第8話 ヴィクターの失火
「隊長! 城から火の手が上がりました!」
「話は本当だったか……」
ルポン城から少し離れた所に陣取る反乱軍騎馬隊はざわついていた。城から火の手が上がったことではない。『城から火の手が上がる』という情報が本当だったからだ。
情報を流してきたのはルポン城の守備隊長、ハイミールである。衆寡敵わずヴィクター軍に降伏したが、反乱軍のために城に火を付けると知らせてきたのだ。反乱軍は信じていなかったが、本当に火の手が上がってしまった。
「やむを得ん、すぐに出撃だ」
反乱軍は慌ただしくも静かに出陣した。指揮を執るのは、大鎌を携えた金髪の女騎士だ。
彼女たちは城に近付いたが、敵が気付いた様子はない。矢の一本も飛んでこない。相変わらず火が燃えているので、消火に手間取っているようだ。
これ幸いと騎馬隊は城門前に取り付いた。城門横の通用口を斧で破壊する。屈強な騎士が城内に入り込み、城門の閂を外すと、外で待っていた仲間たちが一斉に雪崩込んだ。
「うおおおおっ!」
「敵はどこだーっ!」
「ヴィクター・ドリッヒェン! 覚悟ォ!」
「正義は我らがスカンプ王にありっ!」
「敵はどこだーっ?」
騎馬隊が城内に雪崩込み、縦横無尽に駆け回る。敵がいればたちまち轢き潰される勢いだ。しかし城内には一人も敵がいなかった。
「……敵はどこだー?」
「城壁にも誰もいないぞ」
「建物の中もだ」
「敵はどこだー?」
「それしか言えんのかお前は」
どうもおかしい、と騎士たちが気付いた頃、一人の男が駆け寄ってきた。
「敵だ!」
「違います! ハイミールです! ルポン城代の!」
反乱軍を手引きした守備隊長のハイミールだった。
「お前か。敵はどこに行ったんだ?」
「もう逃げました!」
「何だ。口ほどにもない」
「それより!」
敵がいないにも関わらず、ハイミールの顔には焦燥が浮かんでいた。
「消火作業を手伝ってください! 人手が足りなくて……このままだと、城が燃えてしまう!」
「……何だと!?」
騎士たちが駆けつけてみると、それはもう大変な火事になっていた。兵舎から出荷した火はたちまち辺りに燃え移り、厩舎や食料倉庫、見張り櫓まで飲み込んでいた。
城主が住む本館にも、すぐそこまで火が迫っている。僅かな守備兵が消火作業にあたっているが、まるで人手が足りていない。このままでは全焼待ったなしだ。
本当なら、ヴィクターの軍勢が火を消そうとし、そこを反乱軍が叩くはずだった。しかし撤退中のヴィクターは火を消さずにそのまま逃亡。更に反乱軍の騎士たちが到着するのが遅れたため、炎は誰にも邪魔されることなく燃え広がったのである。
「……これはもう諦めて、ドリッヒェンの軍勢を追いかけたほうがいいのでは?」
騎士の一人が女騎士へ進言した。だが、女騎士は首を横に振った。
「駄目だ。味方の城を見捨てた事になってしまう」
そうなれば反乱軍の士気はガタ落ちだ。勝てるものも勝てなくなる。
「追撃は中止だ! 消火作業にかかれ!」
「消すぞー! バケツはどこだー!?」
「桶でも壺でもなんでもいい! 水をかけろ! 何もなければ兜で池の水を掬え!」
こうして反乱軍の騎馬隊は追撃を諦め、ルポン城の消火作業に当たることになった。
ヴィクターが率いる1500人の兵士が無事首都に帰り着き、ハロルドの指揮下に戻ったのは、これから3日後のことである。
――
「あの時はまあ、よくぞ無事に帰ってきたと思ったものじゃよ……ほんにのう……」
「俺も正直、助からないと思ってたからな。すげえって思ったよ」
ヘレナとハロルドはヴィクターが無事に帰ってきた時の事を思い出し、感慨に耽っている。
一方のヴィクターはやや冷ややかだった。
「そう思うなら情報収集はもっとしっかりやってくださいね? 斥候が働かなかったら全滅でしたよ?」
「はい……」
「うむ……」
これには2人とも返す言葉がない。反乱軍が300人しかいないと言ってヴィクターを送り出したのは彼らなのだ。あの騒動を機に、諜報網を見直し、予算も増やすことになった。
「本当に危なかったな。ヴィクターが帰ってこなかったら、その後の戦いもスムーズに行ったかどうか」
「うむ。初戦に勝って……いや、引き分けて……いや、負けはしたが大きな損害を得なかったことは良かった」
結果だけ見ると城一つを燃やして逃げ帰ってきたことになるが、元々負け戦だったのであまり気にならない。むしろ1500人がほぼ無傷で帰ってきたことで、王国軍は勢いづいた。そして見事な撤退を決めたイケメンは、またしても評価を上げることになった。
それから討伐軍が組織され、ハロルド自ら出陣した。実際に指揮を執ったのはアントニオ・ドリッヒェン・ヴァンス将軍だが、国王自らの出陣に反乱軍は動揺した。
ハロルド王とスカンプ公の決戦は、数で勝っていたこともありハロルドの勝利に終わった。スカンプ公はゼクセン王国へ逃げ、集まっていた反乱貴族たちは散り散りとなって領地に立て籠もった。
なお、この決戦の間、ヴィクターは首都の守備隊長を勤めていた。戦闘が起こらなければ負けないだろう、という考えのもとでの配置だった。
実際には世直しを謳う怪盗に王宮の財宝を奪われ、更に度重なる戦争で疲弊していた市民たちのデモに取り囲まれるなどして、敗北を重ねたのだが。
「パン屋に負けるのはどうかと思うぞ、騎士として」
「騙し討ちですよあれは……」
「疑えというのじゃ。一服盛られるとは。それでは宮廷ではやっていけんぞ」
デモ隊に負けたヴィクターはハロルドに減税を上訴することを約束した。その場しのぎの口約束とも取られかねなかったが、国王が最も信頼を置く騎士であり、名のある美男子が責任持って約束すると言ったので、ほとんどの人が信じた。
実際、ハロルドも国情を鑑みて減税するつもりだったので、この上訴はあっさりと通った。結果として、ヴィクターの人気が鰻登りとなった。
それから国内の反乱貴族の討伐が始まった。スカンプ公がゼクセン王国に逃げた時点で半数以上が降伏したが、それでもなお抵抗する貴族はいた。ハロルドは軍を率いて、彼らを一人ずつ倒していった。
この時、ヴィクターもハロルドに付き従って戦場に赴いた。その肩書は近衛騎士団長。ハロルドの身辺を守り、時には名代として交渉の席にもつく役目である。実際、戦果は無いのに名声と人気と美貌があるヴィクターは、反乱貴族たちとの交渉にはうってつけの人材だった。
ちなみに近衛騎士団長は将軍のように軍の指揮を執る立場ではない。国王を護衛する騎士たちを統率するだけだ。戦争に直接参加はしないので、これならヴィクターが負けるはずがないというハロルドの考えだった。
ところが、流れ矢が直撃して気絶したり、偵察中に敵に見つかって大軍で追いかけ回されたりして、ヴィクターは順調に負け数を重ねていった。そして、致命的な時を迎える。
「あの時は流石にヤバかったな」
ハロルドが言うあの時を、ヴィクターはハッキリと覚えている。
反乱軍の事実上の最後の戦、エルフリード伯爵との戦いだ。
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