第13話 ヴィクターの殿軍

 ゼクセン王国を攻め滅ぼして2ヶ月後。

 新年早々、メルガイア帝国から使者がやってきた。彼の言葉はクレヌール王国を戦慄させた。


「我が国はゼクセン王国に対する貴国の野蛮な行いを決して許しはしない。王位に就くにふさわしい、ヴァスコ・ロム・スカンプについても同様である。

 侵略者にして簒奪者、ハロルド・クレヌールは即刻ゼクセン王ウィリアムを解放し、玉座をスカンプに返上すべし」


 これまでの戦争の成果と玉座を捨てろという要求。あまりに横暴、あまりに無礼な物言いである。これは外交ではなく恐喝であった。

 当然、ハロルドはこの要求を拒否した。すると、メルガイア帝国から12000の軍隊がクレヌール王国に向かって進軍してきた。

 率いるのはオムリ・ガーベラ・ブローンブルグ。メルガイア四天王の一人であり、『飛将』『百人斬り』『ベルディウムの赫雷』などの異名を持つ、大陸最強の大将軍だ。


 対するクレヌール王国軍は6000程度。倍の数を覆せる有能な将軍もいない。

 そこでハロルドは各国に使者を送り、援軍を頼んだ。明日は我が身ということで、エンデ連合を始めとする多数の国が応じてくれるはずだった。


 しかし使者が帰ってくる前に、メルガイア軍が旧ゼクセン王国の国境まで来てしまっていた。これでは援軍が間に合わない。

 やむを得ず、ハロルドは旧ゼクセン王国領を放棄。全軍をクレヌール王国とゼクセン王国の境にある川へ集結させた。帝国軍を本国には立ち入らせないという、ハロルドの決意の現れだった。

 メルガイア帝国軍12000は苦もなくゼクセン王国を横断。川を挟んでクレヌール王国軍6000と対峙した。


 対陣から一夜明けた後、メルガイア軍が動いた。2000が河を渡ってクレヌール軍へ近付いていく。指揮を執るのはスカンプ公だ。

 諸悪の根源に対し、クレヌール軍は意気盛んに迎撃した。川を渡るメルガイア軍に容赦なく矢を浴びせ、何とか渡りきった軍勢も川に蹴落とす勢いで攻撃した。


 それがオムリの軍略だった。


 突如、クレヌール軍の左右にメルガイア騎馬隊が500ずつ現れた。昨夜のうちに迂回して川を渡っており、囮のスカンプ公に気を取られた所で挟み撃ちにしたのだ。

 クレヌール軍は動揺したものの、騎馬隊を何とか食い止めた。ゼクセン王国を占領した力は運や偶然などではない。この程度は跳ね返せる地力があった。


 戦況を見たメルガイア軍の本隊6000が前進する。

 クレヌール軍は必死に抵抗した。左右の騎馬隊に対処しつつ、川を渡るメルガイア軍に矢を射かける。だが、止まらない。数が多すぎる。渡河を終えたメルガイア軍はそのまま前進、クレヌール軍と白兵戦を始めた。

 クレヌール軍はよく戦った。だが、大陸最強の将と兵を相手にするには、あまりにも脆弱だった。前線が崩れ、メルガイア軍がクレヌール軍の本陣に攻め寄せる。

 クレヌール王国は、国家存亡を賭けた戦いに、僅か4時間で敗北した。



――



「掛かれぇぇぇっ!!」


 雄叫びとともに、ヴィクター率いる近衛騎士団が突撃する。本陣の後ろに回り込もうとしていたメルガイア騎馬隊は強力な突撃を受け、散り散りになって逃げ出した。

 ヴィクターは辺りを見回す。軍勢は崩壊した。軍を指揮する騎士たちが一人、また一人と倒れる。メルガイア軍本隊6000の勢いは止まらず、後衛の3000も川を渡り始めた。本陣に敵が殺到するのは時間の問題だ。


 負けた。完敗だ。こちらのミスは何もない。できることは全てやった。全員、死に物狂いで戦った。それでも負けた。単純に敵が強すぎた。


 馬を駆り、ハロルドの元へ向かう。そこにはハロルドと、ヴィクターの父で将軍でもあるアントニオ・ドリッヒェン・ヴァンス将軍がいた。


「陛下! 父上!」


 どちらもケガはしていない。しかし、ハロルドは青い顔をして震えている。ヴァンス将軍は平静を装っているが、表情は硬い。どちらも負けに気付いている。


「ヴィクター」

「陛下、ご無事ですか!」

「ど、どうしよう。負けて、全員やられて、このままだと死んで、国が、母上が」

「しっかりしてください! 負けましたけどまだ生きています!」


 ハロルドを必死に励ます。総大将が動きを止めれば、軍は死ぬ。無理矢理にでも動いてもらわなければいけない。


「無事な兵を連れて首都まで逃げてください! 籠城すれば援軍が来るまで耐えられます!」

「無理だ! 敵がすぐそこまで迫ってる! 逃げても追いつかれるぞ!?」


 確かに敵の勢いは甚だしい。背を向けて逃げてもすぐに追いつかれるだろう。


「……父上」

「うむ。ここは私が……」

「いえ。父上は兵を纏めて、陛下を首都までお連れください。ここは俺が食い止めます」

「ならぬっ!」


 ヴァンスは鞍を叩いた。


「ヴィクター! お前はこれからこの国を背負い、陛下をお支えする立場の人間だ! それに、私の息子だ! そんなお前を捨て駒にさせるつもりか!?

 未来を切り開くのは若者の役目、ならばその若者を守るのが年上の役目だ! 自分の立場を考えろ! ここは退け!」

「立場がわかっていないのは父上の方です!」


 ヴィクターは負けじと声を張り上げた。


「俺と陛下が首都に逃げ帰ったとしましょう! その後、軍の指揮を執るのは誰です!? 『飛将』ブローンブルグに俺たちが立ち向かっても、翻弄されて負けるのがオチです!

 それに陛下がこうして軍を指揮できているのは、父上が補佐についているお陰です! ここで父上を失えば、首都に帰り着く前に軍は統制を失って四散します!」

「いや、ヴィクター、それくらいなら俺一人でも……」

「撤退戦を甘く見ないでください!」


 ハロルドの言葉を遮り、ヴィクターは更に怒鳴る。


「ただの進軍とは違います! 敗走です! 点呼を取る度に兵士は減りますし、水も食料もろくにありません! いつ後ろから敵が襲ってくるかわかりませんし、前に回り込んでいることだってあります! 敗軍だと知れば領内の村が敵に回ることもあるんですよ!?

 父上はそのような危険な道程に、陛下を一人で送り出すおつもりですか!?」

「う、むう、それは確かに……」


 いずれもヴィクターが実際に経験してきたことだ。負け戦を重ねた騎士の言葉は、説得力が違う。敗戦を経験したことのないハロルドはもとより、大敗の経験がないヴァンス将軍ですら呑まれるほどであった。


「近衛騎士団200をお借りします。俺が敵を食い止めますから、その間に陛下は……」

「できるわけないだろうっ!?」


 ハロルドは声を荒げた。


「だってお前……今まで一度も勝ったことが無いじゃないか!」


 初陣から3年。月一ペースで負け続け、今日で36連敗。出れば負け騎士のヴィクターに、無敵のメルガイア軍を止められるわけがない。


「できます!」


 だが、ヴィクターは力強く否定する。


「確かに勝ったことはありませんけど……負け戦なら得意ですから!」


 初陣から3年。月イチペースで負け続け、今日で36連敗。出れば負け騎士のヴィクターにとって、この程度の窮地は日常茶飯事だった。

 情けない宣言ではある。だが、眉目秀麗な騎士が自信満々に言い張ると、どんな内容でも妙に説得力が出る。その勢いに押されてハロルドは頷いた。それを了承とみなして、ヴィクターはハルバードを掲げた。


「集合!」


 号令を受け、近衛騎士団が集まってきた。ヴィクター直属の200人だ。


「陛下が撤退する。我々全員、殿しんがりとなり、敵軍を食い止める!」


 殿。それはつまり、勢いに乗って攻め込んでくる敵の攻撃を、少数で受け止めるということだ。普通の軍隊なら死を覚悟する役割である。

 ところが。


「かしこまりました。では、準備いたします」


 副官のアッシュがうやうやしく一礼すると、部下たちは特に怯えることもなく、平常心のまま殿の準備を始めた。

 いずれもヴィクターの部下である。年がら年中敗北しているため、撤退戦が通常営業というところがあった。


 殿の準備がすっかり整った所で、退き鐘が鳴り響いた。ハロルドとヴァンス将軍が率いる本隊が、街道に沿って後退していく。周囲で戦っていた部隊も、それについていこうとなりふり構わず逃げ始める。味方が引き波を作る中、ヴィクターが率いる200だけが、岩のようにじっと守りを固めている。

 撤退するクレヌール軍を追って、メルガイア軍が前進を始めた。その数10000。ヴィクターたちの50倍の人数。絶望的な戦力差だ。だが、それでも食い止めなければいけない。

 ヴィクターは、己を奮い立たせるように命令を下した。


「やるぞ。馬上槍ランスを構えろ」

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