第18話 ヴィクターの撤退戦(4)
オムリの姿を認めた時、ヴィクターの脳裏に様々な考えが巡った。
撤退できない。100騎に背を向けて下がれば、たちまち追撃される。
どうして新手がこのタイミングで。メルガイア軍はどの部隊も動けないはず。
大将軍が直々に前線へ。危険過ぎる。部下に任せればいいのに。
分岐した思考は、やがて一つの幹へ収束する。
ここでオムリを討ち取れば、勝てるのでは?
ヴィクターは味方を見る。動ける人数は500程度。オムリが率いる赤鋼兵の5倍。しかも坂の上という有利な場所に陣取っている。
「爺! チャンスだ! オムリを討ち取る! ここで隊列を組んでから前進しろ!」
「了解!」
ヴィクターは馬を走らせ、エルフリードの部隊と合流した。
「エルフリード殿! オムリの首を獲ります、ご協力を!」
「当然ッ!」
更に、グリムハルトの50騎も来た。
「私も行こう」
「是非!」
エルフリードは何が言いたげだったが、黙って馬首を敵へ向けた。
「よし、突撃!」
喚声を上げて、3つの騎馬隊が突撃する。その数200。赤鋼騎全体よりも多い。更に後ろにはアッシュ率いる歩兵隊300が率いている。安心して、全力で相手にぶつかる。
突撃が飲み込まれた。
「な――」
まるで水の中に飛び込んだかのようだった。先頭の騎士たちが突き出したランスは、赤鋼騎たちにあっさり弾かれた。騎士たちは赤鋼騎の間に飲み込まれ、勢いを失う。第二陣がかかっても、結果は同じだ。完璧に決まった騎馬突撃が、まるで効果を及ぼさない。
ヴィクターはハルバードを握りしめ、衝突に備える。敵はすでに目前、今更引き返すことはできない。
「オオオオオッ!」
馬を走らせた勢いのまま、敵軍に飛び込む。突き出されたランスを、ハルバードでなんとか弾く。重い。あの大鎌の女騎士、メアリの攻撃と同じくらいの威力だ。この200騎すべてがメアリと同等の実力を持っているのかと、ヴィクターは戦慄する。
次の赤鋼騎。喉を狙ったランスを掻い潜り、ハルバードを振り上げる。手首を切られた赤鋼騎はランスを取り落した。喉にハルバードを突き刺し、トドメを刺す。赤鋼騎は動かなくなった。
強いが不死身の怪物じゃない。ヴィクターは辛うじて自信を取り戻した。
「うろたえるなっ! 敵は人間だ!」
気を取り直したクレヌール騎士たちは、足を止めての白兵戦で赤鋼騎に食らいつく。
ヴィクターが必死に戦っていると、黒い騎士が赤鋼騎の一人に押されているのが見えた。
「グリムハルトッ!」
ヴィクターは馬首を返し、グリムハルトを襲う赤鋼騎を打ち倒す。
「無事か!?」
「すまない!」
次の赤鋼騎が来る。ヴィクターはグリムハルトと共にそれへ打ちかかった。二人がかりだが、卑怯などとは言っていられない。それほどまでに、相手は強い。
一人、またひとりと赤鋼騎を打ち倒す。赤鋼騎一人倒すのにクレヌール騎士が三人がかりという有様だが、数の有利が辛うじてヴィクターたちを支えていた。
「てえいっ!」
グリムハルトが打ちかかった赤鋼騎の脇腹に、ハルバードを叩き込む。赤鋼騎は呻き、体がぐらりと傾いた。
最後のひと押し。ヴィクターは声を張り上げる。
「もうすぐオムリを討てる! なんとしても見つけ出せ!」
「阿呆。ここだよ」
倒れつつある目の前の赤鋼騎。その影から現れたのは、黒髪赤目の壮年の騎士。片刃の太刀を振り上げたその男は、紛れもなくオムリ・ガーベラ・ブローンブルグ大将軍であった。
オムリが太刀を振り下ろす。ヴィクターには見えなかった。反応すら出来なかった。ただ、偶然ハルバードを引き戻していて、その刃がオムリの太刀を受け止めた。
ヴィクターの体がまるで木の葉のように吹き飛ばされた。後ろにいたクレヌール騎士にぶつかり、地面に落ちる。
「うわぁっ!? 団長!?」
「っ、づうっ!」
衝撃に呻きながらも、ヴィクターはすぐに立ち上がる。
見上げた先で、オムリは悠然と太刀を構えていた。メルガイア大将軍。『飛将』と呼ばれる男。
「オムリ・ガーベラ・ブローンブルグ……!」
「えっ、あれが? よっしゃあっ! 我が名はジョージ・ブリストル! 一騎討ちをお願いします!」
ヴィクターがぶつかった騎士が、斧を構えて嬉々としてオムリに襲いかかる。オムリは溜息をつくと太刀を振るった。
一太刀目で斧が斬られ、二太刀目で騎士の首が斬られた。首無し騎士の亡骸を乗せ、馬だけがオムリの横を駆け抜けていく。
「
刃こぼれ一つ無い太刀で、オムリは周りの騎士たちを指し示す。オムリに気付いているクレヌール騎士は、ヴィクターも含めて10人ほど。
「そっからそこまで、纏めて掛かってこい」
「……馬鹿にするなぁぁぁっ!」
「討ち取ってくれる!」
激昂した騎士たちが一斉にオムリに襲いかかった。赤鋼騎とは比べ物にならないが、それでも騎士は騎士だ。
だが、彼らがオムリの間合いに入った瞬間、即座に2人の騎士の手が斬り飛ばされた。武器を持ったままの両手が宙を舞った。
オムリが太刀を振るう度に、騎士の腕が、胴が、首が切断される。鉄の鎧が意味をなさない。まるで藁束のように斬られていく。
だが、騎士たちには勢いがあった。肉薄した騎士がオムリの頭へ斧を振り降ろした。オムリは太刀を掲げて刃を防ぐ。腕が塞がったその一瞬を突き、2人の騎士がオムリの胴へそれぞれの得物を突き出す。
「獲ったぁ!」
「『赫雷』、覚悟!」
オムリが馬の横腹を蹴った。乗騎が嘶き、斧を振り下ろした騎士に体当りする。馬ごと騎士を押し退け前進、2人の騎士の攻撃は宙を掻く。
馬を前進させ、オムリは瞬く間に3人を斬り伏せる。その横腹を狙って、
「大将首、貰った!」
クレヌール王国の騎士、カーチスだ。混戦の中、馬を巧みに操り、オムリへ迫る。自身の武器と馬の体重、それに馬の脚力を合わせた破壊力をランスの先端一点に込める。
「フンッ!」
オムリはカーチスの一撃に合わせて突きを放った。太刀の切っ先はランスの先端、その僅か左側を突く。円錐状の穂先に沿って力が加えられ、突撃の軸がずらされる。カーチスのランスは空を切り、彼は勢いのままオムリの横を駆け抜けるしかなかった。
突撃を逸らしたオムリの背後に、漆黒の騎士が現れる。グリムハルト。メイスを振り上げて襲いかかる。オムリは振り返りざまに太刀の柄でメイスの柄を殴りつける。メイスが弾き返された。
オムリが手首を返し、グリムハルトの肩へ太刀を振り下ろす。グリムハルトはそれを盾で防いだ。半身を捻った無理な体勢で放たれた斬撃は、鉄の盾を斬ることができず、グリムハルトを馬から叩き落とすに留まった。
オムリが前方に向き直る。
「
ヴィクターが握る魔剣ネンニウスが、黄金の光を発していた。
「刈り取れ!
魔閃。音すら置き去りにする光の刺突が奔り。
「唸れ、
魔雷。光は稲妻に弾かれ天へと昇った。
ヴィクターが気付いた時には、既にオムリが眼前に迫り、太刀を振り下ろしていた。とっさに剣を掲げるが、遅かった。太刀筋を逸らしきれず、ヴィクターは左肩から右腰にかけて、袈裟懸けに斬られた。
「……ッ!?」
雷に打たれたかのような灼熱。激痛のあまり視界が赤く染まる。『ヴェルディウムの
オムリが手首を返し、二の太刀を放とうとする。グリムハルトが駆けつけるが間に合わない。ヴィクターは剣を掲げようとするが、痛みのあまり腕が持ち上がらない。
二の太刀はヴィクターではなく、横合いから割り込んできた大斧に向けられた。
「シャラアッ!」
豪快な咆哮と共に、大斧がオムリを馬ごと吹き飛ばした。
斧の一撃を防いだオムリは、割り込んできた騎士に向かって太刀を構え直した。
「無事か、若いの?」
巨大な斧を持った騎士がいた。長い白髪を頭の後ろで三ツ編みにした、壮年の男性だ。蓄えられた髭の下では、ギラリと凶暴な笑みを浮かべている。白銀の鎧、深緑のマント、黒い大柄な馬、いずれもベットリと血に濡れていた。
その男をヴィクターは知っていた。ガイアー・エルフリード。『緑の巨人』の異名を持つ、クレヌール王国最強の武将。
あの時のように名前を呼ぼうとしたが、代わりにヴィクターの口から溢れたのは鮮血だった。その様子を見て、ガイアーは険しい表情を浮かべた。
「いい、無理するな」
痛みと出血で体が震えて動かない。立っているのがやっとだ。それでもヴィクターは剣を構えようとする。朦朧とした意識の中で、使命感と焦燥感がないまぜになって、訳のわからない戦意となっている。
不意に体が軽くなった。持ち上げられている。グリムハルトの馬に乗せられた。エルフリードはその様子を見届けると、ヴィクターに言った。
「娘を頼む」
「まっ……!」
止める前に、グリムハルトが馬を走らせた。エルフリードの巨体がみるみるうちに遠ざかる。手を伸ばしても届かない。
「ヴィクター・ドリッヒェンここにあり! 腕に覚えのあるものは、俺を討ち取ってみせろ!」
「なるほど、テメエが総大将か! 相手にとって不足はねえ! 勝負!」
オムリが太刀を構えて接近し、エルフリードと戦い始める。そこへ赤鋼騎とエルフリード配下の騎士たちが殺到する。
「撤退だ! 全軍、撤退するぞ!」
グリムハルトの悲痛な叫び声が戦場に響き渡った。
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