い方を比べても意味ないことは承知だが、国家権力がこれではどうかしている。まさかこの女、今から遺体を見せろ、とか言い出すんじゃないだろうな。

 そんな危惧を尻目に、彼女はそっぽを向いていたルストレイドを呼ぶ。

「遺体は見せて貰えるよね」

「おい!」

「あー、いや。すまん。残念だが、上の方からお達しが来てな......どうも死体を見せるのはダメになったらしい」

「そんなぁ!」

 ネルが思いっきり悲しそうな顔をする。遺体を見れないのがそんなに残念なのか。

「悪いな、次見せたら俺の首が飛ぶかもしれん」

「僕の叔母の恩を忘れたのかい!?」

「ネル、ちょっと。止めろって」

「......」

「実はな、捜査資料の提供だって危ういことなんだ。分かってくれ」

「......分かった。資料だけは貰っていくよ」

 俺のスーツを引っ張り、退き所だと促す。警察署に長い時間居座るのも良い気はしないので、資料を手持ちの鞄に突っ込んでネルに続く。

「えっと、ストラング」

 すれ違いざまに呼び止められる。

「一つだけ忠告だ。あの女のペースに呑まれるな」

「え?」

「彼女は、ネル・フィリップ・ニールセンは、表面からは絶対に分からないが、異常な凶暴さを併せ持っている」

「まさかそんな......」

「君は元軍人らしいな」

「ああ。第一機械化旅団だった」

「間違っても彼女に近付き過ぎるな。例え元軍人でも、命の保証は決して出来ない」

「......」

「ルストレイド君、変なことを僕の助手に吹き込まないでくれ」

「ああ、すまんな。......それじゃ。気を付けろよ」

 ルストレイドが俺の肩から手を下ろす。

 帰り道のタクシーでは、意外なことに彼女は起きていた。それほど死体とのご対面が叶わなかったことがショックだったのだろうか。

 しかし、いつまでも彼に言われたことが心に引っ掛かっていた。彼女がサイコパスであることは、既に本人から聞いている。

 あらゆる可能性について熟考してみたが、いつまでも終わらない推理を続ける気にはなれなかった。

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