第16話 ヴィクターの撤退戦(2)
メルガイア帝国の女騎士レイチェル・バーンウィンターは、3000の兵を率いて丘の麓に布陣していた。
陣の前にはバリケードが作られ、松明を盛大に燃やしている。夜襲が来ても守りは万全。先行部隊が攻撃されれば、丘を登って攻め込むつもりだった。
果たして敵は、レイチェルの陣に近付いてきた。重そうな荷車や、木の板を盾にしている。夕闇に隠れてるつもりなのだろうが、警戒していたレイチェル隊にはバレバレだ。
「弓兵、斉射」
レイチェルの号令で、敵に矢が射掛けられる。盾や荷車に、次々と矢が刺さる。不意を突かれた敵から悲鳴が上がった。手放された荷車が次々と坂道を転がって、バリケードにぶつかって止まった。情けない。
続いてファイアボールがいくつか飛んできた。火の玉はバリケードに激突した荷車に命中した。
次の瞬間、荷車が火柱を上げた。
――
「それそれ押せ押せ! 敵陣はもうすぐだぞ!」
近衛騎士団長ヴィクターの従者にして歩兵隊のまとめ役のダンヌスは、50人ほどの歩兵と共に丘を下っていた。眼下にはメルガイア帝国の別働隊3000が陣を構えている。
「隊長ぉ……本当に、大丈夫なんですか?」
ダンヌスの隣で荷車を押している歩兵が、心配そうに呟いた。
「おっ。お前、近衛騎士団じゃないな?」
「はい。ゴドフリード卿に徴収されました。騎士様はもう死にましたけど……」
「あー。上手く逃げられなかったか。ご愁傷さま」
「嫌な人でしたから別に……そうじゃなくて! 危ないですよ、こんなの! 弓で撃たれますよ!?」
もうすぐ弓の届く距離に入る。しかしダンヌスは平然としていた。他の近衛騎士団歩兵も同じだ。
「大丈夫だって。荷車が盾になる」
「何でそんなに平気なんですか? 殺されるかもしれないんですよ!?」
「まあ、いっつもやってるからな」
「は?」
「ヴィクターの旦那が戦うと、いっつもこんな感じだ。でも大体生き残るから、心配するこたぁねえよ」
そんな風に話していると、坂下の陣から矢が飛んできた。何本かが荷車や盾に突き刺さる。
「うわぁっ! もうダメだぁっ!」
慌てた新兵が荷車を押した。コントロールを失った荷車は、坂をゴロゴロ転がっていき、バリケードに突き刺さった。
「ああっ、もう、しょうがねえ! 危ねえぞ、こっち来い!」
ダンヌスは新兵の襟を引っ掴み、近くの盾の陰に転がり込んだ。
周りの他の兵士たちも、荷車をバリケードにぶつけて盾に隠れている。少々仕掛けが早くなったが、予定通りだ。
「じゃあ先生方、お願いします」
「承知した!」
「我らの合体技!」
「見せてくれる!」
「行くぞ!」
「必殺……」
「「「「「エクスプロージョン・ストリーム!」」」」」
同行していた5人組の魔術師が呪文を唱えると、いくつものファイアボールが放たれた。火球が下の荷車にぶつかると、荷車は火柱を吹き上げた。勢いよく上がった炎は、バリケードに燃え移り、更に他の荷車も同様に燃やしていく。
「よおっし、火がついた!」
荷車には油樽を満載していた。陣の燭台や松明に使うためのものである。撤退戦では無用な荷物として置いていくので、盛大に燃やしても全く惜しくない。
更に燃える荷車は黒煙を吐き出し始める。一緒に積んでおいたその辺の草や生木のお陰だ。黒い煙と炎が、丘と陣の間に壁を作る。
ヴィクターが撤退する時によくやる煙幕だ。荷物は減るし、敵の視界は遮られて、一石二鳥だ。
「よしっ! お前ら叫べ! ラッパを吹け! 鎧を打ち鳴らせ!」
「おおーっ!」
「よっしゃー!」
「いけー! やっちまえー!」
歩兵たちが騒ぎ始める。鬨の声を上げ、楽器を掻き鳴らし、盾を叩く。戦のように騒ぎまくるが、一歩も前に進まない。逆に、矢に当たらないよう丘の上へと逃げている。
「ほら、お前も騒げ! 叫ぶだけならタダだ!」
「え? う、うおー!」
ダンヌスに促され、新兵も声を張り上げる。黒煙の向こうでは、メルガイア軍が慌てふためいているだろう。あるいは、喚声に警戒して守りを固めているか。いずれにせよ、炎の壁を突破して丘の上に攻め込んでくることはできない。ダンヌスの経験では、そんな無謀な真似をする敵はいなかった。
そして、ここで敵を釘付けにすることで、上司が動きやすくなることを、ダンヌスはよく知っていた。
――
メルガイア軍先行部隊2000。それが今、眼下の街道を進んでいる。
「そろそろ行くぞ。爺、本隊の指揮を頼んだ」
「お任せください。若も無茶をしないように」
「心配するな。今日はエルフリード殿もいる」
「応、任せろ。帝国の犬どもを坂の下まで追い落としてやる」
丘の麓で煙が上がった。ダンヌスたちの陽動だ。好機である。
「行くぞっ! 第一陣、我に続けぇーっ!」
「ウオオオォォォーッ!」
ヴィクターを先頭に、100騎の騎兵が丘を駆け下った。麓の街道を進むメルガイア軍に、横合いから突撃する。
ハロルドを捉えようと逸っていた上に、数で勝って油断していた先行部隊は、ほとんど無防備に突撃を受けてしまった。騎兵の、それも下り坂の勢いがついた突撃だ。あっという間に騎士たちが薙ぎ倒される。
「どけええええっ!」
ヴィクターもハルバードを振るい、次々と敵の騎士を薙ぎ倒す。3騎、4騎。5騎目の騎士を叩き落とした所で、不意に圧力が消えた。
「あれっ……」
勢い余って、ヴィクターたちはメルガイア先行部隊を突破してしまった。本当なら、もっと中で暴れまわって混乱させるはずだったのだが。
「……ええいっ! 勢いを殺すな! とにかく殴れ!」
ヴィクターたちは反転して、再度メルガイア軍に突入しようとする。だが、その前に数騎がヴィクターに迫った。中核は大鎌を携えた女騎士。ヴィクターは目を見張った。見間違えるはずがない。忘れるはずがない。4年前の初陣でヴィクターを正面から倒したあの騎士だ。
先頭の騎士が
4年前でもこれはできた。そしてヴィクターは、負け続けながらも4年間修練を重ねてきた。
ハルバードを高速回転させ、ヴィクターは敵騎士へすれ違いざまに二撃目を叩き込んだ。鉤爪が
そして大鎌の騎士が来た。弧を描いた刃が唸りを上げる。ヴィクターはハルバードを掲げて斬撃を防いだ。次々と繰り出される斬撃を、ヴィクターは的確に防いでいく。以前は翻弄されるだけだったが、今なら対処できる。
「……少しはできるようになったか」
大鎌の女騎士は間合いの外から話しかけてきた。その後ろに、殺気立ったメルガイア軍が並ぶ。
「だが、数が少なすぎる。軍略が足りぬな」
憮然とする女騎士に対し、ヴィクターは冷ややかに言った。
「それはアナタの方でしょう? 敵に背を向けるなんて、基礎もなってない」
地響き。
「……ッ!?」
女騎士が振り向く。
「吶喊」
巨人の咆哮が轟いた。
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