第4話 赤い鯛めし

 横山たちがいなくなると、茜と常連たちは七瀬の周りに集まった。

「七瀬さん、あがんことばゆうてよかったんかねえ」

 茜が不安そうに七瀬に訊ねた。

「大丈夫ですよ。自信を持ってください」

 七瀬が答えても茜の不安そうな様子は変わらなかった。

「茜ばあちゃん、赤い鯛めしば開発していると言うのは本当なんか?」 

 竜司の問いかけに茜は頷く。

「七瀬さんのアイデアで試作ば重ねとつたんばい。味んバランスばとれたんで来週からメニューに加えるところやったと。ばってん……」

「せっかくだから皆さんにも評価してもらいましょうよ」

 茜に異論はなく、七瀬はカウンターの中に入り、調理を始めた。


 鯛をさばき、アラをグリルで焼いてから煮だして出汁を取る。米を研ぎ、羽釜に入れて出汁、さばいた鯛、昆布を加え、醬油と酒で味付けする。ここまでは普通の鯛めしと同じだ。

 七瀬は食器棚から野菜スライサーを取り出し、刃をおろし金にした。冷凍庫から赤くて丸いものを取り出し安全ホルダーにセットする。

「そりゃあ?」

「カチンカチンに凍らせた完熟トマトよ」

 野菜スライサーを羽釜の上に載せ、安全ホルダーに固定したトマトを前後に動かして擂り下ろし、かき氷状のもの一個分を羽釜の中に入れた。

 木蓋をして火にかけ、沸騰したら弱火にして十分炊く。火を止めて十分蒸らした。


 七瀬が木蓋を取ると、炊き立てのご飯と鯛のいい香りが広がった。しゃもじでご飯をひっくり返し、鯛の身と混ぜる。ご飯はみじん切り状態になったトマトの皮できれいな赤色になっていた。

 茶碗によそって山椒の葉を乗せ、試食する竜司たちに配る。


 竜司たちは赤い釜めしを頬張った。炊き立てご飯と鯛、山椒の香りが鼻に抜ける。鯛だけではない、奥行きのあるうま味が口の中に広がった。


「うまか」

「こいはすごか」

「なんやこん味わいは」


 考える前に称賛の言葉が湧き出してきた。

「ご飯、醤油、鯛、トマト、種類の違ううま味成分が複合することで相乗的な効果が生まれるのよ」

 七瀬が科学に基づいた説明をする。だが、竜司たちはそんな説明より五感に直結した味わいに圧倒されていた。


「こいば食べたら、柏木会長だって考えば変えるんじゃなかかな」

「ああ、こいが食べられんごとなるなんてつーえかすぎるばい」

「もしかして、茜ハウスん味噌汁がうまうなったのもこいなんか?」

 田崎の問いかけに七瀬が答える。

「はい、味噌汁にも完熟トマトのかき氷を入れています。そちらは皮を湯向きしてから凍らせたものですけど」

「なるほどなあ」


 竜司と常連たちは鯛めしの味に期待を膨らませたが、茜は不安そうなままだった。

「おいたちも味見ん立ち合いに来っとたいね。柏木会長が変なこつ言うようなら文句ばゆうてやるばい」

「ありがとーね。よろしゅう頼むばい」


 竜司たちが帰って行った後、茜は七瀬を家の奥の座敷に呼び寄せた。小さなちゃぶ台を広げ、火鉢に掛けた鉄瓶から注いだお湯で淹れたお茶を七瀬に勧める。壁沿いに置かれた茶箪笥の上には若々しい顔の茜夫妻が茜ハウスの前に並んで立つ写真が飾ってあった。

 お茶を一口すすった茜が口を開く。

「みんなはあがんゆうてくれたばってん、柏木さんが公平な判断ばしてくるっかねぇ?」 

「大丈夫ですよ。茜さんと一緒に作り上げた味です。きっとあの人の心を動かすことができますよ」

「そうかねぇ。実は、あん人とは因縁があるんじゃ。うちん人と付き合い始むっ前、あん人からも交際ば申し込まれたんじゃ。うちはお断りしてうちん人ば選んだ。もしかしたら、柏木さんはうちん人が作ったこん赤い家をずっと憎んどったんかもしれん」


「そんなことが……」

 七瀬は湯飲みを手に持ったまましばらく押し黙った。目を茶箪笥の上の茜夫妻の写真に向ける。写真の二人は仲良く微笑んでいた。七瀬は視線を背中を丸めて座り込んでいる茜に戻し、ゆっくりと息を吐くと、お茶を飲み干して湯飲みをちゃぶ台に置いた。茜の手を包み込むようにして握る。

「でも、そんな昔のことを根に持つなんて無いと思いますよ。それに、赤い鯛めしについては、私はあれを更においしくするアイデアを持っています。明日はそれを使って、鯛めしをもっとおいしいものにしますから」

「そうかい、よろしゅう頼むばい」

「私におまかせください」

「ばってん、無理はせんでな」

「はい」

 七瀬は微笑んで、茜の手をぎゅっと握りしめた。

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