第15話 ヴィクターの撤退戦(1)
メルガイア帝国大将軍のオムリ・ガーベラ・ブローンブルグは30年の戦歴を持つ。関わった戦争は数多く、その中には勝ち戦もあれば負け戦もあり、勝ち負けがハッキリしなかった戦もある。
そんな彼の目から見て、今回のクレヌール王国との戦いは間違いなく勝ち戦と言えた。敵は三方から攻め立てられ、陣形は総崩れ。ハロルドは尻尾を巻いて逃げ出した。勝利には違いない。
「……どうにもなあ」
しかしオムリには釈然としないものがあった。本来ならここで国王を討ち取るつもりだった。しかし敵の
「ヴィクター・ドリッヒェン……誰だか知らんが、いい騎士じゃねえか」
顔も知らない勇将はほぼ無傷で後退し、小高い丘の上に陣取っていた。丘の麓には街道が敷かれている。メルガイア軍がそこを通れば、横腹に逆落としを仕掛けるつもりだろう。いい位置取りだ。
「よし、鐘を鳴らせ」
オムリが指示すると、戦場に鐘の音が響いた。それを受けて、戦場で暴れていた軍勢が戻ってくる。オムリは各部隊からの報告を受け、損害を確認する。
合計12000に対し、死者は800。すぐに戦えない負傷者は2,000ほど。思っていたより抵抗された。
クレヌール軍本隊は既に撤退している。ハロルドが率いて逃げたのは3000程度だ。丘の上の殿は数が増え、1000ほどになっている。ハロルドの撤退についていけなかった敗残兵が、旗を目印にして集まっているのだろう。残りの2000は死んだか、逃げ出したかのいずれかだ。
ハロルドはまだ生きている。討ち取るか捕らえるかせねばならない。進軍する必要がある。しかし、うかつに動けば丘の上の殿が何をするかわからない。
そこでオムリは、数の優位を存分に使うことにした。
「2000を先行させる。ハロルドを追え。3000は丘の上の残党を囲め。残りの4000は進軍の準備だ。クレヌールの首都まで堂々と行進するぞ」
それぞれの部隊の割り振りを決めようとすると、騎士のうちの1人が声をあげた。
「閣下! 先行の役目、ぜひ私にお申し付けください!」
マルグローブ公爵配下の女騎士、メアリ・シュミットだった。
「構わんが……自信がありそうだな」
「ゼクセン王国と共に何度もこの国に攻め込んでいますから、土地は把握しています!」
しばし考えた後、オムリは頷いた。
「いいだろう。その意気、買った! ハロルドを追い詰めてやれ!」
「ははっ!」
こうして分担が決まった。メアリが2000の部隊で先行。オムリ配下の女騎士レイチェルが3000を率いて敗残兵を牽制。そして4000はオムリが直々に率いる。
いずれの部隊も敗残兵1000ではどうすることもできない数の差がある。万全のはずだった。しかし。
「何だかなあ……嫌な予感がするんだよな……」
馬上で頭を掻くオムリ。その予感が正しかったことを、すぐに思い知らされることになる。
――
丘の上に登ったヴィクターは、そこにクレヌール軍の旗を立てた。戦闘部隊はまだここにいるという意思表示である。すると早速、麓から数十人が登ってきた。そのうちの一人が名乗りを上げる。
「我が名はカーチス・ベッグマン男爵! 乱戦に持ち込まれ孤立したため、味方の旗印を探して参上した! そちらは何者か!?」
リーダーらしき騎士が名乗った。ヴィクターも返す。
「我が名は近衛騎士団長ヴィクター・ドリッヒェン! アントニオ・ドリッヒェン・ヴァンズ侯爵の第一子である!」
するとカーチスは大慌てで馬を降りた。
「お久しぶりです! 私です、5年前にご一緒したカーチスです!」
「お久しぶりですね! お元気そうで何よりです!」
「団長殿も陛下に置いていかれましたか?」
「いえ、殿です」
「なんと!」
ヴィクターとカーチスが話しているうちに、敗残兵たちがどんどん集まってきた。
「ラザロ・マックイーンだ! 合流させてくれ!」
「マリガント傭兵団! ……おい、ドリッヒェン卿か? あの時と同じじゃねえか!」
「マリーダ・コンラッド推参! ドリッヒェン卿にいつぞやの恩を返しに参った!」
「エメリオ・ルージュ!」
「カンプ・シアン!」
「ランドハルト・イエロー!」
「ハッシャ・クロ!」
「エリザベート・ピーチ!」
『5人揃って! ガルデンブルグ・ファイブ!』
「またかよ!?」
みるみるうちに兵士が集まってくる。更にはとんでもない大物までやってきた。
「ヴィクター!」
大声を挙げて駆け寄ってくるのは、長い銀髪を三ツ編みにした武将。『緑の巨人』ガイアー・エルフリードだ。100人ほどを引き連れている。
「エルフリード卿!? なぜここに……」
「スカンプの首を狙っていたら逃げ遅れた! 敵陣に殴り込んで一花咲かせようと思ったが、お主の旗が見えたからな。もう少し暴れさせてもらう!」
夕方になるころには、丘の上には敗残兵が1000ほど集まった。だが、怪我人が多く、実際に戦えるのは700程だろう。それでも最初の3倍以上の数だ。心強いことこの上ない。
「団長! メルガイア軍が動き始めました! 2000が先行して街道を進んでいます!」
斥候から報告が入った。確認すると、メルガイア軍は三部隊に分かれていた。先行部隊、本隊、そしてヴィクターたちを牽制する別働隊だ。
先行部隊は2000。ヴィクターたちを無視してハロルドの後を追おうとしている。
別働隊は3000。ヴィクターたちが動きを見せたら制圧しようと身構えている。
本隊は4000。川の前で荷造りをしている。今夜は休んで、明日の朝から進軍するつもりだろう。
ヴィクターは目を凝らして観察する。
先行部隊は浮ついている。一刻も早くハロルドに追いつきたいのだろう。
別働隊は緊張している。ヴィクターたちが何をしても止めろと命じられているのだろう。
本隊はリラックスしている。明日に備えて今日はゆっくり休もうという魂胆か。
作戦は決まった。ヴィクターは全軍を呼び集めた。
「敵が動き出した。2000が先行して陛下の後を追っている。我々はこれを妨害する」
隊長たちの間に緊張が漲る。当然だ。別働隊だけでこちらの倍以上。それに戦いを挑むとなれば、どれだけの被害が出るかわからない。
そこでヴィクターは言葉をかける。
「我々は
それは生贄を意味する言葉。
「だが、死ぬつもりはない。そもそも死ぬ必要があるとも思っていない。
この程度の窮地、私は10回切り抜けてきた!」
本当は5回程度だが、勢いに任せて盛っていく。
「ある時は撤退中にドラゴンに襲われた! ある時はスライムだらけの沼地にたった10人で迷い込んだ! 反乱軍全軍で追いかけ回されたこともある!」
「そうだ! このエルフリードが本気で追っても逃げ切ったからな、この男は!」
エルフリードが合いの手をいれた。そんな事実はないのだが、イケメンと猛将が堂々と言うものだから、誰もが信じてしまう。
「それらに比べれば、今回は楽なものだ! 何しろ敵は我らを少数と侮っている! その上、あのメルガイア帝国の攻めから生き残った、心強い味方もいる!」
敗残兵たちの顔に精気が満ちる。希望と自信を引き出された軍勢には、もう敗戦の陰りは見当たらなかった。
「敵の先行部隊を叩き、陛下をお守りする!
そして、泡を食った敵を背に、堂々と退却してやろう!
世界一かっこいい負け戦を見せてやれ!」
ハルバードを掲げる。700の咆哮がそれに続いた。
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